浅草・吉原散歩 その1 浅草 「待乳山聖天」(まつちやましょうでん)
2/25(日)は、夫と、浅草から吉原大門、三ノ輪を散策しました。
*今回の散策ルート *画像クリックで拡大します*
*明治40年 (1907)前後 *画像クリックで拡大します*
*隅田公園、「言問橋」(浅草側)の近くにある 「戦災慰霊碑」。
昭和20年3月10日 東京大空襲の当時、私の父は浅草区千束町1丁目に住んでおり、私の祖母、叔母たちが東京大空襲で亡くなっています。 隅田公園は、この空襲により亡くなった多くの人々を仮埋葬した場所で、戦後だびに付され、東京都慰霊堂(墨田区)に納骨されています。
*隅田公園ではちょうど梅まつりが開催されていて、言問橋からちょっと歩いた先の梅園では、梅がきれいに咲いていました。
「春~の~うら~ら~の、隅田川」の「花」の碑 も近くにありました。 作詞、武島羽衣 28歳、 作曲、滝廉太郎 21歳の時の作品。 かなり若い時の作品なんですね。
*「待乳山聖天」 (まっちやましょうでん。 公式サイトでは、「まつちやましょうでん」 と表記)。 正式名称は、本龍院。 この門の左側に本堂への階段があります。
*本堂は震災、戦災により本堂の建築物は焼失。 現在の本堂は、昭和38年に再建。
「待乳山」という名前のとおり、小高い丘にあります。
江戸時代には東都随一の眺望の名所と称され、 隅田川を一望する景勝地として、多くの錦絵に描かれたほか、詩歌の題材ともなったそうです。
*東都名所 「待乳山上見晴之図」 歌川(安藤)広重
●「待乳山の雪見」 鳥居清長 (東京国立博物館蔵)
●東都名所之内 隅田川八景 「真乳山晴嵐」 歌川(安藤)広重
古写真で読み解く広重の江戸名所 森川和夫:廣重の風景版画の研究ー(1)
●東都名所「真土山之図」 広重
古写真で読み解く広重の江戸名所 森川和夫:廣重の風景版画の研究ー(1)
●名所江戸百景 「真乳山山谷堀夜景」 広重 (江戸東京博物館蔵)
*本堂への石段下、右側にある、江戸時代の名残りをとどめる唯一の 「築地塀(ついじべい)」(土塀)
全長25間(45.5m)。立て札によれば、広重の錦絵にも描かれているそうです。
*江戸時代初期の歌人、戸田茂睡 の歌碑
(「あはれとは夕越えてゆく人もみよ まつち(待乳)の山に残すこと(言)の葉」)
ご本尊は聖天さま(大聖 歓喜天)。 二股大根と巾着を組み合わせた紋が使われています。
「大根」 は、 身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳。
「巾着」 は、 財宝で、商売繁盛を表すそうです。
境内のあちこちに二股大根と巾着のシンボルがあります。
*本殿の上を見あげると、二股大根が・・・・。
ちなみに鬼平などの作品で有名な 池波正太郎は、 浅草 聖天町、 待乳山聖天のすぐ近くで生まれたそうです
(池波正太郎「江戸切絵図散歩」新潮文庫に、筆者による生家あたりの地図掲載)
■待乳山聖天
住所:東京都台東区浅草7-4-1
TEL: 03-3874-2030
●待乳山聖天の公式ホームページ、(わかりやすい地図)
●大根まつりに行こう!~待乳山聖天大根まつり応援サイト~
待乳山聖天公式HPによれば、 毎年1月7日、正月中にお供えされた大根を調理した、風呂吹き大根を頂けるお祭りだそうです (ただし、2000食限定)。
●待乳山聖天は、 「浅草名所 (などころ) 七福神」 の一つです。(待乳山聖天に祀られている毘沙門天)
「その2」 に続きます。
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コメント
大根祭り行ってみたいですね。
投稿: tadanzaka | 2007.02.28 20:30
築地塀って根津にもありますよね。
こんなにあの周辺に行くようになる数年前に
わざわざ見に行ったのです。
投稿: 則(@@) | 2007.02.28 23:21
>tadanzakaさん、
大根祭りのことは、今まで知りませんでした。 東京って意外といろんな祭りがあるんですね。 私も行ってみたいです。
>則(@@)さん、
>築地塀って根津にもありますよね。
谷中 「観音寺」の 築地塀(台東区谷中5-8-28)のことですよね。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/meisyo/kannonji.html
ちゃんと街角にあって残っているところが、わざわざ見に行く価値ありですね。
投稿: きのこ | 2007.03.01 13:14