某日は、 竹橋の東京国立近代美術館で開催されている「ゴーギャン展」(2009/7/3日~ 9/23(水・祝)へ。☆公式サイト http://www.gauguin2009.jp/

死を意識したゴーギャンが、これまでに描いてきたイメージの集大成として描いた大作、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(ボストン美術館所蔵、日本初公開)が、やはり圧巻。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」、という自分自身の人生を思索する哲学的問いかけ。
それに対して、描かれたモチーフとその関連性について思考をめぐらせ、しばし静かに立ち止まって思索。 作品と対話するように鑑賞。
画面左から右へと、生から死へ。 画面前と後とで、野性的で無垢なるものと、文明・知性を感じさせるものとの対比。
会場には、ゴーギャンの書簡による解説、以前に描かれたイメージとの対比や、モチーフの元となるペルーのミイラの画像など、考えるヒントを与えてくれていたのも良かった。
チケットを用意しておき、開館前に並んで、まっ先に、この作品を見に行った甲斐がありました。
作品の前で、あれこれ言わずにはいられない人たち、思索を妨げられるのでちょっと迷惑だったりして・・。 オバチャンたちから、作品に関係ないお話を、聞きたくもないのに、すぐそばゆえ耳に入れられちゃうよりはマシですが(苦笑)。
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ところで、ゴーギャン(1848- 1903年)には、妻と5人の子供がいるにもかかわらず、タヒチへの渡航前には、年若いお針子の女性と関係を持って、子供を孕ませていたり、タヒチに渡った43歳のときには、13歳の少女と同棲。二度目にタヒチに渡ったあとの48歳の頃にも、14歳の少女と同棲等々、しょうもないオヤジだけれど、ここでは芸術的なインスピレーションの源泉として許容されちゃうんですね。。
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期間限定展示の「かぐわしき大地」(大原美術館蔵)が見られなかったのは至極残念。
高校の修学旅行で倉敷の大原美術館に行き、はじめてこの作品を見て感動したことを思い出しました。
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一旦外に出て、毎日新聞社のパレスサイドビルの地下にある「赤坂飯店」の行列に並び、人気ナンバーワンの坦々麺で大満足
並んだだけの価値ありだった
と思ったあと、また美術館に戻って、常設の所蔵作品展 「近代日本の美術」へ。
土田麦僊の土田麦僊「湯女」、鏑木清方「墨田河舟遊」、川合玉堂「彩雨」、川端龍子「草炎」等々、私の好きな日本画が充実していたのが良かったです。
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