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ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 03 ハプスブルク家の物語

ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 02 建物内部」のつづき。
ウィーン美術史美術館は、ハプスブルク家の宮廷コレクション。そのため、歴代ハプスブルク家をめぐる人々の肖像画も数多く、その人々の歴史を知っているだけで、断然、興味のあり方が違ってくると思います。

私たちが行った時には、2階の中央、特別展の展示室に、オーストリア・ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝、レオポルト1世(Leopold I., 1640-1705, 神聖ローマ皇帝在位:1658-1705) と、その最初の妻、スペイン・ハプスブルク家出身のマルガリータの絵。 こんなに激しくインパクトのある顔と衣装が後世に残されるとは
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そして、この二人。 なんだか陽気で楽しそう それもそのはず。 二人は 1666年に結婚。 その披露宴に伴う祝祭は、なんと2年近くに及び、後々の世まで語り継がれ。 上の絵は、翌1667年、芝居の主役となった二人が、芝居の衣装をつけて描かれたもの。by. ヤン・トーマス (Jan Thomas)。

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ところで、15才でウィーン宮廷に輿入れしたマルガリータ (マリア・テレサ、1651- 1673) は、スペイン・ハプスブルク家 フェリペ4世と、その2番目の妻マリアナの娘。 マルガリータの母マリアナは、レオポルド1世の姉なので、叔父・姪間の近親婚

その結婚前、お見合い写真のかわりにウィーン宮廷に送られたのが、巨匠ベラスケスの肖像画。
「薔薇色のドレスのマルガリータ」 3才。 その2年後にはスペイン・プラド美術館にある「ラス・メニーナス(宮廷の官女たち)」が描かれ、そして、5才になった「白いドレスのマルガリータ」。 "Infanta Margarita Teresa in Pink Dress" (1654), "Infanta Margarita Teresa in White Dress"(1656) ,by Diego Rodríguez de Silva y Velázquez
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8才になったばかりの 「青いドレスのマルガリータ王女」 "Infanta Margarita Teresa in a Blue Dress" (1659)
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4回(6回説もあり)妊娠するも、娘一人残して21才で死去。 写真右は、父フェリペ4世。
以上、中野京子著 「残酷な王と悲しみの王妃」がとても参考になりました。

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ちなみに、レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝) と三人目の妻との子である神聖ローマ皇帝カール6世は、一般に女帝と呼ばれるマリア・テレジア (1717-1780) の父。 すなわち、レオポルト1世の孫=マリア・テレジア。

マリア・テレジアは、その相続を認めさせるために、8年にも及ぶオーストリア承継戦争を経なければならず、その前後にわたって16人の子供を出産。 婚姻政策により娘、マリー・アントワネットをフランスのルイ16世に嫁がせています。

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さて、時遡って、幾多の戦い、婚姻外交を経て、ハプスブルク家をヨーロッパ有数の名家の高みへとその領土を広げ、ドイツ王、兼、神聖ローマ皇帝として君臨したのが、「マクシミリアン1世」(1459-1519)。その偉大な風格が見事に表現されている、アルブレヒト・デューラー 「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の肖像」。 "Portrait of Maximilian I"(1519), by Albrecht Dürer.
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その右側は、「皇帝マクシミリアン1世とその家族」 by ベルンハルト・シュトリーゲル "Emperor Maximilian I with His Familly"(1516-1520), by Bernhard Strigel.
一番左がマクシミリアン1世。右に進んで、その孫、オーストリア系ハプスブルク家を承継したフェルディナント1世。同じく、マクシミリアン1世の孫でスペイン系ハプスブルク家を承継し、ドイツ王、兼、神聖ローマ皇帝となったカール5世(スペイン王としてはカルロス1世)。マクシミリアン1世の息子のフィリップ美公、マクシミリアン1世の妻、その前にいる人物は不明。

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写真左側は、「皇帝カール5世」 Kaiser Karl V. (1532), by ヤコブ・ザイセネッガー Jakob Seisenegger (Wiki)
。 先ほどの家族の肖像に比べると、年齢ばかりではなく、数々の歴戦を経てきた人物の風格を感じます。どうしても真ん中に視線が集中しちゃいますけど(笑)。
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その右側は、フェリペ2世の4人目の王妃、「アナ・デ・アウストリア」(スペイン語名:Ana de Austria、ドイツ語名:アンナ・フォン・エスターライヒ Anna von Österreich, 1549 –1580)。

父は神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世、 母はフェリペ2世の妹。 叔父フェリペ2世との叔父・姪結婚。スペイン王妃となり、跡継ぎフェリペ3世を産む。
オーストリア・ハプスブルク家を継いで神聖ローマ皇帝となった ルドルフ2世 (1552-1612) は、彼女の弟。

以上、中野京子著 「名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)」参照。

★“The World of the Habsburgs” (ハプスブルク家の世界) ウェブ上のヴァーチャル展覧会 http://www.habsburger.net/en

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美術館からは脱線ぎみですが、写真はすべてウィーン美術史美術館の展示作品。
オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家とで、濃すぎる近親婚が行われていたのには驚くばかり。 その結果は、、ということで続きます。「ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 04 スペイン・ハプスブルク家

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