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カズヤンとミーヤン 延岡伝説@DEEP

宮崎県延岡には、伝説の怪人がいます。
それは、カズヤンとミーヤン。

夫が小さい頃、悪さをすると
「あんた かずやんに 連れて行ってもらうよー」
と親に言われ、恐怖に震え上がったらしい。

夫によると、夫のいとこMちゃんは、実際 かずやんのとこまで親に連れて行かれたとか・・・。

小さい頃、かずやんを実際に目撃した夫によれば、 愛宕山の麓の小屋に住み、髪は伸び放題、ある意味聖人のような風体。
でも別に悪いことをするわけではないらしい。

話の発端は、昨晩夫が 延岡の愛宕山 には、ナンとか「ヤン」っていうのがいたなぁ、というので
「バーミヤン?それとも、マダムヤン?・・・中国人の人??」 と山の麓に住む謎の中国人を想像する私。

激しく考え込んでいた夫でしたが 結局わからず、検索サイトで「やん 延岡」を検索。すると
ありました!「宮崎第2の都市は延岡市?都城市?」の掲示板に 「カズヤンとミーヤン伝説」 が!!
パソコンってほんとにスゴーイと感心しきりの私たち夫婦。

こちらの掲示板によれば(61~64、70~73、148、149、157、290~294、298番の発言参照)

●カズヤンはダンボールなどを集めて生計を立てていたけれど、実はお金持ち。とか

●ミーヤンはIQがもの凄く高くて、ミーヤンの脳は死後宮崎医科大学に引き取られるという伝説があった。
 ミーヤンの脳引き取られ説は、まだ生存していた頃からあった・・・。とか。

延岡には、こんなディープな都市伝説があったのかと感心しきり。

今朝、さっそく延岡の夫の両親に電話してみました。
夫の父上によると、かずやんは、父上(昭和4年生まれ)の中学校のころからいたとのこと。
延岡の地域紙「夕刊ポケット」(1992年発行終了)に訃報が載ったらしいです。

夏に延岡に行ったら、かずやんが住んでいたという愛宕山の麓(現在は道路になったらしい)に行ってみたいです。愛宕山は「日本夜景遺産」に選ばれていることですし。

それから、「おぐら」の「チキン南蛮」、夫も絶賛していたので食べてみたいし。(「味のおぐらチェーン徹底研究」のHPは、「こちら」をクリック。)

伝説の味といわれる「再来軒」のラーメンも。

もちろん、あの憧れの 「白くま」だって!・・・。

あぁ、今から楽しみです♪

ということで今回もローカルな延岡の話題でした。

九州掲示板 過去ログ倉庫は「こちら」をクリック。
延岡観光協会のHPは「こちら」をクリック。

ところで東京だと、小さい子が悪さをしたら
サーカスに売られて、お酢を無理やり飲ませられて 体を柔らかくされ、曲芸をさせられる
と言われていました。

こういうのって地方によって違うんでしょうか?
どなたかご存知でしたら、教えてくださいませ。

*写真は、日本橋人形町「まつむら」のワッフル(こちらはプレーン。チョコも美味しかった)。軽く焼くとさらに美味しくなると思います。(クリックで拡大します)
「まつむら」の「クリームパン」は、予約がいっぱいで買えないときもあるくらいでした。
カフェも併設されていて、普段はこちらでパンを買っています。「まつむら」は、「こちら」のHPも参考になりました。

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コメント

私が延岡を離れもう20年以上過ぎました。懐かしですね、ミーやん、カズやん、しかし今に成って考えてみたら私を含め大多数の延岡市民が浮浪者 知的障害者を激しく差別、罵倒し酷い人権侵害を犯していたわけです。今 思うと本当に申し訳ない事をしていたと反省しています。

投稿: ばぐ | 2008.07.11 14:11

義父によれば、カズやんかミーやんかの死亡通知が新聞に載っていたらしいです。
ぱぐさんんおおっしゃるように、今だったら問題視されちゃう酷い差別ですよね。
そういう歴史を風化させないためにも、カズやん、ミーやん伝説は語りつぐべきことなのかも。

