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2013年10月の20件の記事

ウィーン「シュテファン大聖堂」 モーツァルト、クルツィフィクス礼拝堂 A Mozart Walk - Kruzifixkapelle, Stephansdom

ウィーン 路面電車でベルヴェデーレからシュヴァルツェンべルク広場 -  街頭体重計、スーパー、騎馬像、ヒトラー」のつづき。
★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)

地下鉄 U1 で Karlsplatz から Stephansplatz まで。 「シュテファン寺院 (Stephansdom)」 の広場から、「モーツァルト・ハウス (Mozarthaus Vienna)」 など、モーツァルトにちなんだ、ウィーンの路地を散策します。

まずは、「シュテファン寺院・大聖堂 (Stephansdom)」の外側、馬車フィアカーがたくさん集まっている場所、地下のカタコンベへと通じる "Kruzifixkapelle" (クルツィフィクス礼拝堂、十字架のチャペル) 。こちら側からは、ウィーン市の紋章とオーストリア共和国の紋章 (das Wappen der Stadt Wien und das Wappen der Republik Österreich) のモザイクが見えました。
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「クルツィフィクス礼拝堂 (Kruzifixkapelle)」 (十字架のチャペル)
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モーツァルト (ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト, Wolfgang Amadeus Mozart (1756年1月27日 - 1791年12月5日)は、ザルツブルク生まれ。 1762年、6才のとき、シェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの御前で演奏。 1781年、25才のときにウィーンに定住。 翌1782年、コンスタンツェと結婚し、当時住んでいた教区であったシュテファン大聖堂で結婚式を挙げました。そして、1791年12月5日、35才でウィーンで死亡。その翌日、シュテファン大聖堂の礼拝堂でお葬式。

「クルツィフィクス礼拝堂 (Kruzifixkapelle)」の、鉄柵の門の中にある十字架の下のプレートには、
"AN DIESER STÄTTE WURDE DES UNSTERBLICHEN W.A.MOZART LEICHNAM AM 6 DEZ 1791 EINGESEGNE W(?) SCHUBERTBUND 1931" 「この場所で、不滅のモーツァルトが、1791年12月6日に最後の祝福を受けた ウィーン シューベルト連盟 (注:ウィーンの合唱団)1931年」と銘文が刻まれています。

★Retracing the Footsteps of a Genius - A Mozart Walk
http://www.wien.info/media/files/retracing-the-footsteps-of-a-genius-a-mozart-walk.pdf
http://www.wien.info/media/files/mozart-spaziergang.pdf

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この「クルツィフィクス礼拝堂 (Kruzifixkapelle)」の隣が、
"Stephansdom Capistran Chancel" (カピストラーノの内陣)
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東ローマ帝国(ビザンチン)の首都、コンスタンティノープルが、オスマン帝国(オスマン・トルコ)の皇帝マホメット2世の攻撃に敗れた歴史的な年が1453年。その3年後の1456年、オスマン帝国に対して聖戦を呼びかけたジョン・カピストラーノ (St. John Capistrano) の記念碑。http://en.wikipedia.org/wiki/St._Stephen's_Cathedral,_Vienna

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内陣側と、ひときわ高い南塔 (Südturm)
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★南塔、その他シュテファン大聖堂については、「ウィーン 「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」ライトアップ」の記事 http://www.stephansdom.at/dom_architektur.htm

北塔(Nordturm)
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★見学については、http://www.stephanskirche.at/ 日本語もあり

このあと、シュテファン大聖堂の広場から、抜け道、路地を通って、 「モーツァルト・ハウス (Mozarthaus Vienna)」 まで。
つづきます。 「「モーツァルトハウス・ウィーン」 A Mozart Walk - Mozarthaus Vienna

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ウィーン 路面電車でベルヴェデーレからシュヴァルツェンべルク広場 -  街頭体重計、スーパー、騎馬像、ヒトラー

ウィーン 「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」 Schloss Belvedere」のつづき。
路面電車 D線で Schloss Belvedere ベルヴェデーレ宮殿から、ホテル最寄りの Schwarzenberg-platz シュヴァルツェンべルク広場まで。 ホテルに戻って一時間ほど休憩、昼寝。

路面電車 D線 ベルヴェデーレ宮殿 (Schloß Belvedere) の停留所 (STRASSENBAHN, HALTESTELLE)
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★ウィーンの地図 http://www.wien.gv.at/stadtplan/
公共交通機関 Öffentlicher Verkehr にチェックを入れる
★路面電車については、「ウィーン 「セセッシオン」  路面電車で「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」へ Wiener Secession to Schloss Belvedere」の記事
※ß = ss, Strassenbahn (Straßenbahn) シュトラーセン・バーン = 路面電車 streetcar, Haltestelle ハルテ・シュテレ = 停留所)

停留所の脇には、有料 街頭体重計
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路面電車の中。皆さん外を眺めていますが、何があったかというと、
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オイゲン公通り (Prinz-Eugen-Straße) 沿い、ファサードに美しい彫刻のあるブラジル大使館の建物 (1894年建築, Prinz-Eugen-Straße 26)
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★ウィーンの建築物については、ウィーンの地図 http://www.wien.gv.at/stadtplan/ Aktueller Unterbereich: Kultur­gut で一つ一つ確認することができるようになっています。それだけ、文化的に価値のある建築物だらけのウィーンなのですね

建物のファサードを眺めているだけでも、ウィーンらしい感じ。
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シュヴァルツェンべルク広場 Schwarzenberg-platz の路面電車の停留所
シュヴァルツェンべルク (Schwarzenberg) 将軍の騎馬像が立っています。
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シュヴァルツェンべルク (Schwarzenberg) 将軍 (Karl Philipp Fürst zu Schwarzenberg, Fürst フュルスト = 侯爵, Karl Philipp, Prince of Schwarzenberg (1771–1820)) は、ボヘミアと中央ヨーロッパの貴族の出身。

最後の神聖ローマ皇帝 (在位1792-1806) であり、最初のオーストリア皇帝フランツ1世 (Franz I., 在位1804-1835) となった、「フランツ2世」 (Franz II., 1768-1835) の治世の頃。「ライプチヒの戦い」 (Battle of Leipzig, 1813) で、オーストリア・プロイセン・ロシア・スウェーデン軍の同盟軍総司令官として、ナポレオン率いるフランス軍に勝利し、翌1814年、パリの戦いでも勝利し、ナポレオン1世を退位に追いやった人物。

この騎馬像の記念碑は、フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I. 1830-1916, オーストリア帝国、のちオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝在位 1848-1916) の治世、1867年のもの。http://de.wikipedia.org/wiki/Karl_Philipp_zu_Schwarzenberg

ナポレオンに領土を蹂躙された上、娘を嫁に差し出さなければならなかった フランツ2世については、「ウィーン 「マリア・テレジア像」、「ブルク門」 Maria-Theresien-Denkmal, Äußeres Burgtor (Wien)」の記事に書きました。
オーストリアは、諸外国との幾多の戦いの歴史を経て、今日あることを認識させられます。

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シュヴァルツェンべルク広場、ホテルのすぐ近くにあるスーパー SPAR で、ちょこっと買い物。 マクドナルドも入ってたんですね。
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私たちが滞在していた 「ホテル・インペリアル・ウィーン (Hotel Imperial, Vienna)」 http://www.imperialvienna.com/en
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★前に書いたエントリー記事
「ホテル・インペリアル・ウィーン」(Hotel Imperial, Vienna) 01 車でホテルへ
ウィーンのホテル「ホテル・インペリアル・ウィーン」 02 部屋
「ホテル・インペリアル・ウィーン」 03 朝食

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このウィーン、リンク沿いのホテル・インペリアル・ウィーンに、1938年3月、ドイツにオーストリアを併合した、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889-1945) も滞在していたとは・・・。 バルコニーからの写真 http://www.thirdreichruins.com/vienna.htm

ヒトラーによるオーストリア併合については、NHKのドキュメンタリー、NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望で詳しく紹介されていて、録画ビデオを何度も見返したところ。 映像の世紀、「チャラララーン」の超重々しいメロディーが、頭の中で止まらなくなっちゃったほど これについては、のちほど新宮殿で。
★「ウィーン新王宮 ヒトラーの演説、ハンナ・アーレントとSNS「いいね!」」の記事

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ホテルの中で、しばし休憩&昼寝 一時間後に、ウィーンの街を散策&予約していたレストラン
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つづきます。「ウィーン「シュテファン大聖堂」 モーツァルト、クルツィフィクス礼拝堂 A Mozart Walk - Kruzifixkapelle, Stephansdom

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ウィーン 「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」 Schloss Belvedere ,「オイゲン公の冬の宮殿」 Winterpalais Prinz Eugen

ウィーン 「セセッシオン」  路面電車で「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」へ Wiener Secession to Schloss Belvedere」のつづき。

