13日目1) モン・サン・ミッシェル その1
「12日目10) モン・サン・ミッシェル 夜の散歩」 の続き。
13日目の8/25(土)は、「モンサンミッシェル」の修道院へ。 10:00すぎに着いた頃には、駐車場は車でいっぱい。 キャンピング・カーも停まっていました。
*「モンサンミッシェルとその湾」 "Mont-Saint-Michel and its Bay"(世界遺産)
昨夜は、明かりもなくて、こんなに足場の悪~い遊歩道 (ホテルから片道2km×2=4km!) を、ひたすらガシガシ歩いていたのでした・・。
*いよいよ、「モンサンミッシェル」!
入って左に観光案内所。右が修道院への参道。
*「王の門」"Porte du Roi"。 扉を鎖で吊る「跳ね橋」。
*参道の上、塀まで増築された家。
*「グランド・リュ」 "Grand Rue"、修道院へと続く狭い参道。
観光シーズンの京都の三年坂以上の混み合い方。 日本人の団体観光客もかなり多くて、ここはどこ? という感じ。 前に進むのすら大変な混雑ぶりでした。
*「サン・ピエール教会」"Église Saint-Pierre"
昨晩は、ここで引き返したのでした(涙)。
門の前には、ジャンヌ・ダルク像。
ジャンヌ・ダルクにお告げをしたのは、 聖ミカエル。 アヴランシュ司教オベールに、モンサンミッシェルに礼拝堂を建てよと夢の中でお告をしたという、 聖ミカエルと同じです。
Entrance by the cemetery on the other side.
*内部には、銀製のミカエル像もあるそうです。
*塔の上から、はるかに続く干潟を眺めることができました。
ここは干潮満潮の差が激しくて、以前は満潮時には水に囲まれた島となったそうです。
干満の差は15m以上。 最も大きい潮が押し寄せるのは、満月と新月の 28 - 36時間後といわれており、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、 猛烈なスピードで押し寄せてくるそうです。
中世の頃には、この修道院への巡礼者たちが、馬並みのスピードで満ちてくる潮にのまれて命を落としました。 修道院も目前なのに、 命を落とさなければならなかった多くの巡礼者。 さぞや無念だったことでしょう。
★潮の満ちひきの時間
http://www.ot-montsaintmichel.com/horaires_gb.htm
*干潟には、こんな落書きがいくつもありました。
*「修道院」"L'abbaye" (The Abbey)
★http://mont-saint-michel.monuments-nationaux.fr/en/?fl_r=18
入口は、さらに上った写真左側。 けっこうキツイのぼりでした。
*「修道院」"L'abbaye" (The Abbey) へ入口
さらに階段が続いています。
*上を見あげると、こんな感じ。 こんなものが人の力で作られたなんてスゴイことだと思います。
*受付までの長蛇の列。
*私たちは日本語のオーディオ・ガイドを借りました。(Audio Couple = 6 euro)
かなり詳しい解説で、夫はかなり端折ってましたが、ちゃんと聞くと興味深い内容でした。 もっともあまりに長すぎる解説なので、私も途中で端折ってしまいましたが。
*またまた階段を上ります。
*昨日の夜歩いたホテルからモンサンミッシェルへと続く道が見えました。 しみじみ~。
*かなり上まで上りました。
*この入口から中に入ると、
モンサンミッシェルの歴史がわかる数々の資料が展示されていました。
モンサンミッシェルは、708年、アヴランシュ司教オベールが、 夢の中で大天使・ミカエルからお告げを受けて、礼拝堂を建てたのが歴史の始まり。(オベールがなかなか信用せず、 しびれを切らした天使から、 脳天に穴を開けられた話は、こちら)
966年、ノルマンディー公がベネディクト会の修道院を建て、エルサレムをイメージした壮大な僧院が作られました。
11-12世紀には、ロマネスク様式の僧院。 13世紀、教会北側に "bâtiment de la Merveille" (ラ・メルヴェイユ)、「驚異」と呼ばれる、現在3層構造のゴシック様式の傑作が作られました。 そして百年戦争の際には、要塞として使われたそうです。
*17-18世紀、そして20世紀のモンサンミッシェル。
18世紀末のフランス革命の際、修道院は廃止されて監獄に。 1865年に再び修道院として復元されました。
*「西側テラス」"Terrasse de l'Ouest"
*そして、修道院の中の素晴らしいことといったら!!
続きます。 「13日目2) モン・サン・ミッシェル その2」
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント