旧ユダヤ人墓地 Alter Jüdischer Friedhof (Old Jewish Cemetery) in Frankfurt am Main
「フランクフルト散策 #2 公園から裁判所へ Frankfurter Stadtbefestigung - Eschersheimer Anlage, Gericht in Frankfurt am Main」のつづき。 地図は 「こちら」 をクリック。
途中でドイツ人女性に道を聞いたものの、あちこち歩いて今はどこにいるのやらの私たち
この路面電車の走っている通り Battonnstraße の右側には、1907年(明治40年)建築の アールヌーボー様式の商業ビル(Geschäftshaus im Jugendstil nach Entwurf von Franz Carl Becker)。 もっとちゃんと見ればよかったやも
★歴史的建造物とモニュメントのリスト
Liste der Kulturdenkmäler in Frankfurt-Innenstadt
・・・市壁があった時代の貴重な絵地図なども掲載されていて、非常に参考になりました。
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この道の先には、ナチスの犠牲となったフランクフルト・ユダヤ人1万1135人(名前が判明している人達のみ)の名前と殺害場所 (AUSCHWITZ (アウシュヴィッツ)など。UNBEKNNT = Unknown 不明もあり) を刻んだ鉛の刻印が、壁に横5列、ずらりとはめ込まれています。
「旧ユダヤ人墓地」 Alter Jüdischer Friedhof (Old Jewish Cemetery) の壁の Memory stones for murdered Jews
この刻印の意味を調べる過程で、「アンネの日記」(ANNE FRANK: The Diary of a Young Girl)を再読(文春文庫 、皆藤幸蔵訳)。
アンネ・フランクとその家族はフランクフルトに住み、アンネの父オットーはかなりの実業家として知られていたが、1933年、ヒトラーのユダヤ人弾圧を逃れるためにオランダのアムステルダムに移住。1942年6月から2年以上の隠れ家生活を経て、ユダヤ人の強制収容所へ。1945年2月に死去、享年15歳。
隠れ家発覚後から収容所、その死までのあまりに酷い、悲惨な事柄も、訳者(皆藤幸蔵)編として記されています。
「もし自分の身に起こったら」と想像するだに、なんて恐ろしい・・・。 この状況の中で、日記で率直に自らの考えを語り、夢を見ていたアンネ。 こんな普通の人たちが、ホロコーストにより、何百万人も虐殺されたとは。
★2007年8月14日に、アムステルダムの「アンネ・フランクの家」に行き、アンネの日記の現物を見たときのことを書いたエントリー記事 http://kino-ko.tea-nifty.com/tea_time/2007/10/post_81e3.html
この先に、Museum Judengasse ユーデンガッセ・ミュージアム(ユダヤ通り博物館, Jews' Alley museum)があります。
「フランクフルト・ユーデンガッセ」(Frankfurter Judengasse)は、フランクフルトにあったゲットー(ユダヤ人隔離居住区)のこと。wiki
ユダヤ人というだけで、恐ろしく差別されてきた歴史に戦慄。 ひどすぎるとしか言いようがありません。wiki
旧ユダヤ人墓地 Alter Jüdischer Friedhof (Old Jewish Cemetery)
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