「ベルヴェデーレ宮殿 (Schloss Belvedere)」の門の前に到着。
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「ベルヴェデーレ上宮 (Upper Belvedere)」には、世界最大規模のクリムトの油絵のコレクションがあることで有名で、クリムト 「接吻」をはじめとするウィーン世紀末の絵画は、2階に展示されています。

私は事前にウェブで、ベルヴェデーレ上宮 (Upper Belvedere) のチケットを購入。12.50 euro
★公式サイト http://www.belvedere.at/en "Tickets"

上宮入口は、門を入って左側へ。 美しいスフィンクスがお出迎え チケット売り場は門を入って右側へ。
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「ベルヴェデーレ上宮 (Upper Belvedere)」
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バロック様式の美しい宮殿。 この宮殿は、オーストリア帝国軍総司令官、オイゲン公 (Eugen von Savoyen (Prinz Eugen), 1663-1736) の 「夏の離宮」 として、バロック建築の巨匠 ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント (Johann Lukas von Hildebrandt, 1668-1745)の設計により、1714年から1716年にかけて下宮(Unteres Belvedere)が、1717年から1723年にかけて、この上宮(Oberes Belvedere)が建造されました。
http://www.belvedere.at/en/schloss-und-museum/oberes-belvedere

天井画のある華麗な大理石のホールから、庭、そして、ウィーンの町を望む。
庭をはさんだ向う側には、ベルヴェデーレ下宮 (Unteres Belvedere) 。左側、遠方には、シュテファン大聖堂の南塔が見えています。
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オイゲン公は、元々パリ出身のフランス人。 フランス語で Belvédère = 見晴台。 オイゲン公も、18世紀、ここから美しい景色を眺めていたんですね

クリムトのコレクションは非常に充実していて、とても見応えがありました。黄金の輝き、装飾的な色彩の使い方など、実物をみることができ、とても嬉しかったです。

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★追記(2014/02/01)
チェコのプラハ城の城外のすぐ北にも、「ベルヴェデーレ離宮」と呼ばれる宮殿と美しい庭があります。

この宮殿は、神聖ローマ皇帝カール5世から、オーストリアに関する地位と領土を承継した、フェルディナント1世 (Ferdinand I, 1503-1564、神聖ローマ皇帝在位:1556-1564) が、王妃アンナのためにつくらせた、「夏の離宮」と呼ばれるもの。田中充子著 「プラハを歩く」(岩波新書)によると、幾人ものイタリア人庭師、建築家が関わり、当時、「アルプス以降で、最も美しい本格的なルネサンス宮殿」 といわれたとか。
そして、イタリア語でも、ベルヴェデーレ(belvedere)= 見晴台の意味。

フェルディナンド1世は、ハンガリーとボヘミア王を兼ねていましたが、オイゲン公が仕えた、レオポルド1世もボヘミア王、ハンガリー王を兼ねていたので、チェコのこのベルヴェデーレ離宮のことが念頭にあったかもと思いました。

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カレンダーを購入 14.90 euro
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オイゲン公は、あのベラスケスの絵で有名なスペインのマルガリータと結婚したレオポルト1世(Leopold I., 1640-1705, 神聖ローマ皇帝在位:1658-1705) の治世の頃、オスマン帝国 (オスマン・トルコ) による「第二次ウィーン包囲」により、神聖ローマ皇帝の居城のあったウィーンが攻撃にさらされた際に武勲をたて、スペイン承継戦争や、数々の戦いを勝ち抜き、オーストリアに多大な貢献をした人物。 マリア・テレジアの父、カール6世の代まで仕えました。

新王宮前のヘルデンプラッツ(Heldenplatz, 英雄広場) には、バルコニーの前にオイゲン公の騎馬像 (1865年) があります。
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下宮などもぜひ見てみたかったベルヴェデーレでした。名残惜しい。。
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ところで、「オイゲン公の冬の宮殿」 Winterpalais Prinz Eugen von Savoyen (1698年完成) が、2013年10月18日から公開中(Prinz Eugen von Savoyen - 350 JAHRE オイゲン公、生誕350周年)。
ウィーン1区ヒンメルプフォートガッセ (Himmelpfortgasse 8, 1010 Vienna) にある豪華な宮殿の部屋が見られるとあって、今度ウィーンに行くときには是非見に行きたいものです!
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http://b2b.wien.info/en/press-media-services/pressservice/2013/05/05-ja/prinz-eugen-winter-palais
ヨーロッパ旅行✈情報部@euro_tour さんの情報 https://twitter.com/euro_tour

つづきます。「ウィーン 路面電車でベルヴェデーレからシュヴァルツェンべルク広場 -  街頭体重計、スーパー、騎馬像、ヒトラー

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ウィーン 「セセッシオン」  路面電車で「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」へ Wiener Secession to Schloss Belvedere

シェーンブルナー・パノラマバーンで、「グロリエッテ」へ Schönbrunner Panoramabahn Wien im Schloßpark」のつづき。
地下鉄 U4 で Schönbrunn駅 から Karlsplatz駅 まで行き、「セセッション (Secession)」 の近くまで。 時間があったら中にも入りたかったんですが、月曜休み。せめて外観だけでも拝んでみたい~

「セセッシオン (Secession)」 (分離派会館) http://www.secession.at/
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1897/1898年、オットー·ワーグナー (Otto Wagner) の弟子、 ヨーゼフ·マリア·オルブリッヒ (Joseph Maria Olbrich) の設計により建築。
3000枚もの金箔の月桂樹の葉と700個の実で覆われた、金色のドームが目を惹きます。
第二次世界大戦中、爆撃によって損傷、退却ドイツ軍によって火災にみまわれるも、戦後再建。 http://www.secession.at/building/geschichte_e.html(破壊された建物の写真あり)

正面入口上には、「DER ZEIT IHRE KUNST DER KUNST IHRE FREIHEIT」 と、「時代には、その芸術を。 芸術には、その自由を」 (ZEIT ツァイト = 時代 (the times), ihre = 不定冠詞類・所有、KUNST クンスト = 芸術 (art))というスローガンが掲げられています。

ウィーン分離派の画家、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862-1918)の大作 「ベートーヴェン・フリーズ」(DER BEETHOVENFRIES)をできれば見たかった(クリムトは、1905年分離派から脱退)

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ところで、「セセッシオン (Secession)」は、旧来の芸術団体からの分離派として、ドイツ・オーストリアで起こった絵画・建築・工芸などの革新運動 (ドイツ語では Sezession ゼツェスィオーン)。

フランスの印象派やアールヌーヴォーなどの影響を受け、1892年 「ミュンヘン分離派(münchener secession)」、1897年 「ウィーン分離派 (Wiener Secession)」、1898年 「ベルリン分離派 (Berliner Secession)」が誕生しました。

なお、「ユーゲント・シュティール (Jugentstil)」は、「アールヌーヴォー (Art Nouveau)」のドイツ語圏での呼称。 いわゆる「世紀末芸術」。
以上、http://www.kunst-zeiten.de/Die_Sezessionen ブリタニカ国際大百科事典参照

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ここから、路面電車 D線に乗るため、「ウィーン国立オペラ座 (Wiener Staatsoper)」 の Opernring の道をはさんだ向かいにある、Oper の停留所まで。

★カールスプラッツ (Karlsplatz) 周辺。 国立オペラ座前の路面電車 Oper 停留所付近の地図 ※画像クリックで拡大
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ の、Öffentlicher Verkehr (公共交通機関, Öffentlich エッフェントリヒ = 公共の public, Verkehr フェアケーア = 交通 traffic)にチェックを入れると、路線と停留所の場所が表示されて便利でした。 Stadtplan Wien の地図に加工 "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS".
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ウィーンの路面電車 (Straßenbahn シュトラーセン・バーン streetcar)。 路面電車も車と同様、右側通行。このケルントナー通り (Kärntner straße) は、一方通行 (Einbahn アインバーン) の道。 写真中央奥に、ちょっこと見えているのがオペラ座です。 「U」は、地下鉄 (U-bahn ウー・バーン subway) の印。 道沿いに、スーパー Spar もあり。
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「ウィーン国立オペラ座 (Wiener Staatsoper ヴィーナー・シュターツ・オーパー)」。その Opernring (オーパーン・リング)の道をはさんだ向かいにある、路面電車 Oper (オーパー) の停留所。
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路面電車の中にある刻印機。 ここに切符を差し込み、日時を刻印。
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路面電車 D 線で、Oper から Schloss Belvedere まで。

★路面電車の切符については、前掲 「ウィーンの地下鉄に乗る - 切符の買い方、地下鉄の公衆トイレ」の記事
★ウィーンの路面電車 路線図
http://homepage.univie.ac.at/horst.prillinger/metro/m/largemap-tram.html
★ウィーンの路面電車の時刻表 路線
http://www.wienerlinien.at Service > Fahrpläne (時刻表) > Straßenbahn (路面電車) の Zu den Fahrplänen (時刻表)

