9、奈良 法隆寺(世界遺産)へ その1 五重塔・金堂
「薔薇の名前」の映画を久々見たあと、ウンベルト・エーコの原作(日本語訳)にすっかりハマり、昨日読了。取りだめた録画ディスクを見ていたり、少しづつ整理整頓してみたり。ヨガ、タブラのほか、夫と散歩、飲み会、風邪をひいて寝ていたりとで、すっかり更新が遅れていました。
「8、法隆寺の近くでランチ」のつづきで、 「法隆寺」。 http://www.horyuji.or.jp/
約1400年前の飛鳥時代(wiki)、聖徳太子(wiki)が建立した、「現存する世界最古の木造建築」 にして、日本で最初に登録された世界遺産。
まず、国宝 「南大門」(室町時代) をくぐり、西院伽藍へ。
国宝 「中門」 (飛鳥時代)。 仁王像のうち、右の阿形像は奈良時代に作られた日本最古の金剛力士像。左の吽形像は、首から下が傷みが激しく、室町時代につくりなおされたもの。そして 「五重塔」。
国宝 「五重塔」(飛鳥時代、日本最古の五重塔)。
国宝 「金堂」(飛鳥時代、内部に本尊 国宝 「釈迦三尊像」(飛鳥時代)、日本最古 白鳳時代の国宝 「四天王像」、有名な再現壁画のパネル等々、非常に見応えあり)。
五重塔、下から一段目の屋根を支える鬼。
ちなみに、五重塔は、昭和17年から戦争をはさんで解体修理が行われ、そのとき中心となった棟梁は、薬師寺金堂・西塔の再建も手がけた宮大工の西岡常一氏(wiki)。 後掲NHKの番組でも当時の様子が詳しく紹介されていました。
五重塔の内部は暗くて見難いのだけれど、奈良時代の塑像群、国宝 「塔本塑像」があります。
入ってきた中門の反対側の北面には、釈迦入滅直後の場面の「涅槃像土」。そこから時計と反対まわりに、西面には、釈迦の遺骨を分ける場面の「分舎利仏土」。南面には、弥勒菩薩の説法の場面の「弥勒仏像土」。東面には、釈迦の弟子である文殊菩薩と在世の資産家にして真理に到達していた維摩居士(wiki)との問答の場面の「維摩詰像土」。
後掲NHKの番組では、聖徳太子が「維摩経」「勝鬘経」「法華経」を重んじたこと(「三経義疏」(wiki))、それらの経典の元となった維摩詰(ゆいまきつ)、勝鬘(しょうまん)夫人のことが、わかりやすく解説されていたのも良かったです。
ラーメン鉢を連想してしまった「卍崩し」の金堂の欄干。 その意匠は、古代中国の木造建築の様式。
大講堂の外側は工事中。
以上を取り囲んでいる連子窓のある、国宝 「回廊」。 柱は、真ん中に膨らみのあるエンタシス。 フランスやイタリアの教会に付属している、緑を囲む回廊と比較してみると興味深い。
金堂の軒の下の組物、象の装飾など、飛鳥時代の建築の水準の高さに驚かされます。
五重塔の上の細かな装飾
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ここのところ、去年2009年3月に放映、11月に再放送されたNHKのハイビジョン特集「法隆寺」(前編:秘められた聖徳太子の夢・後編:守り継がれた奇跡の伽藍) など、以前録画していたディスクを見直していました。
番組では、法隆寺の伽藍、その国宝の全て。聖徳太子の仏教信仰、後年の太子信仰を通じて、日本に仏教が根付いていく過程などが紹介されていました。
今回、法隆寺をこの目でじっくり時間をかけて見る事ができ、本当に良かったと思いました。
つづきます。「10、奈良 法隆寺(世界遺産)へ その2 聖霊院・綱封蔵」
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