平将門の首塚
3/5(日)は、皇居の大手門の近くにある 「平将門の首塚」 におまいりしてから、 皇居一周サイクリングをしました。
*お花がきちんと供えられていて、先日のポタの際にはお線香も焚かれていました。
ちなみに、真正面から写真撮影をすると祟りがあるという噂あり。
「平将門 」 (903年 ~ 940年) は、 平安時代の武将。
平将門の乱で 関東一円を平定、 自ら 「平新皇」 と称して、 現在の茨城県坂東市に政庁を置き、政治を改革しようとしましたが、朝敵とみなされ 奇襲を受けて、 享年38歳の若さで死亡 (天慶の乱 (939~40))。
その首は京都の七条河原に晒されましたが、3日目に光を放って舞い上がり、 はるか東方のこの場所に落ちたと語り伝えられています。
神田明神のオフィシャルホームページによると、
将門公の祟りにより天変地異が続いたため、 その祟りを鎮めるために、1309年、 首塚の付近にあった神田明神に祭神として祭られました。 (その後、徳川家康は神領を寄進。 神田明神は江戸総鎮守として、江戸城の丑寅の鬼門に当たる、 現在、神田明神のある地に遷座 )
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時は移って、関東大震災の後、首塚のある地をならしして、大蔵省仮庁舎を建てたところ、 時の大蔵大臣、大蔵省の職員などの関係者十数名が死亡し、 怪我人が続出。
第二次世界大戦後、GHQが首塚を撤去し、この地を駐車場として造成しようとした際も、 ブルドーザーがいきなり転倒、運転手が死亡するなどの災いが生じたため、今でも将門公は恐れられているようです。
この近くの会社に勤めている友人によると、 現在でも、この近くにある会社では、デスクをこの首塚に背を向けて座らないように配置したり、 椅子に御札を貼り付けている人もいるそうです。
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なお、首塚の周りに、いくつもの蝦蟇の像が置かれていました。
これについては、 歌舞伎 「忍夜恋曲者」 に出てくる、平将門の娘、滝夜叉姫が蝦蟇の妖術を使って姿を消した話を想起させるものではないかと、私の父が言っていました。
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*史蹟 将門塚保存会 の 「東京都文化財 将軍首塚の由来」 の案内板
(後の写真画像は継ぎはぎしたので、色が変わっています。)
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*こちらの敷地内には、「酒井家上屋敷跡」 の案内板もありました。
歌舞伎 「先代萩」 で知られる 「伊達騒動」 の終末 伊達安芸 ・ 原田甲斐の殺害されたところだそうです。
詳しくは、 日比野利裕さまのサイト 「歌舞伎のおはなし」 の中の、「歌舞伎のおはなし 第137話 伊達騒動」。 大変参考になりました。
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■将門公の首塚は、東京メトロ 大手町駅C5出口からすぐ近く。
すぐお隣が三井物産の、道路沿いです。
(こちらのパノラマ風景画像で、緑が生い茂っているところ)
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*以下は、参考にしたサイトです*
■皇居「内堀」の中の 「平将門の首塚」のページ
(リンクされている首桶の画像のあるページは、かなり怖いと思いました。)
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■茨城県 坂東市ホームページ - わがまち観光 - 将門公と史跡
■茨城県 坂東市ホームページ - わがまち観光 - 資料に見る平将門
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(「東京絵入小誌・tokyo illustrated・ウェブマガジン」 より)
■「ディープ・ダンジョンver2.1」(marici 様のサイト) の中の 「うわごとのとなり」 の PICK UP 「巷のうわさ」 中にあるページ
現代における将門伝説なども詳しく書いてあり、大変参考になりました。
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■神田明神の中にある 「神田明神資料館」 では、現在、新春特別展 「将門公」 が開催されていて、 将門塚の資料も多数展示されていました (3月19日(日)まで)。
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