クリムト「接吻」などが展示されている、「ベルヴェデーレ宮殿 (Schloss Belvedere)」 http://www.belvedere.at/en の 「ベルヴェデーレ上宮」(Oberes Belvedere) へ。
つづきます。「ウィーン 「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」 Schloss Belvedere

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シェーンブルナー・パノラマバーンで、「グロリエッテ」へ Schönbrunner Panoramabahn Wien im Schloßpark

ウィーン 「シェーンブルン宮殿」を見学する - シェーンブルン宮殿の歴史 Schloss Schönbrunn」のつづき。

「シェーンブルナー・パノラマバーン(パノラマ電車)Schönbrunner Panoramabahn」に乗って、シェーンブルン宮殿の庭園を周遊。 「グロリエッテ Gloriette」まで行きました。
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★Schönbrunner Panoramabahn シェーンブルナー・パノラマバーン(パノラマ電車) http://www.zoovienna.at/tiergarten-und-besucher/panoramabahn/ 一日券(Tagesticket ターゲス・ティケット, One-day pass) 大人 7 euro

チケットは列車内で購入。グロリエッテまでラクに行くことができるので超オススメ。 観光馬車はグロリエッテまでは行きません。
9つの停留所を約一時間かけて周回。10時頃から18時頃まで、30分間隔。(サイトに、時刻表(Fahrplan) PDFあり)
2013年11月から2014年3月中旬まではお休み。
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一日有効のハンコを手の甲に。※不正防止のために画像修正。
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ところで、パノラマ電車(タイヤで走る連結バス)が出るのを待っていたところで、アムステルダムの空港で出会った親子さんと、またもや遭遇

乗ってた日本人は私たちだけだったので、なおさら、その遭遇率の高さに驚くばかりで(笑)。

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★シェーンブルン宮殿の庭園 http://www.schoenbrunn.at/wissenswertes/der-schlosspark.html

天気予報では最低気温17度、最高気温28度と、夏でも比較的過ごしやすいウィーンの気候。

とはいえ、お城の中を歩き回って疲れていたし、宮殿からグロリエッテまで、最短距離でも片道約 1km 往復だと辛すぎるので、本当に乗って良かったパノラマバーンでした。

シェーンブルン庭園の中にある 「パルメンハウス (大温室) Palmenhaus」。 皇帝フランツ·ヨーゼフ1世 (Franz Joseph I.)の命により、1881/1882年に建設されたもの。
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「シェーンブルク動物園 (Tiergarten ティーア・ガルテン, Zoo)」 の入口付近を通って、背の高い木の間の道へ。
1752年に創立された「シェーンブルク動物園」には、パンダを含む500種以上の動物がいるそうです。
★シェーンブルン動物園 http://www.zoovienna.at/

写真右は、グロリエッテに行く手前にある公衆トイレ。 有料で、必要な硬貨を入れないと、開かない仕組みになっていた。 手持ちの硬貨が足りなくて、そばに管理している人もいなかったので、手前で退散 
基本、トイレ有料 ユーロ・コインが必要なので、ホテルなどで、お札をコインに両替しておくのが無難かも。 グロリエッテのカフェのトイレも有料でした。
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グロリエッテに到着。 右側、カフェのテラスで休憩しました。
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「グロリエッテ Gloriette」 1775年 マリア・テレジアによって建てられた凱旋門。 列柱が建ち並ぶ、戦争の記念碑。
第二次世界大戦中、連合軍の爆撃によって被害を受けたが、1947年に復元。
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高台に建っているので、宮殿と庭園、遠くウィーン市街を望むパノラマの眺望が素晴らしい。
ここで、ほかの外国人観光客の方と記念写真をお互い撮りっこ 螺旋階段で、屋根の上にも上れるようになっています。
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中はカフェ Café Gloriette http://www.gloriette-cafe.at/en/home.html
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裏のテラス席で、Eiskaffee (6.50euro) 盛大に生クリームを盛ってるコーヒー・フロート。
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読み方は、アイス・カフェ だけれど、ここでは、Eis = アイスクリームの意味 (辞書では、ice or icecream)。 メニューに写真があったので、間違えたのではありません(笑)。 かなり疲れが癒された

アイスカフェは、付加価値税10%。飲み物ではなく、食べ物くくり?
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ところで、グロリエッテの中、その地下にあるトイレに行く途中で、アムステルダムの空港で出会った親子さんをお見かけしたけど、せっかく個人で自由に行動してるのだからと、あえて声はかけずにいました。

それでも、まだその続きがあるとは、、(爆)。

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さて、再び、「シェーンブルナー・パノラマバーン(パノラマ電車)」に乗って周回。

「オベリスクの泉 (Obeliskbrunnen)」
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真ん中、口からベーっと水を出している彫刻のある、バロック様式の噴水。 まわりのニンフの姿が優美。
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大きなオベリスクが4つの亀に支えられており、
"JOSEPHO II. ET MARIATHERESIA AA: REGNANT: ERECT: MDCCLXXVII" と記されている。
M (=1000), D (=500), C (=100), L (=50) とローマ数字で、ヨーゼフ2世とマリア・テレジアの治世 1777年に建立の意味だと思われる。
http://www.schoenbrunn.at/wissenswertes/der-schlosspark/rundgang-durch-den-park/obeliskbrunnen.html

おそろしく広い庭園。 昔は、皇帝の猟場として使われていたのにも納得。 視線の先が、はるか遠すぎ(笑)。
最初のスタート地点に戻って下車。 近くには、レジデンツというカフェ・レストランがあり。 パノラマ電車に乗るとき、クーポン券の冊子をもらいました。
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宮殿手前の噴水前で、記念撮影。 できれば、庭園ももっと見たかったけれども、これが限界。
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9:30頃から12:30頃まで宮殿・庭園見学。
道に出たら、日本語で、「本日はシェーンブルン宮殿をご訪問いただきありがとうございました」と丁寧に書いてあって、ちょっと嬉しくなってしまった。日本人観光客の占める割合、やっぱり多いんでしょうね。
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地下鉄 U4 で Schönbrunn駅 から Karlsplatz へ。
つづきます。「ウィーン 「セセッシオン」  路面電車で「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」へ Wiener Secession to Schloss Belvedere

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ウィーン 「シェーンブルン宮殿」を見学する - シェーンブルン宮殿の歴史 Schloss Schönbrunn

ウィーン、夜のケルントナー通りを散策 聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)教会」のつづき。

オーストリア ・ ウィーン旅行3日目(2013/8/12(月))は、まず 「シェーンブルン宮殿 (Schloss Schönbrunn)」 へ。
★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。

公共レンタサイクル・システム 「シティバイク・ウィーン (Citybike Wien)」 http://www.citybikewien.at/ の自転車を借りて、Kärntnerring から Karlsplatz まで。
地下鉄 U4 で Karlsplatz から Schönbrunn まで。 ホテルから約20分で到着

「シェーンブルン宮殿 (Schloss Schönbrunn)」http://www.schoenbrunn.at/
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チケットは、事前に Webで シシィチケット (Sisi Ticket) を購入しました。
豪華な漆の間、百万の間等、後半見所満載なので、全40室、全て見学すべきだと思います。

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※Schönbrunn駅前にあった、シェーンブルン宮殿の行き方の地図に加工
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★シェーンブルン宮殿 (Schloss Schönbrunn シュロス・シェーンブルン) http://www.schoenbrunn.at/

★シェーンブルン宮殿のチケット&施設案内&ガイドツアー案内(日本語)
http://www.schoenbrunn.at/international.html ダウンロード可能

★シシィチケット Sisi Ticket 大人 (Erwachsene エアヴァクセネ) EUR 25,50(2014/01現在)
 シェーンブルン宮殿 (Schloss Schönbrunn) のグランド・ツアー (Grand Tour) &オーディオガイド (全40室、約50分)のほか、旧王宮 (Hofburg Wien / 皇帝の部屋 (Kaiserappartements), シシィ・ミュージアム (Sisi Museum), 宮廷銀器コレクション Silberkammer)、 宮廷家具コレクション (Möbel Museum Wien) を見学できる。
 購入日から1年以内有効(各1回の見学)。並ばずに入場できるのが最大のメリット。
 公式サイト http://www.schoenbrunn.at/en.html の画面から、オンラインで購入可

★Schönbrunner Panoramabahn シェーンブルナー・パノラマバーン(パノラマ電車)http://www.zoovienna.at/tiergarten-und-besucher/panoramabahn/ 一日券(Tagesticket ターゲス・ティケット, One-day pass) 大人 7 euro