投稿: きのこ | 2008.07.12 01:21

こんにちは、かずやんの名前で検索したらこちらが出てきました。
確かにかずやんに対してはそういう見方も出来るかも知れませんが、かずやんはとっても愛されていました。
だから訃報も新聞に載ったんです。
それを知って欲しくて今日はコメントします。

母も延岡出身でしたが、学校の帰りに良く追いかけられたそうです。
母は、祖母からかずやんは追いかけるから石を投げたり構ったりしてはいけないと言われていたそうです。
子どもを追いかける浮浪者なんて、もしかして今だったら措置入院になっていたかもしれないですよね。
精神病棟の、牢屋みたいな部屋に入って・・・
でも周りはかずやんを遠巻きにですが自由にさせていました。それはある意味温かいことかも知れません。
かずやんは障害はあったでしょうが、働いて彼なりに自立していました。私も何度か、学生の頃、リヤカーを引いてクズを集めるかずやんを見ていました。もう年寄りのかずやんでしたが、頑張っていました。

かずやんは結構頭が良くて、おなかがすくと店のりんご等を掴んで離さなかったりしたそうです。
(お店の人は数やんが掴んだりんごは汚いから売り物にならないからと、もうあげていたそうです。酷い言い草ですが、別の意味で温情も感じませんか?)
かずやんの家が災害で壊れたときに、かずやんが市役所に乗り込んだエピソードは有名です。
「俺の家を早く修理しないと役所に火をつけるぞ!」と言ったそうです。それでかずやんの家が一番に建ちました。
みんな、困った困ったといいながら、かずやんのことは「しょうがないなあ」と言いながら、それなりに大切にしていたのです。
だから、かずやんも自立して出来る仕事をして、あの町で暮らしていけたのだと思います。

延岡は田舎ですがとてもいいところです。
私ももう縁がなくなりましたが、懐かしいです。
鮎やなの時期など、ぜひ訪れてみてくださいね。

投稿: kumu | 2009.01.11 01:32

kumuさん、今まで知らなかったエピソードを教えて下さって、どうも有り難うございます。
お陰さまで、かずやんが彼なりに自立して生活していたことを知り、延岡の人たちの心の温かさを感じることができました。

私は2003年に結婚するまで、九州に足を踏み入れたこともなく、もちろん延岡のことも全然知りませんでした。
去年の秋には、鮎やなにも行き、ますます延岡のことが好きになりました
(このブログにも書きました。
「宮崎県延岡に帰省する#1延岡「鮎やな」(10/11)」
http://kino-ko.tea-nifty.com/tea_time/2008/11/1011-b1ae.html

年に一回は夫とともに延岡に帰っていますが、まだまだ知らないことは数多いです。これからも、どうぞ宜しくお願い致します。

投稿: きのこ | 2009.01.11 12:55

こんにちは。お返事ありがとうございます。
かずやんをとりまく人々を少しでもお伝えできたならとても嬉しいです。
(これを書きながら、新聞の訃報は「皆様に親しまれてきた●●かず●さんが永眠しました・・・」だったなあ、などと思い出していました)

延岡によく行かれているのですね。
鮎やなの記事、とても懐かしく感じました。ありがとうございます。私は今くまもとなのですが、この写真のような大きな鮎は中々食べることが出来ません。鮎やなで食べる、丸々と太った天然の鮎は香りも良くておいしいですよね。お写真に食い入ってみてしまいました(笑)

他の記事も読ませていただきました。
写真も多くて、とても面白いですね。素敵なブログだなあと思いました。
今後も良かったら読ませてくださいね。
お返事は不要ですので・・・それでは失礼します。

投稿: kumu | 2009.01.11 22:52

カズヤンとミ―ヤンは本当に懐かしいですね。

私は約30年前、延岡市内のアズマヤのお化け屋敷で、ミ―ヤンが、参加していたのを見たことがあります。
誰かその件について知っている!(覚えている!)という方は、いますか?

あと、ミ―ヤン・カズヤンの写真を持っている人いますか?

