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ケルンの町を歩く 古代ローマ時代の遺跡

ケルン大聖堂 二本の塔と西の玄関」のつづき。
ケルン大聖堂、二本の塔のある西側の広場で、甘~く美味しそうなにおいを漂よわせていた店先で、ワッフル購入。
ふわっふわで美味しかった

その後、人々がたくさん歩いていった流れについていくと、「ホーエ通り」へ。 ここは、車両通行禁止の町のメインストリート。

たくさんのショップやレストランが立ち並んでいました。 中でも楽しかったのが、写真右、「PYLONES」と書かれたショップ。 ポップで魅力的なデザインの雑貨や文房具などがたくさんありました 大聖堂とのギャップがものすごかったけど(笑)。
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このホーエ通りを左に曲がってしばらく歩くと、古代ローマ時代の下水施設の遺跡がありました。
ケルン(Cologne)は、古代ローマ時代、植民地として発展。 ケルンの名はラテン語で植民市を意味する Colonia に由来。
その昔、第14代ローマ皇帝 ハドリアヌスは、紀元121年から4年半かけ、属州各地を視察。
首都ローマから南仏を経て、ライン河防衛戦へ。 マインツ、ケルンなどを視察した跡、現在のイギリス、ゲルマニアに北上して、「ゲルマニア防壁」を視察しています。 はるか古代の昔、ローマから遠く離れた地で、インフラが整備されていたのには驚かされます。
(当時の視察ルートは、塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック (新潮文庫)、参照)
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何の建物かよくわからなかったけど、この建物の敷地の角に、その遺跡はありました。 右はその近くの歩道。 歩道には、自転車を停めるための柵あり。
なんでもない道なんだけど、ありがちなショップが並んだメインストリートより、こういうなんでもない道のほうが、私は興味をひかれます。
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さて、駐車場に戻りました。大聖堂が目印になっているので、迷う恐れなしですね。
屋上からは、大聖堂の屋根がよく見えました。
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さて、再び出発です。 夫よ、よろしくお願いします

ケルン大聖堂から町歩きを経て、駐車場を出たのが、PM4:30 頃。 これから、この日の宿泊地、モーゼル川沿いにあるコッヘム(Cochem)まで行かなくては

ナビでは、PM6:00頃到着になっていましたが、途中、休憩も入れたいし、給油もしたいし、ホテルのパーキングも探さなければいけないので、一時間くらいは余裕をもたないとだめかもです。

実際、コッヘムの町に到着したのは PM7:15過ぎ。 ホテル前のパーキングが満車だったので、離れたパーキングに停め終わったのは、 PM7:45 でした。

右は、ケルンの町中。 路面電車の走る通りに出ました。 この路面電車の通りを左に曲がって高速道路に出たいですが・・・。 一体、どこで途切れるでしょう?? 工事もしてたし、なかなか脱出できませんでした。。
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