★追記 2014/04/21): 2014/04/30から、シェーンブルン宮殿に宿泊できるようになりました♪ 詳しくは、公式ウェブサイト。 Reservations: Schloß Schönbrunn Suite, Austria Trend Hotels, thesuite.at, Tel. 588 00-800,
office@austria-trend.at, bookings are now being taken, available from 30 April 2014
http://www.schoenbrunn.at/uploads/media/Pressetext_Sch%C3%B6nbrunn_Suite_Pressef%C3%BChrung_final_englisch_ONLINE_14032014.pdf

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地下鉄U4 シェーンブルン駅から入口までの道。 午後は、観光バスでいっぱい。
宮殿入り口のちょうど向かいに Citybike Wien のステーションがありましたが、万が一、自転車の空きボックスがなかったら大変かも・・・。
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バロック様式の宮殿。 現在の「シェーンブルン・イエロー」のファサードの外観は、最後の神聖ローマ皇帝 (在位1792-1806) であり、最初のオーストリア皇帝フランツ1世 (Franz I., 在位1804-1835) となった、フランツ2世 (Franz II., 1768-1835) の治世の 1817-1819年頃。
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★「シェーンブルン宮殿の歴史」 http://www.schoenbrunn.at/wissenswertes/der-schlosspark/geschichte.html

シェーンブルン宮殿の歴史は、その昔、修道院があった土地を、1569年にマクシミリアン2世(Maximilian II., 1527- 1576) が購入。
ハプスブルク家の中でもとりわけ精力的な美術品の収集家だったルドルフ2世 (Rudolf II)」(1552-1612, 神聖ローマ皇帝在位 1576-1612) の弟、マティアス (Matthias, 1557-1619, 神聖ローマ皇帝在位 1612-1619)) が、狩猟の際に 「美しい 泉」 を発見したのが、その名の由来。

その後、フェルディナンド2世(1578-1637)の寡婦となったエレオノーラ(Eleonore von Gonzaga イタリア、マントヴァのゴンザーガ家出身)が離宮を建設。

ところが、あのベラスケスの絵で有名なスペインのマルガリータと結婚したレオポルト1世(Leopold I., 1640-1705, 神聖ローマ皇帝在位:1658-1705) の治世の頃、1683年のオスマン帝国 (オスマン・トルコ) による「第二次ウィーン包囲」により、離宮が破壊されてしまう。

★映画 「神聖ローマ、運命の日 - オスマン帝国の進撃」 ("11 Settembre 1683", 2014/04/19公開予定)。 第二次ウィーン包囲、神聖ローマ帝国vsオスマン帝国、レオポルド1世、オイゲン公の映像化が楽しみすぎる!

http://www.alcine-terran.com/roma/
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=7UjaGy3vTrg&feature=youtu.be

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キリスト教勢力 VS イスラム教勢力で、オスマン帝国の大群30万に対し、ウィーンの兵力はわずか1万5000。
もし、オスマン帝国が勝利していたら、歴史が大きく違っていたかも。。

その後、レオポルト1世によって、1696年から新たに宮殿の建築が進められるも、スペイン継承戦争などで中断。

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その後、マリア・テレジア (Maria Theresia,1717-1780) の所有となり、宮殿と改修、拡張。 宮殿・庭園は、1770年頃にはその主なものが完成。

ところが、最後の神聖ローマ皇帝 (在位1792-1806) であり、最初のオーストリア皇帝フランツ1世 (Franz I., 在位1804-1835) となった、フランツ2世 (Franz II., 1768-1835) の治世の頃、ナポレオンが 1805年と1809年、ここを司令部として使用。
しかも、フランツ2世は、娘のマリー・ルイーズを、ナポレオンの妻として差し出す羽目に・・・。
しかし、「ライプチヒの戦い (Battle of Leipzig, 1813) で、オーストリア・プロイセン・ロシア・スウェーデン軍が、ナポレオン率いるフランス軍に勝利。

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1914年、フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I. 1830-1916, オーストリア帝国、のちオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝在位 1848-1916) の治世の時に、皇位承継者 フランツ・フェルディナンド (Franz Ferdinand, 1863-1914) がサラエボで、サラエボの民族主義者の青年により暗殺される事件が発生。
オーストリアがサラエボに宣戦布告すると、同盟関係にあった各国が次々と参戦し、第一次世界大戦へ。

第一次世界大戦中の1916年、フランツ・ヨーゼフ1世が死去。カール1世 (Karl I., 1887-1922) が皇位承継。
1918年、オーストリア=ハンガリー、ドイツ、トルコ、ブルガリアの同盟国側が次々と降伏。

1918年11月11日、最後のオーストリア皇帝およびハンガリー国王となったカール1世は、シェーンブルン宮殿の青い中国のサロンで、権力放棄を内容とする声明書に署名。 650年近く続いたハプスブルク王朝の歴史が幕を閉じる。

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見学入口
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内部は撮影禁止でしたので、この案内板の大ギャラリーの写真をどうぞ。フランスのヴェルサイユ宮殿のミニ版+αですが、とても素敵で見応えのある宮殿でした。
お城の内部の説明&画像は、 http://www.schoenbrunn.at/wissenswertes/das-schloss/rundgang-durchs-schloss.html
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朝4時起床、朝5時から執務していたフランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I. 1830-1916, オーストリア帝国、のちオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝在位 1848-1916, 皇后は愛称シシィで知られるエリーザベト Elisabeth 1837-1898)、その「フランツ·ヨーゼフの執務室」(Arbeitszimmer Franz Josephs)、

同居していたのは数年で、ほとんど別居状態だったエリーザベト皇后の部屋、

豪華な「漆の間」 (Vieux-Laque-Zimmer)、「百万の部屋」 (Millionenzimmer)、

ナポレオンが過ごし、ナポレオンとフランツ2世の娘との間に産まれたライヒシュタット公が過ごした「ナポレオンの部屋」(Napoleonzimmer)、

1830年、皇帝フランツ·ヨーゼフが誕生した部屋であり、ウィーンの宮廷で用いられた豪華なベッドがある「豪奢の間」(Reiches Zimmer)等々。

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ちなみに、モーツァルト (ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト, Wolfgang Amadeus Mozart (1756年1月27日 - 1791年12月5日)は、1762年、6才のとき、シェーンブルン宮殿のマリア・テレジアの御前で演奏しましたが、これを想像するのもまた楽しい

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見学終了の出口で、日本語のガイドブックとミネラルウォーター (Schloss wasser シュロス・ヴァッサー 「城の水」という銘柄) 購入。
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ガイドブックは、付加価値税10%で、税込み 7.90 euro
ミネラルウォーターには、付加価値税20%で、税込み 1.90 euro とは

このときのクレジットカードの円換算レートは 1 euro = 132 yen だったので、 ミネラルウォーター1本、日本円で約 250円。 前日の土産物屋さんよりは安かったけど、ウィーンは物価高すぎ!?

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ところで、宮殿の中を見学中、アムステルダムの空港で出会った親子さんと、またもや遭遇

前日の夜、ケルントナー通りの土産物店で偶然出会って、まさかここでも出会うとは、、 しかも、まだ後日談ありで

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次に、シェーンブルナー・パノラマバーン(パノラマ電車 Schönbrunner Panoramabahn)
http://www.zoovienna.at/tiergarten-und-besucher/panoramabahn/ でグロリエッテへ。

つづきます。「シェーンブルナー・パノラマバーンで、「グロリエッテ」へ Schönbrunner Panoramabahn Wien im Schloßpark

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ウィーン、夜のケルントナー通りを散策 聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)教会

ウィーン 「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」ライトアップ」のつづき。

歩行者専用で車両乗り入れ禁止になっている 「ケルントナー通り (Kärntnerstraße)」 を散策。
さまざまなブランド店や飲食店が建ち並んでいて、夜10時近くになっても、この人通り。
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「音楽の都ウィーン」らしく、クラシックのストリート・ミュージシャンのグループがいたり、スワロフスキー店の美しいウィンドーディスプレーあり。目と耳を楽しませてくれました。
スワロフスキーには、もっと円高になってから 去年に比べてしまうと、あまりに円高が進みすぎ・・・。
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さて、コカ・コーラ・ライトを買っておこうと、偶然見かけた、ケルントナー通り沿いの土産物店へ。 そこで、ばったり偶然、アムステルダムの空港で出会った親子さんに遭遇。 いやはや、びっくりしましたよ

そして、驚愕したのが、このお値段。 コーラ2本、税込みで 5 euro とは、、
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このときのクレジットカードの円換算レートは 1 euro = 132 yen だったので、 、、

なんと、コーラ1本当たり、330円  うぎゃ~っ、ありえない

それに、飲み物代には、付加価値税20%とは。。

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ふぅ~っ、気をとりなおしてと、

ウィーン、ケルントナー通りの「洗礼者ヨハネ教会 (マルタ教会)」、「聖ヨハネ騎士団」(マルタ騎士団)の教会です。
Die Kirche des Hl. Johannes des Täufers (Malteserkirche) in der Kärntnerstraße in Wien http://www.malteser.or.at/ueber-uns/kirchen/wien.html
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「聖ヨハネ騎士団」は、「マルタ騎士団」とも呼ばれ、「テンプル騎士団」、「ドイツ騎士団」とともに、中世カトリックの三大騎士修道会の一つ。 なかでも最古の歴史あり。