投稿: カズヤンとミ―ヤンの愉快な仲間たち | 2009.03.08 00:08

>カズヤンとミ―ヤンの愉快な仲間たち さま

貴重な情報、どうも有難うございます!ミーヤンさんも、周囲の方々といろいろ交流があったんですね。

何かご存知の方いらっしゃいましたら、よろしくお願い致します。

投稿: きのこ | 2009.03.08 13:19

そういわれてみれば、私が中学3年の時、アズマヤと寿屋の間の通りで友達と話していたところ、ミ―ヤンが近づいてきて、友達の頭をおもいっきり叩いて逃げられたことがあります。
友達は、とても痛がっていたけど、周りは爆笑でした!(^O^)

しかもしかも、別の友達は、学校から帰ってきたら、家でカズヤンがご飯を食べていたそうです。(これ本当の話です!)

投稿: カズヤンとミ―ヤンの愉快な仲間たち | 2009.03.08 19:33

みーやんはおじーかったけどかずやんはおもしりーはなしをしてくれちょったがね。

投稿: | 2010.05.06 22:16

不意に思い出して検索してたら、こちらに辿り着いた延岡出身の者です( ゚∀゚)ノ

ミーヤンはあまり記憶に無いのですが、カズヤンは小学生時分までに何度か見かけたので覚えております。大量のダンボールを積んだリヤカーを引いてたり、ある時はガソリンスタンドで気持ちよさそうにホースで水浴びしてた姿を思い出します。


昭和ヒトケタ産まれの父からは、若い頃のカズヤンは体格も良くて、強くて怖かったと聞きました。

懐かしい( ´∀`)

投稿: だたぁ | 2010.06.04 05:08

>だたぁさん

はじめまして。カズヤンの思い出を語っていただき、ありがとうございます。私は東京出身で全く知らなかったんですが、ガソリンスタンドで水浴びもされてたんですね!いろいろ想像が広がります。
夫との帰省のときに、カズヤンとミーヤンの話をまた聞いてみたくなりました。

投稿: きのこ | 2010.06.04 23:24

みーやんさんの事が記憶の中ではっきりしているのに、
周りの方が信じてくれないのです。
今は愛知県に住んでいますが、子供のころに延岡に
いました。お店のお客さまで宮崎県の出身ときくと、
みーやんさんの話になるのですが、誰も知りません。
私はみーやんさんを見た事があります。
パスから降りてきて丈の短い着物がはだけていました。
その後どうなったのか詳細はわかりません。
詳しく知っている方がいたら教えてください。

投稿: 山下麻由美 | 2010.12.23 02:01

>山下麻由美さん

年末延岡に帰省したときに聞いておきますsearch

投稿: きのこ | 2010.12.24 13:34

みーやんさんの話を義母さんから聞きました。いい家のご出身らしいですよ。
夫の従姉妹もみーやん、かずやんとも会ったことがあるそうで、こんど詳しく聞いておきます。

投稿: きのこ | 2011.01.10 22:51

若い頃、延岡に住んでいました。みーやんとカズヤンはいつも見ていました。とくにみーやんは毎日みてました。どちらもかずやん部落って名前の、朝鮮部落とも言われてたと記憶してますが、そこに住んでました。カズヤンは頭がよく、親の期待が大き過ぎたせいとか、ナニカの事情で精神を病んだといわれ、みーやんは生まれつき知能が低くかった気がします。みーやんはいつも浴衣みたいなものを着てましたが、かずやんは普通の、不労者の恰好でした。リヤカーを引き、行きつけのお店で、タバコやトイレの紙をバラで買っていました。廃品回収品を拾い集めていたと思います。みーやんは身軽に歩いてました。時々日活ロマンポルノの看板に抱きついて、チューしてました。後ろから肩をポンとたたかれたりして、怖かったです。実は延岡にはもう一人、伝説のおばさんがいます。エプロンおばさんです。沢山のエプロンや前掛けをしてて、エプロンくだーいっていいながら歩いていました。みーやんは亡くなったら、九州の大学で当時のお金でで五十万とかで研究の為に、引き取られると聞きました。正確な記憶でない部分もあると思います。ただとくにみーやんは、家の前を毎日往復してる姿をみてました。懐かしい思い出です。その後彼等はどう人生を生きたのでしょう。延岡に住んでいる姉に聞いてみようと思います。

