「東京大空襲」被災63周年 東京都慰霊堂に行く
今日(3/10) で、「東京大空襲」 から 63年。
空襲で亡くなった、私の祖母と叔母たちの命日でもあり、両国にある「東京都慰霊堂」 に行ってきました。
*平和を祈るコンサート (津軽三味線)が開かれていました。
*東京大空襲の写真は慰霊堂の入って左側に何枚かかかっていました。
これは 東京空襲 昭和20年3月10日 台東区浅草の写真。(撮影、石川光陽氏)
こちらは関東大震災の「震災祈念堂」でもあるので、右側には震災の際の絵などが飾ってあります。
「東京大空襲」は、1945年(昭和20年) 3月10日 の深夜、 アメリカ軍の 300機以上もの B29爆撃機が 「無差別じゅうたん爆撃」を行い、 約19万発もの焼夷弾により、 墨田区、台東区、江東区を中心とする東京下町地区が火の海となったもの。
2時間あまりの空襲で、死者は10万人を超えるといわれています。
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私の父は 当時17歳。浅草寺の裏手、浅草区千束町2丁目に住んでいて、空襲にあいました。
この空襲で、父の母親(当時44歳)と 1人の姉(当時20歳)が猛火の中で、亡くなりました。
遺体の行方はわからず、当時の焼死体の写真を見ると、心底胸が痛みます。
甚大な犠牲、被害を被ったにもかかわらず、補償は全くありません。
何もしていない一般市民が犠牲になって、まったく補償もないなんて、本当に酷い話だと思います。
今日でも、米軍のイラク侵攻により、多数の人たちが犠牲になっています。
あらためて、「正義のための戦争」の非人道性について考えさせられました。
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東京大空襲については、石井真弓さんのブログ 「石井真弓のブログ◎Apertures」の中のエントリー「3/10は東京大空襲があった日 」でも紹介されています。
中でも、父と同じく、当時浅草千束に住んでいらした画家 狩野光男氏の絵とお話は、ぜひ多くの方に知っていただきたいなと思いました。
★「画家・狩野光男氏の絵と証言による東京大空襲/きかんし・あたごくらぶ」
当時のことは、とても辛い体験のためか、父もなかなか話たがらないので、 とても貴重なお話です。
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*すぐ近くにある「東京都復興記念館」で、今日まで「東京空襲資料展」が開催されていました。
空襲で亡くなられた方の遺品(亡くなった時刻に止まった時計など)や防空頭巾、空襲を受けた地区の地図、空襲を受けた方のインタビュービデオを見てきました。
館内には震災、戦災による被害品、絵画などが展示されています。入館無料。 震災と戦災とを、もうちょっと判りやすく区別して、もっと資料が充実されたらと思いました。
*復興記念館で購入(100円)した「東京大空襲の記録」と、頂いたパンフレット「後世に伝えたい空襲・艦砲射撃の惨禍 平和への想い」。
*パンフレットの中の、焼け野原となった両国の写真。(画像クリックで拡大)
*パンフレットの中の、東京大空襲後の焼死体の写真にショックを受けました。(画像クリックで拡大)
*東京大空襲の記録には、日本橋三越あたりの上空から、隅田川を経て江東付近をのぞむ、浜町公園や明治座などが写っている写真もありました。
*「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。 この中に、東京空襲犠牲者名簿が並んでいました。
ちなみに、「被災63周年 東京大空襲資料展」が、 明日まで 台東区の浅草公会堂ギャラリーで開催されています。
http://www.guidenet.jp/sp/index.php/archives/1745
「浅草戦跡マップ」 が一部200円で頒布されるそうです。(作成:台東9条の会/東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会)
★以前書いたエントリー:「東京大空襲から60年 ~ 東京都慰霊堂へ行く」
http://kino-ko.tea-nifty.com/tea_time/2005/03/60__.html
★「一般戦災ホームページ」
●墨田区における戦災の状況 (東京都)
(残念ながら、今のところ台東区のはありませんでした)。
●延岡市における戦災の状況 (宮崎県)
・・東京だけではなく、全国200ヶ所以上で空襲の被害がありました。
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コメント
東京で10万人以上の死者が出た歴史上の出来事は、明暦の大火、関東大震災、東京大空襲の3回なのだそうです。
私の母親も東京大空襲の夜、火にまかれながら、浅草を逃げ回りました。
神谷バーに逃げ込み、そこにも火の手が上がり、窓から子供なら逃げれるだろうと窓から外に逃がしてもらったそうです。
この日が来るたびに、あの時逃がしてくれた方がその後どうなったのか気になるそうです。
投稿: tadanzaka | 2008.03.10 23:57
昨日、TVで東京大空襲の番組をやっていましたね。
再現ドラマや記録写真を見て、当時を体験された方々は恐ろしい記憶が鮮明によみがえったのではないでしょうか。
きのこさんの記事も充実しているので、私のブログにリンクさせていただいてよろしいですか?