その歴史は1048年頃、現在のイタリア、アマルフィの商人マウロが、聖地エルサレムに巡礼に来る巡礼者のために、エルサレムに聖ヨハネ騎士修道会を創立し、教会、修道院、巡礼者のための宿泊所と医療保護を与えたのがその始まり。

その後、エルサレムがイスラム教徒に奪回されて、1309年 ロードス島 (Rhodes) へ。 1522年、オスマン帝国 (オスマン・トルコ) のスルタン、スレイマン1世の軍隊との攻防戦に破れて、シチリア島の南に位置する 「マルタ島」 (Malta) へ。そのため、マルタ騎士団と呼ばれるようになる。

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マルタ島は、1530年にヨハネ騎士修道会 (マルタ騎士修道会)の封土となるも、1798年、ナポレオン一世により修道会はマルタを追われ、1814年、正式にはイギリス領に。
1834年からは本部をローマにおいて、以後人道的な活動を行う。
http://www.malteserorden.at/smom/kirchen/malteserkirche.html http://www.malteser.or.at/ ブリタニカ国際大百科事典、塩野七生「海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)」参照)

教会の歴史をたどると、とても興味をひかれることばかり。塩野七生 「ロードス島攻防記 (新潮文庫)」も読んでみなくては!

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ところで、マルタ島には、この聖ヨハネ騎士団が建設した 「サン・ジョヴァンニ大聖堂」 があり、祭壇画、カラヴァッジョ 「洗礼者聖ヨハネの斬首」(1608) があることで有名です。
"The beheading of St. John the Baptist", by Caravaggio (1571–1610)
http://www.stjohnscocathedral.com/
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この絵は、殺人を犯しローマから逃亡したカラヴァッジョが、逃亡先のマルタ島、マルタ騎士団の本拠地ヴァレッタ滞在中、そのたった5ヶ月の間に描いたもの。

完成以来、爆発的な人気となって、後々北方ヨーロッパの画家たちが、これを見にやってきたとか(ジム・ランベール「カラヴァッジオ CARAVAGGIO」 TASCHEN社、参照)。

ところで、聖ヨハネ騎士団の総団長は、カラヴァッジョに自分の肖像画を依頼し、「アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像」"Portrait of Alof de Wignacourt" が完成するも、傍らの美少年の小姓の方が話題になって、フランスのルイ15世がお買い上げ。 で、現在 パリ・ルーブル美術館 (Musée du Louvre, Paris) 所蔵。

さんざん脱線しましたが、聖ヨハネ騎士修道会つながりということで、お許しを。

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「ウィーン国立オペラ座 (Wiener Staatsoper)」のライトアップ http://www.wiener-staatsoper.at/
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※Windows Live フォトギャラリー 作成 > パノラマ写真 で合成。

夜10時過ぎにホテルの部屋に帰り、ウィーン2日目が終了。
その前日、ウィーンに到着。 ホテルの部屋に落ち着いたのが、夜8時過ぎでしたので、長~いウィーン実質第1日目でした。

ウィーン個人旅行・記事インデックスはこちらをどうぞ。 一日にして、記事20タイトルになってしまいました・・・

つづきます。「ウィーン 「シェーンブルン宮殿」を見学する - シェーンブルン宮殿の歴史 Schloss Schönbrunn

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ウィーン 「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」ライトアップ

ウィーンの地下鉄に乗る - 切符の買い方、地下鉄の公衆トイレ」のつづき。 地下鉄 U1 Stephansplatz 駅から、

「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」 http://www.stephansdom.at/
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一番高い南塔 (Südturm) と、カラフルなモザイク模様のタイルで彩られた屋根のライトアップが素敵でした

正面はこんな感じで正直ちょっと拍子抜け。評判の内部のライトアップも見てみたかった。。
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シュテファン寺院とも呼ばれる 「聖シュテファン大聖堂」は、カトリックの教会。 1137年に設立されて、1147年最初のロマネスク様式の教会が献堂されました。 その後、14世紀の初めから1511年にかけて、ゴシック様式へと改築。

その屋根には、23万ものタイルが使われ、その勾配は、最も急な場所で80度!
一番高い南塔 (Südturm) は、1359年に完成。136,44 m
http://www.stephansdom.at/dom_in_zahlen.htm

★高い教会の塔リスト List of tallest church buildings in the world http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_tallest_church_buildings_in_the_world
現在、Wikipedia 日本語版では、「教会の塔としてはウルム大聖堂(161メートル)、ケルン大聖堂(157メートル)についで世界で3番目の高さ」 と書かれているけれども、 これは間違い。 このリストを見ると、実は他にもたくさんあって、

「ヨーロッパの教会の塔」だけに絞ってみても、
ドイツ ウルム大聖堂 161.5 m
ドイツ ケルン大聖堂 157.4 m
フランス ルーアン大聖堂 151.0 m
イギリス Old St Paul's Cathedral 150.0 m
ドイツ St. Nicholas' Church 147.3 m
フランス ストラスブール大聖堂 142.0 m
ポーランド Basilica of Our Lady of Licheń 141.5 m
オーストリア シュテファン大聖堂 136.4 m

これだけも8番目。 少なくとも世界で3番目ではありません

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ところで、シュテファン大聖堂は、第二次世界大戦末期の火災で深刻な被害を受けるも、たったの7年で全部分を再建。

映画 「第三の男 の冒頭では、第二次世界大戦中、連合国軍による空襲により、屋根が完全に崩壊、ファサードも無残に倒れかけている 「シュテファン大聖堂」の姿が映し出されています。

★映画 「第三の男」 については、「ウィーン プラーター 「大観覧車」 ★映画 「第三の男」 と 「ボルジア」 (ネタバレあり) ウィーン編完結」 のエントリー記事。

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ところで、この教会の地下には、カタコンベがあり、ハプスブルク家の心臓以外の内臓が保管されている。(心臓は、アウグスティーナ教会 (Augustinerkirche) 地下にある 「ロレット礼拝堂」 (Loretokapelle)。その他の遺体は、カプツィーナ教会 (Kapzinerkirche)の地下にある皇帝廟に。)

養老孟司「ヨーロッパの身体性」第1回「ハプスブルク家の心臓埋葬」/「考える人」季刊誌 2012年春号 No.40 (新潮社)に掲載の記事と写真がとても詳しく参考になりました。

ハプスブルク家の心臓埋葬については、後掲の記事 「「アウグスティーナー教会」 ハプスブルク家の心臓埋葬」 参照。
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ミサが行われていたので、後ろだけから静かに見学。
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その後、ケルントナー通り (Kärntner straße) を散策。
つづきます。「ウィーン、夜のケルントナー通りを散策 聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)教会

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ウィーンの地下鉄に乗る - 切符の買い方、地下鉄の公衆トイレ

ウィーン ビアホール 「ズィーベンシュテルン・ブロイ」 (Siebenstern-Bräu (7Stern Bräu)) でディナー」のつづき。

ウィーンの地下鉄 (U-Bahn) に乗って、「シュテファン寺院 (Stephansdom)」 のライトアップを見に行きました。
U2 Museums-Quartier から Karlsplatz で乗り換え、U1 Stephansplatz まで。

Karlsplatzに到着。 オレンジ・黄色と、ポップな配色のウィーン地下鉄車両
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写真右上に犬の印がありますが、犬はつないで、口輪をすれば、そのまま地下鉄に乗せられるんですね!
ベビーカー用の優先席などもあり。

カールスプラッツ駅のホーム。 行き先、乗り換えがわかりやすく表示されています。
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乗車券は、地下鉄・路面電車・バス共通。写真の「一回乗車券」は、ウィーン市内の任意の1区間に有効で、乗り換え可能。
切符には、Bitte entwarten (ビッテ・エントヴェーアテン)「刻印をお願いします」と書いてあり、ホームに向かう手前にある刻印機の機械にチケットを矢印の方向に差し込み、日時を刻印しておきます。

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切符の種類は、このほか、24時間ウィーン切符 (24 Stunden Wien, 2013年10月現在は EUR 7,10), 平日月曜日から土曜日の8時から20時までウィーン市内で使えるショッピングチケット (Wiener Einkaufskarte, 2013年10月現在は EUR 5,70) などがあります。 詳しくは、

★ウィーンの地下鉄 (U-Bahn Wien) の路線図、チケットなどの情報
http://www.wienerlinien.at/eportal/ Service > Info-Folder > Tourist Information (CS, HU, PL, RU, JA) からダウンロード可。日本語あり。
★ウィーン・リング・トラム(Vienna Ring Tram) の情報
http://www.wienerlinien.at/eportal/ Attraktionen > Vienna Ring Tram からダウンロード可。日本語あり。
★ウィーンの地下鉄 路線図
http://www.wienerlinien.at/ Service > Netzpläne > Schnellverbindungen
★ウィーンの路面電車 路線図
http://homepage.univie.ac.at/horst.prillinger/metro/m/largemap-tram.html

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切符の自動販売機では、English をタッチすれば英語画面に切り替わるので、それほど難易度が高くないと思います。
大人一般は、「Einzelfahrt Vollpreis」 (アインツェル・ファールト フォル・プライス = Single full price 片道、割引なしのフルプライス料金) 2013年10月現在は EUR 2,10
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写真右、購入する切符の数をタッチ
Anzahl (アン・ツァール 数 number) Fahrkarten (ファールカルテン 切符 ticket)

そのすぐ下
左の「Sofort (ゾ・フォルト すぐに at once) entwarten」は、すぐに乗るので、刻印する場合。
その右隣の「Später (シュペーター あとで later) entwarten」は、事前に切符を買っておき、後で刻印する場合。

最後に、「OK, jetzt bezahlen」 (イェット 今 nows, ベツァーレン 支払う pay) にタッチし、料金をお支払い。
クレジットカードで支払うこともできました。

「Neustart」 (ノイ・スタルト 初めからやり直し new start)
「Schritt zurück」 (シュリット ツリュック 一つ前に戻る step back)

「+ weitere Produkte」 (weitere ヴァイテレ そのほかに、さらに) で、さらに買い足す場合です。

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ちなみに、私たちは、その朝、Citybike Wien のレンタサイクルの museumplatz のステーションの近くにあった、U2 Museums-Quartier駅の地下鉄の自動販売機で、あらかじめ切符を買っていました。
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ところで、地下鉄には公衆トイレ (WC) がありますが、地下鉄のトイレは有料、大体 EUR 0.50くらいで、中に人がいて管理されています。 場所にもよって違いますが、大体 9:00 から 18:00 までオープン。

いくつかの地下鉄駅では、一日中開いている公衆トイレもあるそうですが、私達が着いた夜 21:00時過ぎには閉鎖中のトイレしかみつけられずで 

仕方がないので、街中へ。 お店に入って何か飲んだら、またトイレ・・・になりかねないし。
で、やむなく マクドナルドへ。
マクドナルドでは、トイレ入口の自動販売機に料金を入れれば、レバーが動いて中に入れるようになっていました

★Öffentliche Toiletten im Zentrum von Wien (ウィーン中心部の公共トイレ) http://www.city-walks.info/Wien/Toiletten.html
Öffentliche = エッフェントリヒ 公共の public, Toilette = トアレッテ トイレ toilet (WC)

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「シュテファン寺院」のすぐ近く。 マクドナルドのMマークが見えてます。
とりあえず、マクドナルドのトイレで救われてしまった私たち
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「シュテファン寺院」のライトアップへ。
つづきます。「ウィーン 「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」 ライトアップ

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ウィーン ビアホール 「ズィーベンシュテルン・ブロイ」 (Siebenstern-Bräu (7Stern Bräu)) でディナー

ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 04 リング沿いからミュージアム・クオーター」のつづき。
★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。

ウィーン2日目のディナーは、ビアホール 「ズィーベンシュテルン・ブロイ (Siebenstern-Bräu (7Stern Bräu))」 http://www.7stern.at/

★地図は「ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 03 ウィーン自転車マップ」。左下のSiebenstern-gasse 沿いの☆印

自家醸造ビールもスペアリブも美味しくて最高!!事前に席を予約しましたが、気持ちのいい木陰の中庭の席が断然オススメ。 まず中庭の席をチェックすべきだと思います
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まずは、7Stern SOMMERBOCK で乾杯~ しっかりした風味でとても美味しかった
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メキシカン・スペアリブ (1/2 Portion mexikanische Spareribs) チリソースも美味しかった 、エメンタールチーズのフライ タルタルソースとクランベリー添え (Gebackener Emmentaler mit Sauce Tartar und Preiselbeeren)、そして、ガーリック・トースト (Knoblauchbrot)。 もう、ビールにあいまくり
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事前にお店のサイトで英語版のメニューを印刷&チェック。それをお店の人に見せてオーダーしました。
旅行中は、とかく疲れてレストランに入ることが多いもの。メニューを解読する元気のないとき、事前に準備しておくと、メニュー担当の私としては、何かと便利。
お店の人にオススメ料理を尋ねて、それは何?と聞く場合もありますが。それすら元気のない場合とかに

熱々で、中にチーズがとろ~りのチーズ・フライも◎
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2杯目は、7Stern India Pale Ale
これもまた美味しかった 夏はやっぱりビールがいいなぁ。
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お腹も減っていたし、美味しかったしで、二人で完食。 シメに濃くて美味しいコーヒーで、大満足のディナーでした。
ビールとコーヒーには、付加価値税 20%、食べ物には付加価値税 10%。+チップを別途。

お店の入口付近で、お土産用のビールも販売されていました。
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★追記: ウィーンのビアホールといえば、 「シュヴァイツァーハウス」も有名です

プラーターにあるシュヴァイツァーハウスには、ウィーン最終日の夜に行きました!観覧車も徒歩圏内にあるので、オススメ。但し、冬期は休業。
→ブログ記事本文:「ウィーン ビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 元祖バドワイザー&巨大骨付き豚グリル Schweizerhaus, Prater

★そのほか、「ナーグラー・ガッセ、ビアホール 「Bierhof」」にも行きました。

旧市街の路地を入った小さな広場の中にあり、ウィーン観光に疲れたときに便利
→ブログ記事本文:「ウィーン散策 ナーグラー・ガッセ、ビアホール 「Bierhof」で休憩、アクシデント発生

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夜8時半過ぎ。 夕暮れの空には、細い三日月。
写真で撮ると外暗めですが、実際はもっと明るく、マリアヒルファー通り(Mariahilferstraße) に出ると人通りも多かった。
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元気が復活したので、地下鉄 U2 Museums-Quartier から Karlsplatz で乗り換え、U1 Stephansplatz まで。
「シュテファン寺院 (Stephansdom)」 のライトアップを見に行きました。

つづきます。「ウィーンの地下鉄に乗る - 切符の買い方、地下鉄の公衆トイレ

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ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 04 リング沿いからミュージアム・クオーター

ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 03 ウィーン自転車マップ」のつづき。 リング環状道路の西側を自転車で走り、見どころで停車しながらの観光です

「ウィーン市庁舎 (Rathaus ラートハオス)」 http://www.wiener-rathausplatz.at/ 
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1872年から1883年にかけて建てられたネオ・ゴシック様式、高い尖塔を有する建物。
市庁舎の建物正面には巨大なスクリーン。 市庁舎広場では、7月・8月中の夜に、「夏のフィルム・フェスティバル (Filmfestival (Sommerkino) am Wiener Rathausplatz 2013) が開催中オペラ、バレエ、世界の音楽&ジャズの映像なども含めて、無料で見られるようになっていました。さらに、11時から24時まで、インターナショナル&地元の料理の屋台も出ていて、市庁舎前は大賑わいhttp://www.wiener-rathausplatz.at/sommerkino.html

冬にはクリスマス・マーケット (Wiener Christkindlmarkt, 2013年11月16日(土)から 2013年12月24日まで毎日オープン。日-木 10:00-21:30, 金-土 10:00-22:00) 寒そうだけど、ヨーロッパのクリスマスマーケットには興味津々 http://www.wiener-rathausplatz.at/christkindlmarkt.html

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「ブルク劇場 (Burgtheater)」
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市庁舎の向かいに建つ、ネオ・バロック様式の白亜の殿堂。 ヨーロッパにある劇場の中でも重要な位置を占め、ドイツ語圏では最大の劇場。以前の建物は1888年に完成するも、1945年の爆撃で焼失、1955年に再建。馬車が似合います http://www.burgtheater.at/

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「国会議事堂 (Republik Österreich Parlament パルラメント)」
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1874年から1883年にかけて建てられた、ギリシャ神殿のような新古典主義建築。正面には知恵と戦争の女神、アテナ(ローマ&英語名:ミネルヴァ)の像 http://www.parlament.gv.at/ENGL/ (ガイドツアーあり)

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ディナーの予約時間が迫ってきたので、環状道路リング (Wiener Ringstraße) を離れ、Miseumstraße へ。

「フォルクス劇場 (Volkstheater)」 http://www.volkstheater.at/
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ウィーン市民によって1889年に設立。第二次大戦中の1944年、ロビーとドーム型の屋根が爆弾で破壊され、1945年に再建。"Volkstheater"(人民劇場) と名付けられる。

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フォルクス劇場 (Volkstheater) のすぐそばにある、Weghuberpark の Citybike Wien ステーションで自転車を返却。

