人形町 「元吉原」 と 「玄冶店 (げんやだな)」 (追記あり)
私が住んでいる 日本橋 「人形町」 は、 江戸時代には 吉原遊郭があって 大変賑わった場所であり、 歌舞伎の舞台にもなった 「玄冶店 (げんやだな)」 がありました。
「吉原再見 (近世・江戸時代吉原遊郭)」 のサイトの中の、 「はじめに」 によれば、
吉原は、最初に設立された日本橋人形町付近の 『元吉原』、 その後、明暦の大火により 浅草の千束四丁目に移転した後の 『新吉原』 の2箇所があり、 『元吉原』 は わずか四十年しかなかったこと、明暦の火災によって資料がほとんど失われたことから、 現在 『吉原』 といえば 『新吉原』 を指す、とのことです。
人形町の大門通りは、昔の吉原遊郭の大門があったことに由来するようです。
以前(2004/12/5)、台東区 三ノ輪から一葉記念館・吉原神社・浅草 を散歩した際 (以前のエントリー 「千束・吉原・浅草 散歩」 に、写真入りで記事あり)、 千束にある 「吉原弁財天」 に行ったのですが、 そちらにあった、 平成元年三月、台東区教育委員会による 「花吉原名残碑 (台東区千束三丁目二十二番 吉原神社)」 に 「吉原遊郭」 のことが詳しく書いてありました。
以前のエントリーにも書きましたが、 それによると
「吉原遊郭は、江戸における唯一の幕府公許の遊里で、元和三年(1617) 葺屋町東隣 (現中央区日本橋人形町付近) に開設した。吉原の名称は、はじめ 葭原 と称したのを 縁起の良い文字にあらためたことによるという。
明暦三年(1657) の明暦の大火を契機に、幕府による吉原遊郭の郊外移転命令が実行され、同年八月 遊郭は浅草千束村(現台東区千束)に移転した。これを 「新吉原」 と呼び、移転前の遊郭を 「元吉原」 という。
新吉原は江戸で有数の遊興地のとして繁栄を極め、華麗な江戸文化の一翼をにない、幾多の歴史を刻んだが 昭和三十三年売春防止法の成立によって廃止された。」 とのこと。
今でも、人形町には 「芳町花柳界」 があり、 「芳町ネット」によれば、「都内でも最古の花柳界」 だそうです。
■追記 (2/18): tadonzakaさん のコメントをで思い出しましたが、元吉原の焼失の原因になった 「明暦の大火」 は、本郷が火元。 今の文京区 本郷から、 日本橋 人形町まで焼失させた、かなりの大火災だったのですね・・。 そういえば、 「本郷散歩その2」 のエントリーに写真を載せた、「本妙寺跡と明暦の大火」 の案内板がありました。
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ところで、江戸時代の名残をとどめるものとして、今回ご紹介するのが
「玄冶店 (げんやだな) 跡」 です。
人形町交差点からすぐ近く、人形町通りを小伝馬町方向へ、ちょっといったすぐ先に、案内板とともに 碑が建てられています。
この案内板によると、江戸時代には、この辺りは、幕府の医師で、三代将軍家光が重用した 「岡本玄冶」 の広大な拝領屋敷があったことから 「玄冶店 (げんやだな)」 と呼ばれていたそうです。
また、この案内板によれば、
「『玄冶店』 の名前は、歌舞伎 『与話情浮名横櫛 (よわなさけ うきなの よこぐし)』 の 『源氏店 (玄冶店)』 の場の一幕で、 お富 と 切られ与三郎 の情話の舞台となり、その名が広く知られるようになりました」 とのこと。
まさに、人に歴史あり、町にも歴史ありですね。
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こちらのすぐそばには、「うぶけや」 という老舗の刃物屋さんがあり、古くからの店構えがなかなかいい雰囲気です。 まだ入ったことはないのですが、いつかは鋏などを購入してみたい憧れのお店です。
*「うぶけや」 の店先と、店先に並べられた包丁や鋏。
*「維新の頃より明治のはじめの大江戸趣味風流名物くらべ」 の右上あたり、刃物の欄に、「うぶけや」の名前が載っていました。 (クリックで拡大します)
■うぶけや
住所:中央区日本橋人形町3-9-2
TEL: 03-3661-4851
日曜・祝日定休
営業時間:9:00 ~ 18:00(土曜は 17:00 まで)
*こちらの地図のほぼ真ん中あたり。人形町交差点付近 「玄冶店(げんやだな)跡」 のすぐ近く、人形町通り沿いにあります。 (地図は、クリックで拡大します)
人形町も、江戸時代に思いを馳せながら歩くと、また違った楽しさがあることを再発見した一日となりました。
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*以下は、今回のエントリーを書くにあたって、大変参考になったサイトです。
「日本橋“町”物語(江戸・明治から平成へ)」 の中に、 「人形町」 の名前の由来や、人形町の町の歴史など、 かなり詳しい解説があり、 大変読み応えがありました。
元吉原を含めた、江戸・吉原遊廓のことが、くわしく書いてあります。
元吉原地図があったり、疑似登楼が体験ができるようになっていたり、イギリス在住の「奥方」さまが作成された、非常に素晴らしいサイトです!!
日本橋のうぶな若旦那になって登楼した気分になれる「吉原登楼」などもあって、楽しめました。
■「ご機嫌!歌舞伎ライフ」 のサイトの中で紹介されている、
「与話情浮名横櫛 濡れ場と責め場 2003.3.15」 (歌舞伎&大向こう ウォッチング)
わかりやすい あらすじと、実際上演された 歌舞伎の模様が 臨場感をもって、とても詳しく書いてあり、実際この演目を観に行きたくなったくらいです。
■与話情浮名横櫛 (よわなさけ うきなの よこぐし)の簡単な解説は、こちら
(日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー・歌舞伎編・その三)
■日清紡の 人形町 「甘酒横丁」 のページ
わかりやすい地図と、詳しいお店の説明があって、行った気分で楽しめます。
「人形町ぶらり散歩」 では、人形町のオススメコースも掲載されています。
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■追記 (2/18)■
私の書いた グルメ関係のブログ記事が 多数掲載されています (^^)♪♪
でも、そのすべての記事が、グーグルマップの地図の位置と連動してるわけ
ではないのが残念でした・・。 ズームインしてどうぞ!
ともあれ、私の記事を 取り上げて下さった、 おさんぽマップ 作成者さま、
どうもありがとうございます!!
この中心は、人形町交差点です。 情報量がいまひとつかも ??
■ myk1016さんのサイト 「さるのちえ」 に、 歌舞伎 「与話情浮名横櫛」 のさらに詳しい解説 &名セリフが紹介されていました。 名調子、よいですね~。
●与話情浮名横櫛 2
後半に、「しがねぇ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取り留めてか
木更津から」 という 「切られ与三」 の 名セリフが出てきます。
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コメント
こんばんは、
うーん 勉強になりました。
いやさ、きのこ、ひさしぶりだな(笑)と大見得をきってと、
元吉原消滅のきっかけとなった明暦の大火ですが、火元が本郷ですからすごい火事ですよね。
ちなみに東京で10万人以上の死者が出た事件は、この明暦の大火と、関東大震災、東京大空襲の3つだけだそうです。
投稿: tadanzaka | 2006.02.18 00:36
「そういうお前は・・・」
「おぬしゃ~、俺を見忘れたか~」
・・・いや、まだtadanzakaさんにはお目にかかったことがないんで、わかんないです(笑)。
歌舞伎の名調子って、気持ちいいですね~。
「明暦の大火」 って、そういえば、「本郷散歩その2」 のエントリーに写真を載せた、「本妙寺跡と明暦の大火」の案内板がありましたね!!
http://kino-ko.tea-nifty.com/tea_time/2006/02/______094b.html
本郷が火元で、燃え広がって、人形町にあった吉原遊郭まで焼失しちゃったなんて、想像するだに、ひどい火災だったんですね・・・。
東京で10万人以上の死者が出た事件が3つあって、その一つにあたるなんてことも知らなかったです。
今日は tadanzakaさんのお陰で、すごーく勉強できて、楽しかったです。 かさねがさね、どうもありがとうございました!
投稿: きのこ | 2006.02.18 03:00