浅草・吉原散歩 その4 「一葉記念館」 から 「浄閑寺」 (投げ込み寺)
「その3」 の続きで、 台東区立 「一葉記念館」 へ。
■一葉記念館(樋口一葉) オフィシャルサイト,平成18年11月1日リニューアル・オープン
樋口一葉 (本名 奈津)は、明治5年(1872)生まれ。 17歳の時に父親が死去し、明治26年7月、 家計を支えるために本郷菊坂町から、 新吉原の近くにある竜泉寺町に移り住み、荒物駄菓子を始めました。
そのわずか10ヶ月後、本郷丸山福山町に転居し、本格的に小説を執筆。 「たけくらべ」 「にごりえ」 「十三夜」 などの最高傑作を残し、 明治29年11月23日、持病の肺結核により 24歳の若さで亡くなりました。
処女作「闇桜」原稿や、 吉原界隈が舞台となった「たけくらべ」の草稿などは、流れるような美しい筆跡。 復元された着物や家の模型に、当時の様子を想像しました。
入館は4時まで。閉館は4時30分と、かなり早めです。 私たちが到着したときは、4時を少し過ぎていましたが、受付の係りのおじさんにお願いしたら入れてもらえました。
*記念館前の公園に立つ、「一葉女史たけくらべ記念碑」
菊池寛が建てた 樋口一葉の碑は、 昭和20年3月の空襲で溶けてしまったと、 記念館前にある碑に書いてありました。
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その後、一葉記念館の近く、台東竜泉郵便局のそばにある 「樋口一葉旧居跡」 の碑へ (台東区竜泉3-15)。
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その後、日比谷線 三ノ輪駅の近くにある 「浄閑寺」(じょうかんじ)へ。
こちらは、安政二年(1855) の大地震の際、 たくさんの新吉原の遊女が 投げ込み同然に葬られたことから、 別名 「投込寺」(なげこみでら) と呼ばれています。
時間が遅く、残念ながら中には入れませんでした。
「新吉原総霊塔」、「永井荷風の碑」や 三遊亭歌笑の碑があるそうです。
■以前書いたエントリー、「千束・吉原・浅草 散歩」 (2004.12.14)
・・「三ノ輪」 から、建て替え前の「一葉記念館」、「吉原神社」、「吉原財弁天」、ここから散々道に迷って浅草寺裏まで歩きました。
この際、道がすごく複雑で苦労したので、地図を載せておきます。
*上下画像クリックで、それぞれ拡大*
◆Tokyo 老舗・古町・散歩
・・・私が、 吉原・千束散歩に行くきっかけになったサイトです。
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コメント
いつもながら、垂涎の食事に目が点です。
ダイエット中の小生には目の毒。
なので、こちらにチラッとカキコ。
アクセスが40万を越えていますね。
カウンターのことを気に掛けているのかどうか分からないけど、おめでとうって書いておきます。
投稿: やいっち | 2007.03.04 01:52
やいっちさん、どうもありがとうございます(^^)。
やいっちさんブログ「無精庵徒然草」に、先月の半ばで「アクセス数(ページビュー数)が「無精庵」全体で40万を既に越えている」と書いていらっしゃいましたよね!遅ればせながら、おめでとうございます。こんなところ書いてしまってすみません。
私が写真でお茶を濁しているのに比べ、やいっちさんのブログは内容が濃くて、じっくり読んで楽しいブログですし、きちんと更新もされているので、凄いなぁといつも感心しています。
やいっちさん、これからも、どうぞよろしくお願いします。
投稿: きのこ | 2007.03.04 21:59