その近くには、オーストリアの劇作家 「フェルディナント·ライムント (Ferdinand Raimund)」の像。
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朝見たモーツァルトの像もだけれど、華やかな芸術家的な雰囲気が素敵すぎ どんな人かもわからないまま(笑)とりあえずパチリ

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「ミュージアム・クオーター (Museums-Quartier ムゼーウムス・クヴァルティーア)」 の建物。
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地下鉄 (U-Bahn) Volkstheatre の駅の入口が、この建物の右端に見えています。

★ウィーンの地下鉄 路線図
http://www.wienerlinien.at/ Fahrplanauskunft > Netzpläne
★ウィーンの地下鉄 (U-Bahn Wien) の路線図、チケットなどの情報は、http://www.wienerlinien.at/eportal/ Service > Downloads > Tickets > Tourist Information (CS, HU, PL, RU, JA) からダウンロード可。日本語あり。
★ウィーン・リング・トラム(Vienna Ring Tram) の情報は、Service > Downloads > Attraktionen (観光) からダウンロード可。日本語あり。

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中に入ると、黒い建物の「MUMOK」、「クンストハレ」、「レオポルト美術館」と美術館が順に立ち並んでいて、中庭には、ユニークな形のベンチに寝転がってリラックスしている人々多数
「ミュージアム・クオーター」は美術館のほか、飲食店や売店、トイレ、ATMなどなど→http://www.mqw.at/besuch/
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「クンストハレ (Kunsthalle)」 Kunst = Art, halle = Hall で、芸術ホールの意味。
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時間があれば、レオポルト・コレクション (Sammlung Leopold)のグスタフ・クリムト 「生と死」 が見てみたかった 「レオポルト美術館 (Leopold Museum)」 http://www.leopoldmuseum.org/de/sprachen/ja 毎週火曜日休館 12,00 Euro
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ミュージアム・クオーター (Museums-Quartier) の中庭にあった不思議な物体。 オブジェ?それとも、中に入って遊べるもの??
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再び、自転車走行を断念したマリアヒルファー通り(Mariahilferstraße) へ。
その先の 「シュティフト教会 (Stiftskirche)」の角を右折し、
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兵舎 (Stiftskaserne)  軍関係の建物。
その建物の前に、プログレ界の大御所、ピンクフロイドの "Roger Waters The Wall Live : 23.8.2013 Wien Ernst Happel Stadion" の広告を、帰り道で発見。 ウィーンのプラーターにあるスタジアムだそう。うわ~ん、行きたかった
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時間が迫ってアセアセ歩き、ようやく予約していた 「ズィーベンシュテルン・ブロイ (Siebenstern-Bräu)」に到着。
つづきます。「ウィーン ビアホール 「ズィーベンシュテルン・ブロイ」 (Siebenstern-Bräu (7Stern Bräu))でディナー

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ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 03 ウィーン自転車マップ

ウィーン 「マリア・テレジア像」、「ブルク門」 Maria-Theresien-Denkmal, Äußeres Burgtor (Wien)」のつづき。
★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。

再び、ウィーンのレンタル自転車(Citybike Wien)に乗って、ウィーンの街をミニ観光。

★ウィーンの自転車ルート・マップ ※画像クリックで拡大
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS" に加工。 実際に自転車まわった、ウィーンの町の一部です。
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「Radfahranlage」(サイクリング施設)と、「Citybike-Standort」シティバイクのステーションの場所、「Einbahn アインバーン)」(一方通行)にチェックを入れて検索しています。 Radweg (ラート・ヴェーク 自転車専用レーン)などを事前にチェックしておくといいと思います。
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★シティバイク・ウィーンの自転車の借り方、登録方法などについては、
オーストリア ・ ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」 で観光 01」。

★実際に、走ってみての感想は、
オーストリア ・ ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」 で観光 02 リンクをまわる動画あり」をどうぞ。

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まずは、ウィーン美術史美術館の近く、ミュージアムクオーターのすぐそばにある 「Museumsplatz」のスタンドから、この日予約していた自家醸造ビールの店 「ズィーベンシュテルン・ブロイ (Siebenstern-Bräu)」のある、Siebensterngasse まで。

全行程を自転車で行く予定でしたが、 「Museumsplatz」の先の Mariahilfer Str. (マリアヒルファー通り) には、ご覧のとおり、路駐の車がいっぱいなんです
ウィーン市の公式地図には、「車道に自転車レーンのマーク設置がされているルート」 のラインがひかれているも、
実際には、まったくわからず。 しかも、車がどんどん走っているので、ヘルメットなし、脚のペダル逆回転でのフットブレーキを効かせないと、完全には停まらないこの自転車の走行は危険すぎ
あえなく、重~い自転車をひいて、歩道を歩くはめになりました
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地図上、Radweg (ラート・ヴェーク 自転車専用レーン)の赤いラインのあった、Siebensterngasse にある店の前の道。
路面電車も走っているし、歩道のすぐ脇を走るべきだったのか? 難易度高すぎ!!
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ともあれ、予約していた 「ズィーベンシュテルン・ブロイ (Siebenstern-Bräu)」を確認し終えたことですし、気をとりなおして、再び朝自転車で走ったリング、環状道路の自転車専用レーンへ。
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やっぱり、自転車専用レーンがちゃんと設けられていないと、ウィーンが初めて、しかもノーヘルメットの私にとっては危険すぎ。 ここなら安心して気持ちよく走れます。

木陰の自転車専用レーンから見えた 「国会議事堂 (Parlament)」
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つづきます。「ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 04 リング沿いからミュージアム・クオーター

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ウィーン 「マリア・テレジア像」、「ブルク門」 Maria-Theresien-Denkmal, Äußeres Burgtor (Wien)

ウィーン美術史美術館 古代ギリシャ・ローマ・古代エジプト・コレクション」のつづき。
「ウィーン美術史美術館」と、その向かいにある「自然史博物館」の中央には、「マリア・テレジア記念像, Das Maria-Theresien-Denkmal in Wien」。
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形の上では夫フランツ1世が神聖ローマ帝国皇帝となるので、マリア・テレジアはその皇后。 でも、実質的には女帝として君臨, 1717-1780)。 16人の子供を産み、婚姻政策により、娘マリー・アントワネットをフランスのルイ16世に嫁がせた。

「自然史博物館 Naturhistorisches Museum」 ネオ・ルネッサンス様式の壮麗な建物。ウィーン美術史美術館と同様 1800年代後半に建てられました、
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「ブルク門 Äußeres Burgtor」
ハプスブルク家皇帝のウィーンの居城 「ホーフブルク王宮(Hofburg)」へと続く外城門。
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1857年、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世が取り壊しを決定するまで、ウィーンの街を防御していた市壁 (Die Wiener Stadtmauer) と壕のあった"Ring (環状道路)"沿いの側には、"FRANCISCVS. I. IMPERATOR. AVSTRIAE. MDCCCXXIV." と刻まれています。

これは、"Francis I, Emperor of Austria, 1824 (Franz I., Kaiser von Österreich 1824)"の意味。
Francis I は、最後の神聖ローマ皇帝 (在位1792-1806) であり、最初のオーストリア皇帝フランツ1世 (Franz I., 在位1804-1835) となった、フランツ2世 (Franz II., 1768-1835)

現在のブルク門は 「ライプチヒの戦い (Battle of Leipzig, 1813) で、オーストリア・プロイセン・ロシア・スウェーデン軍が、ナポレオン率いるフランス軍に勝利したことを記念して建てられました(1821-1824)。

フランツ2世は、ナポレオン戦争に巻き込まれたばかりに、神聖ローマ皇帝の称号を、自ら放棄せざるをえなくなり、しかも、娘のマリー・ルイーズを、あろうことかナポレオンの妻として差し出す羽目になってしまったので、その喜びは如何ばかりかといったところ。

それ以前にあった古いブルク門は、ウィーンの市壁(Wiener Stadtmauern)、要塞(Festungsanlagen)の一部。
1683年のオスマン帝国 (オスマン・トルコ) による「第二次ウィーン包囲」のときには、オスマン帝国との戦いが繰り広げられ、陥落を免れるも、1809年には、ナポレオン軍により爆破されてしまっていました

ウィーンの歴史、そして古地図や資料をみると、なおさら興味がわいてきます。

ウィーン美術史美術館周辺を見学した後、自転車で環状道路のリング沿いをミニ観光
つづきます。「ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 03 ウィーン自転車マップ

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ウィーン美術史美術館 古代ギリシャ・ローマ・古代エジプト・コレクション

ウィーン美術史美術館 クンストカンマー Kunstkammer Wien (Vienna) 動画あり」のつづき。
クンストカンマーの反対側には、古代エジプト、古代ギリシャ・ローマのコレクション。建物の入口入って右側より、年代順に部屋が並んでいます。
私たちは、クンストカンマーのつづきで、そのままぐるっと見学したので、まずは古代ギリシャ・ローマのコレクションから。

