田澤 耕 著 「ガウディ伝」 そして、サンタ・マリア・ダル・マル教会、王の広場、サン・ジャウマ広場まで
「ボルン地区を歩く Walk and Rest at Born, Barcelona」のつづき。
先週購入した、田澤 耕著 ガウディ伝 - 「時代の意志」を読む (中公新書) を、本日読了。 (Twitterでも書いていますが(・・・書いてない事のほうが圧倒的に多いけど
)、いろいろやってるので更新なかなか進みません)
「青い目」のガウディがサグラダファミリアの建築を引き継いだ経緯。 奴隷貿易が産んだ資金を元手にガウディのパトロンとなった新興富裕層。 植民地キューバとの関係(ラム酒のトップブランド「バカルディ」、高級葉巻「パルダガス」の創業者はカタルーニャ人)。 首都マドリードとは異なる カタルーニャ独自の気質と文化。 カタルーニャの激動の歴史等々。
バルセロナは、中世までは独立国家。 1857年まで市壁に囲まれ人口過密。 庶民は著しく衛生状態の悪い環境にあった旧市街。 資本家と労働者階級の、今とは比べものにならない著しい格差社会。 職人の子だったガウディ、そのパトロンのグエイ(通常は「グエル」と表記)が、いかに幸運をつかんだか。
この本を読むと、また違った目で写真を見ることができ、さらに同じ道を、ガウディやグエイ、若き日のピカソも通ったかと思うと、非常に面白かったです
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さて、サンタ・マリア・ダル・マル教会(Esglesia de Sta. Maria dela Mar)前の広場から、Carrer de l'Argenteria を通って、王の広場へ。
2011/8/15 PM6:30
「王の広場」 (Plaça del Rei, Barcelona) こういう歴史ある広場があるのも、バルセロナの魅力の一つ
★以前書いたエントリー記事「王の広場 (Plaça del Rei, Barcelona), レイアール・マジョール宮殿 (Palau Reial Major)」
王の広場の目の前に建つ 「レイアール・マジョール宮殿」 (Palau Reial Major)
宮殿の内部は、この翌日の午前中に「市歴史博物館」で見学しました。
カテドラル裏の細い道を抜けて、「サン・ジャウマ広場」 (Plaça de Sant Jaume)。バルセロナ市庁舎 (Ajuntament de Barcelona)。時計の針は、PM 6:50 を指しています。http://www.bcn.cat/en/ihome.htm
その向かい側にある カタルーニャ自治政府省 (Palau de la Generalitat de Catalunya, 1410-1619 Wiki)
実質一日目に通った自治政府省の建物の右側の小径は、観光客でいっぱい。
★詳しくは、以前書いたエントリー記事「サン・ジャウマ広場 (Plasa de Sant Jaume) から カテドラル (Catedral) への小路へ」
広場から、Carrer de Ferran 通りへの入口。 たくさんの人が歩いています。※画像クリックで拡大
前掲「ガウディ伝」によれば、バルセロナは 1888年(明治21年)、スペイン初の万国博覧会を開催し、世界25以上の国から一万二千の出店があったそう。
パリ万博には及ばないものの、当時のバルセロナのブルジョアジーの権勢、「先進工業地域カタルーニャ」の面目躍如といったところ。
日本からも、日本家屋が建てられたほか、横浜の絹、薩摩の陶磁、博多人形、等々が展示されました。
その当時のバルセロナを見た日本人は、さぞや驚嘆したことでしょう。
さらに、レイアール広場 (Plasa Reial) に向かって歩きました。つづきます。
「ファラン通り (Carrer de Ferran) から、レイアール広場 (Plaça Reial) へ」
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