投稿: 甲斐 | 2011.05.22 09:40

私が子供の頃、みいやんに出会うと恐怖で体が固まり動けなかったのを記憶しています。平原に住んでいると言うことしか知らなかったのですが、かずやんはバスの中から見かけるくらいでみいやん程のインパクトは感じませんでした。どこにも出没してましたね。私は土々呂に住んでいたので彼は平原から歩いて来ていたのでしょう、とても身軽な人だったような気がします。私の記憶では靴は履いてなくていつも草履それもわら草履だったような(?)それに短めの着物と言うより小袖のようなものを来ていました。
あれから45年ほどたちます。あの当時彼はいくつだったのでしょうか。

投稿: マリハナ | 2011.09.12 20:14

かずやんは近所に住んでたわwww
かずやんの家のあった場所をグーグルで見たけど家もなくなってる。かずやんは若い頃から喧嘩が強くて有名だった。みーやんの親はトサツ場で働いてた、家畜を殺して精肉にするとこだな。なのでたたられたんじゃないかと言われてた、20年前うちの亡くなった婆さんが言ってた。鉄の長い棒を心臓に突き刺す昔のやり方。
みーやんは病院に買い取られたと言うデマは嘘。普通に埋葬された、かずやんもね。当時かずやんも長い黒髪 するどい眼光 うちの身内や友達でかずやんを悪くいう奴はいなかったな 普通のおっさん プレハブの青い家もあったしホームレスじゃない、家の前をよく遊びに行った帰り通ってたからよく知ってる。ゴミ屋敷の今の連中の家より整理されて綺麗だったよ 綺麗好きなんだよカズやんは。

投稿: 近所だった俺 | 2016.11.28 23:57

1954年延岡生まれの私にも「今どきの若いもんは・・」と言われた頃がありました。あの頃は皆んなビートルズのまねをして男も長髪をするようになった時代でした。
しかし私の故郷では「ジョンレノンのようだ」ではなくて「かずやんのごたある」と言われてました。
かずやんとは、延岡市内の誰でも知っている有名な浮浪者のおじさんで、一年中汚れたぼろぼろの恰好をしていました。私も、子供のころから、かずやんが大きな袋を背中に担いで、長い髪の毛をなびかせながら街をスタスタ歩いているのをよく見かけました。

今から思えばあの人は頭は剥げてはいなかったし、白髪もなかったですから当時はおじさんではなくてまだ40歳位の働き盛りの人だったのかもわかりません。
ちょうど今から10年ほど前になりますが、延岡出身でかずやんの事をよく知っているY先輩に偶然話を聞くことがあり、その時の話を思い出しました。
かずやんの実像は、浮浪者、つまりホームレスではなくて、プレハブではありましたが、ちゃんと電気のつく家に住んでいたそうです。当時そのY先輩の父親は、製材所を営んでいたそうで、その為作業場から出る材木の切れ端を、かずやんに分け与えていたそうです。廃材を拾っては袋に詰めてどこかに運んでいたそうです。そんな昔のことを教えてもらい温かい気持ちになりました。

しかし、このあとY先輩は、自分の悪がきのころの話も聞かせてくれました・・・・
かずやんの家は、愛宕山のふもとでススキが茂っている恒富町のあたりだったそうですが、Y先輩が率いる悪がきグループがその家の周りに夕方に集まって、あたりが暗くなるのを待って家の電灯がついたら、四方八方から小石をガラス戸に向かってコツン!・コツン!と投げ込むのだそうです。電灯の光で外から家の中はよく見えるのですが、中から外は真っ暗闇で何も見えません。かずやんは周りを何者かに取り囲まれて、次々に投げ込まれる石ころに恐怖のあまり泣き叫ぶのだそうです。気違いのようになって暴れまわるかずやんを見て、この連中はおもしろくて、毎回、笑い転げたのだと言っていました・・・。

私は、Y先輩に聞いて以来、そのことがどうしても忘れることができなくて思い出すたびに悲しくなります・・・・もちろんその後Y先輩とは一度も会っていません。

投稿: shingo suitsu | 2017.04.05 10:24

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