ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 04 スペイン・ハプスブルク家
「ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 03 ハプスブルク家の物語」のつづき。
さて、1521年、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王としては、カルロス1世)は、スペインに関する地位と領土は、自らに(その後、息子のフェリペ2世が承継)。 オーストリアに関する地位と領土は、弟のフェルディナント1世へと、ハプスブルク帝国を分割。
そして、前述のように濃すぎる近親婚が続きまくった、スペイン・ハプスブルク家。
フェリペ4世と最初の妻、エリザベート(フランス王アンリ4世とマリー・ド・メディシスの娘)との間には、バルタザール・カルロス Baltasar Carlos 1629-1646) が産まれるも、16才で死去。 マリア・テレサ(María Teresa de Austria 1638-1683)は、フランスのルイ14世と結婚。
ディエゴ・ベラスケス 「王子バルタサール・カルロス」 "Infant Baltasar Carlos von Spanien"(1640頃) by Diego Rodríguez de Silva y Velázquez (1599-1660)。同じく、ディエゴ・ベラスケス「王女マリア・テレサ」(1652-1653年) "Infanta Maria Teresa"(1652/53)
このマリア・テレサについては、中野京子著 「名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語 (光文社新書)」が、とても参考になりました。
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フェリペ4世と2番目の妻マリアナとの間には、前掲 マルガリータ (マリア・テレサ、1651- 1673) のほか、 フェリペ・プロスペロ (Felipe Próspero 1657-1661) が産まれるも、4才になる数日前に死去。その5日後、カルロス2世 (Carlos II 1661-1700) が産まれるも病弱、後継者として問題があり、跡継ぎを残せず 39才になる数日前に死去。
その後、スペイン承継戦争が勃発。 スペインは、フランス・ブルボン家の手に渡ります。
以上、中野京子著 「名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)」のほか、フェリペ・プロスペロ王子については、中野京子著 「怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)」。カルロス2世については、中野京子著 「怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)」等々を参照しました。「怖い絵」シリーズは朝日出版社版も読みましたが、歴史を知ると、なおさら絵にも興味がわいてきます。 かなり好きなシリーズ本で、他の本と重複している箇所もありますが、事前に読んでいって、とても良かった。
美術館の話題からちょっと離れてしまったし、私自身も疲れたので、ウィーン美術史美術館に併設されているカフェ・レストランの話題へ。
つづきます。「ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 05 カフェで休憩 Cafe & Restaurant」
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