投稿: mayumiish | 2008.03.11 11:07
>tadanzakaさん、
tadanzakaさんのお母様も、私の父と同じく浅草にいらしたんですね。
神谷バーで逃がしてもらったからこそ、生き延びることができたとは。神谷バーをみるたび、さぞや感慨深いものがあることでしょう。
私の祖母や叔母たちを含め、10万人もの一般人が犠牲になっていることを忘れてはいけないですね。
生き残って心に深い傷を負ったり、苦労をしてきた方がいることも。
>mayumiishさん、
>TVで東京大空襲の番組をやっていましたね
私もあの東京大空襲の貴重な写真を撮って、それを守りとおした石川光陽氏の番組を見ていました。
>当時を体験された方々は恐ろしい記憶が鮮明によみがえったのではないでしょうか。
そうですね。辛い記憶はなかなか消せないものだと思います。
私の父や家族、その当時空襲の真っ只中にいた人々が、こんな恐ろしい目にあっていたとは・・。
自分の母親や姉妹の消息がわからないまま、おびただしい死体の片付けを手伝っていた父のことを思うと、胸が締め付けられる思いがします。
それから、私のほうこそ、リンクをどうもありがとうございます。おかげさまで、貴重な体験記を載せることができました。
私のほうもリンクしていただけると嬉しいです。ありがとうございます。
投稿: きのこ | 2008.03.11 21:05
詳細な記載をたいへんありがとうございます。
読み終わって、大きなため息をついてしまいました。
お父様がたまたま戦火をのがれられたから、いま、きのこさんとお話ができる・・・。
命の尊さを思います。
そして、戦争や無差別大量殺人について、現実の問題、として考えることの大切さを感じました。
投稿: すのじ | 2008.03.12 16:52
たしかに、父が助かっていなかったら、今の私は存在していなかったかもしれません。
>現実の問題、として考えることの大切さ
「もし、あの戦火の中に自分がいたら」と、多くの人に想像してみて欲しいと思います。
たとえ「正義のための戦争」という名目があったとしても、犠牲になるのは私たちと同じ、一般の人々なのですよね。
反対意見があったとしても、ある「空気」で否応無く突っ走ってしまうことがあると思います。
太平洋戦争にしても、テロの報復としてのイラク侵攻にせよ。
仕方がないと諦めないで、それを阻止する声をあげることが必要だと思います。
投稿: きのこ | 2008.03.13 01:16
初めまして。
先日の東京大空襲の報道に涙した者です。
そしてこちら様の貴重な記事に改めてご親族の皆様のご冥福を心から
お祈り申し上げます。
私は父が職業軍人として昭和19年レイテ沖海戦で戦死の遺児です。
長いトンネルを何とか通り抜けて参りました。
立場は違いますが、争いの無い真の平和を求める心は共通する事と存じます。
先日の報道の33枚を撮り続けた石川カメラマンの姿勢に感動致し
未熟な短歌を詠んでおります。
東京慰霊堂は3年前歴史倶楽部のメンバーと尋ね、お参りさせていただきました。
その時、左側にありましたご紹介のお写真がこの報道の石川氏と知りビックリ致しました。
お願いがございます。
慰霊堂には石川氏のお写真が何枚掲げられておりますでしょうか。
このことが知りたくて検索でお訪ねすることが出来ました。
未熟な歌ですが少し出来ましたので。
東京の惨状写る三十三枚 石川光陽の歴史の証言
三月十日の映像に見る真実は焼夷弾の雨と焼け跡の叫び
六十三年前戦火に焼かれた人たちの脂が言問橋に黒ずみ残す。
投稿: oko | 2008.03.17 14:08
okoさん、はじめまして。
okoさんのブログを拝見しました。レイテ沖海戦でもokoさんのお父様をはじめ、たくさんの方々が亡くなられたのですね。
歌を詠んで下さり、ありがとうございます。
今日も、東京大空襲のドラマを見ましたが、あの火の海の中に私の父もおり、私の祖母や叔母たちが命を落としたと思うと、涙なしにはみられませんでした。
戦争によって無念の死を迎えざるをえなかった本当に多くの人々のこと、そして残されて心に大きな傷を負った多くの人々のことを、忘れてはならないですね。
「自分がその戦争の状況下に置かれたら」と、一人でも多くの方が想像してみることが大切なのではないかと思います。
日本もアメリカのイラク侵攻に協力しましたが、戦争から学んだことを、なぜ生かせなかったのでしょう。
同盟国のアメリカに言われたから、仕方なく?そういう「空気」になってしまったと諦めないで、もっと声をあげるべきだったと思わずにはいられません。
>慰霊堂には石川氏のお写真が何枚掲げられておりますでしょうか。
申し訳ございませんが、数えていないのでわかりません。
あのスペース上、33枚すべて掲げられているわけではなかったと思います。
貴重な写真を残して下さった石川氏のことは、慰霊堂に行った後、テレビの番組を見て知りました。大変なご苦労だったと思いますし、残して下さって有り難いことだと思います。
投稿: きのこ | 2008.03.18 01:32
ご丁寧に有り難うございます。
お父様はご健在でございますか。
ご健勝をお祈り申し上げております。
この度の二夜連続の大空襲の報道はとても辛ろうございました。
石川氏のお写真の感想を詠ませていただきました。
慰霊堂に命をかけし写真のあり東京大空襲の実相を伝ふ
投稿: oko | 2008.03.19 23:05