ハイデルベルク旧市街 02アルテ橋(カール・テオドール橋) Alte Brücke(Karl-Theodor-Brücke) ※追記: 2013年6月の洪水
「ハイデルベルク旧市街 01コルンマルクトからマルクト広場へ Kornmarkt und Marktplatz, Heidelberg」のつづき。
アルテ橋 (カール・テオドール橋) Alte Brücke(= Old Bridge, Karl-Theodor-Brücke)の「橋門」 (Brückentor)。中世においては、旧市街の市壁の一部として、ゲートの役割を果たしていた。
プファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドール(Karl IV. Philipp Theodor, 在位、1743-1799年)は、これまで洪水で流されていた木の橋を石造りの橋へと架け替えました(1786年から1788年にかけて建造)。
その後、1945年、第二次大戦の末期に、ドイツ軍は連合国軍を阻止するために、このアルテ橋を含む、ネッカー川の橋のすべてを爆破。その後、1947年に復元。
http://www.heidelberg-marketing.de/content/tourismus/sehenswuerdigkeiten/historische_gebaeude/alte_bruecke/index_ger.html
http://ww2.heidelberg.de/Altstadt-Information/english/Sektor07/Sektor07_Brueckentor.htm
http://ww2.heidelberg.de/Altstadt-Information/english/Sektor07/Sektor07_altebruecke.htm
もっともハイデルベルクの町は、第二次大戦中は、ほぼ破壊を受けずに残った希有な町。 NATO軍の司令部が置かれ、アメリカ軍の施設もあり。
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橋のたもとにある、サルの像(Brückenaffe, Bridge Monkey)。Affe (アッフェ)= monkey
人間のような手で、鏡をこちらのほうに向けています。「まず、自らを顧みよ」、との警句。 元々は、15世紀に造られ、プファルツ戦争時に失われたが、1979年に再び造られた。
http://ww2.heidelberg.de/Altstadt-Information/english/Sektor11/Sektor11o_brueckenaffe.htm
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橋の上から、橋門を見る。 中世の素晴らしい橋が再現されています。
橋の上から眺めたハイデルベルク城 シェッフェルテラス (Scheffelterrasse) の基礎までよく見えた。
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★追記(2013/06/12):Facebook の 「Heidelberg City」 https://www.facebook.com/iloveheidelbergcity に、先日、南ドイツ、チェコ、オーストリア、スイスで起きた大規模な洪水(Central European floods) http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-22746889 の影響をハイデルベルクも受けたことが、写真とともに公開。
まさに、ちょうどここで写した、お城が写っている川の写真が 2013/06/2 付けで公開されており、 ネッカー川が増水し、川沿いの道までかなり浸水しており、ショックを受けました。。 すでに川の水もひいているようですが、早く町が復旧されますように!!
↓下の写真は、Facebook の 「Heidelberg City」 https://www.facebook.com/iloveheidelbergcity Heidelberg Cityさんが公開している写真(2013/06/2)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=583751218313555&set=a.116728858349129.13374.115584888463526&type=1
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ここからハイデルベルク城を眺めると、1689年、プファルツ戦争で破壊された、ディッカー塔 Dicker Turm の外側の壊れっぷりがよくわかる。
ネッカ川には、白鳥が数羽泳いでいた。城には白鳥がよく似合う、、という演出か!?
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橋の上の カール・テオドールの像(Karl-Theodor-Denkmal, Denkmal = デンク・マール 記念碑・像 monument の意味)と、ミネルヴァ (Minerva) の像。1784年、ハイデルベルク市が洪水にみまわれたことを示すプレートもあった。
http://ww2.heidelberg.de/Altstadt-Information/english/Sektor07/Sektor07_brueckenskulpturen.htm
橋は幅が広く、ヨーロッパでは流行なのか、橋の上には錠前がいくつもあった。 それにしても、落書きはダメだろうが。。
橋の向う側へ。 山の中腹、この後、頑張って上まで登った、哲学者の道に至る、シュランゲン小道が見えている。
この歴史ある美しいハイデルベルク城を渡ることができて、とても良かったです。
つづきます。「ハイデルベルク旧市街 03シュランゲン小道と哲学の道 Schlangenweg, Philosophenweg」
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