宮崎 綾 「綾城」(2010/08/22)
「宮崎 綾 綾の手紬染織工房、銀座 和光 秋山眞和染織展」の続き。
再現された戦国初期の山城である「綾城」へ。
★綾町役場のHPの観光案内マップと「綾城」、工芸体験ができる 「綾国際クラフトの城」
敷地内には、綾城のほか、国際クラフトの城が併設されています。
綾城は、日本城郭協会に中世山城の築城について考察を依頼し、数次の調査に基づき、昭和60年に再現された建築物。
城館内は歴史資料館になっていて、銃や刀、鎧、陣羽織、そして、島津に追われる身となり、後に豊後に落ち延びることになる伊東義祐(のちに天正遣欧少年使節団 wiki としてローマに行き、ローマ教皇にも謁見した「伊東マンショ」wiki の祖父)を城内に迎える場面が再現されていたりと、見どころがいろいろあって、入ってみて本当に良かったと思いました。
天守閣から見た、綾の景色。 (画像をクリックすると拡大します)
右を見ると、こんなかんじ。
左を見ると、こんなかんじ。
照葉樹林都市といわれる綾だけあって、広大な緑に囲まれた自然豊かな地であることがわかります。
天守閣をぐるっとまわってみると、
こんなかんじ。
入ってきた道。
再現された立派な城門。
当時、日本一の刀鍛冶といわれた田中国広の像。
この田中国広は、日向の一大豪族だった伊東氏が没落して豊後落ちをする際、のちに天正遣欧少年使節団の一員となる伊東マンショの侍従として功績を残したのだそう。
のちに、天正遣欧少年使節団としてインドのゴア、ポルトガル、スペイン、イタリアのローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノに行くことになった 「伊東マンショ」 wiki にも、遠く思いを馳せました。
飛行機もない時代、船での超長旅の末に着いたイタリア、ローマ。 おそらく私たちの想像を絶する旅だったろうと思います。
この伊東マンショがこの地にいたのを思うと、なおさら感じ入るものがありました。
つづきます。
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