「アウグストゥスのカメオ」(古代ローマ時代)。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの至宝。サードニックス(紅縞瑪瑙)に、二段にわたる細緻にして優美な彫刻が施された名品。
"Gemma Augustea" (9AD-12AD), by Dioskurides
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http://www.khm.at/ Entdecken (Explore) > Google Art Project で、きれいな画像が見られます。

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館内の天井に近い壁にも、展示テーマに即した絵が描かれているのが素晴らしい
「テセウスとアリアドネ、迷宮とミノタウロス退治のモザイク」
"Theseus Mosaic" (300AD-400AD)
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「アマゾネスの石棺」(ギリシャ、ヘレニズム時代) 紀元前にして、この彫刻の精巧さ!!
"Sarcophagus with Fighting Amazons"(330BC-310BC)
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古代エジプト・コレクションでも、さまざまな収集品がありましたが、中でも注目したのが象形文字が刻まれた石。
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このあと、ウィーン・プラハの旅行中、ウィーン王宮にある 「オーストリア国立図書館プルンクザール (Der Prunksaal der Österreichischen Nationalbibliothek)」 の中を見学、そして、チェコのプラハにある「ストラホフ修道院 (Strahovský klášter)」 の中にある、豪華な「ストラホフ図書館 (Strahovská knihovna)」の「神学の間 (Teologický sál, The Theological Hall)」「哲学の間 (Teologický sál, Philosophical Hall)」を見学しましたが、文字の起源となる象形文字なくしては、これらもありえなかったのだなと思うと、非常に興味深かったです。

以上、長くなりましたが、これでウィーン美術史美術館の見学終了。
展示品は充実していて見応えがあり、豪華なカフェ・レストランもあり、ショップも3箇所。夕方5時頃まで、ほぼ一日中いましたが、あっという間という感じでした。

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この後、再びレンタル自転車(Citybike Wien)に乗って ウィーン・リンク通りを観光。 そして、この日予約していた「ズィーベンシュテルン・ブロイ (Siebenstern-Bräu)」 http://www.7stern.at/ 自家醸造ビールとスペアリブがとても美味しかった店の界隈まで。

つづきます。「ウィーン 「マリア・テレジア像」、「ブルク門」 Maria-Theresien-Denkmal, Äußeres Burgtor (Wien)

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ウィーン美術史美術館 クンストカンマー Kunstkammer Wien (Vienna) 動画あり

ウィーン美術史美術館 10 カフェで休憩 その2」のつづきで、ウィーン美術史美術館の中にある 「クンストカンマー」。 http://www.khm.at/en/visit/collections/kunstkammer-wien/

「クンストカンマー Kunstkammer」の、kunst(クンスト) = 芸術 art, Kammer(カンマー) = 部屋 room。
前掲ルドルフ2世のコレクションを始めとする、ハプスブルク家歴代の皇帝、大公が収集した貴重な工芸品が展示され、その贅を尽くした名品の数々は、まさに必見。
We must see !! だと思われ。

入口入って左側から、クンストカンマーの見学スタート。写真左は、反対側から見たところ。
写真右は、クンストカンマーのショップ出口。LEDの照明が効果的に使われ、高級ホテルのようなスタイリッシュな雰囲気。
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それもそのはず。クンストカンマーは今年2013年3月1日に、約11年に及ぶ改修工事を経て再オープンしたばかり。

全20の展示室は、中世、ルネサンス、バロックの年代ごと、アイテムごとに整理され、いわゆる目玉作品はオーディオガイドのマークがついているので、それに絞れば短時間で見て回れました。

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ベンヴェヌート・チェリーニ 「サリエラ」"Saliera"(1540-43, Paris) by Benvenuto Cellini (1500-1571)
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クンストカンマーの英語のガイドブック(A TOUR, Edited by Sabine Haag)によると、「サリエラ」は、イタリア・フィレンツェ出身の芸術家ベンヴェヌート・チェリーニによる贅沢な塩と胡椒の容器で、パトロンであったフランスのフランソワ1世のためにつくられたもの。
海を司る神ポセイドン(ネプチューン)と、大地を象徴するガイア(テルス)のモチーフが施された繊細な金細工(金、エナメル、黒檀、象牙)。
のちに、フランスのシャルル9世(父はアンリ2世。母は、カトリーヌ・ド・メディシス)から、オーストリア大公フェルディナント2世に贈られた。 2003年に盗難にあうが、2006年に無事戻る。

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天井の装飾には、ハプスブルク家の神聖ローマ帝国の紋章、双頭の鷲の紋章など各種の紋章が使われている。
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アードリアン・ド・フリース 「皇帝ルドルフ2世」 "Kaiser Rudolf II"(1603), by Adriaen de Vries (c.1556–1626) とりわけ精力的な美術品の収集家だったルドルフ2世 (Rudolf II)」(1552-1612, 神聖ローマ皇帝在位 1576-1612)。
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「装飾的な水差しと水盤」 "Ornamental ewer and basin, so-called Trionfi Set"(c.1601/02, Nürnberg), by Christoph Jamnitzerer (1563-1618) ルドルフ2世のコレクション
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17世紀のハプスブルク家、象牙細工のコレクションの部屋
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「敵を倒すレオポルド1世」 細緻を極めた象牙細工の名品。
1683年、あのベラスケスの絵で有名なスペインのマルガリータと結婚したレオポルト1世(Leopold I., 1640-1705, 神聖ローマ皇帝在位:1658-1705) の治世の頃、オスマン帝国 (オスマン・トルコ) による「第二次ウィーン包囲」により、神聖ローマ皇帝の居城のあったウィーンが攻撃にさらされるも、オーストリア・ポーランド・ドイツ諸侯の連合軍が勝利。 制作年代からして、おそらく、その戦勝を記念する作品だと思われる。
"Emperor Leopold I as Victor over his Enemies" (c.1690/93, Vienna), by Matthias Steinl (c.1643/44-1727)
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そのほかにも、非常に美しい工芸品の数々があり、まわった甲斐がありました。 クンストカンマーのショップで英語版のガイドブックを購入。

★Kunsthistorisches Museum Wien -- Kunstkammer Sneak Preview

・・・Kunsthistorisches Museum Wien YouTube 公式動画サイト https://www.youtube.com/user/KHMWien より。 HDの大変美しい動画なので、パソコンの大画面、全画面モードで観ることを強くオススメします!

古代ギリシャ・ローマ、古代エジプト・オリエント・コレクションにつづきます。「ウィーン美術史美術館 古代ギリシャ・ローマ・古代エジプト・コレクション

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ウィーン美術史美術館 10 カフェで休憩 その2

ルーカス・クラナッハ「楽園」その他 @ウィーン美術史美術館 09」のつづき。

絵画ギャラリーの見学を終えたのがPM 3:30頃。疲れたので、再びカフェで休憩。

ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 05 カフェで休憩 Cafe & Restaurant」でも書きましたが、2階中央にあるゴージャスな丸天井ホールのカフェ・レストランです。

アイスコーヒー(Coffee "Mazagran" ice-cold black double espresso served in traditional "Mazagran glass" Eur 4,90)を注文。 ちょうどいい濃さで、疲れてボーっとしていた頭がスッキリ 水のコップの上に、スプーンがさかさに置いてあるのが面白い。
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豪華な彫刻を眺めながら、贅沢な気分でしばし休憩。
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MwST. 付加価値税 20%で、netto (ネット 税抜き)、steuer (シュトイアー 税 tax)、Brutto (税込みで)、Summe (ズンメ 合計 sum)
オーストリアでは、生活必需品以外は20パーセントの高い税金がかかるんです
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疲れもだいぶとれたので、今年3月に再オープンしたばかりの 「クンストカンマー」 へ。
つづきます。「ウィーン美術史美術館 クンストカンマー Kunstkammer Wien (Vienna) 動画あり

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ルーカス・クラナッハ「楽園」その他 @ウィーン美術史美術館 09

ブリューゲル「バベルの塔」@ウィーン美術史美術館 08」のつづき。
ウィーン美術史美術館の絵画ギャラリーには、15世紀から1800年頃までの巨匠の作品が目白押し。
私の好きなルーカス・クラナッハの作品も多数所蔵されています。

ルーカス・クラナッハ(父)「楽園 (エデンの園)」
"The Paradise"(1530), by Lucas Cranach the Elde.
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旧約聖書に基づく宗教的な絵なんですが、ちょっと気弱そうなアダムと、あっけらかんとしたイヴの姿がユーモラス。つっこみどころが満載です(笑)。

★人の良さそうなアダム、手をとられても上の空かも?なイヴを祝福している神。犬の姿勢も屈折してるし。
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ルーカス・クラナッハ(父)「アダムとイヴ (原罪)」。
アダムに語りかけられても、ヘビを片手に持ちつつ、ほかのことを考えてそう?なイヴさま。
"Adam and Eve (The fall of man)(1537)", by Lucas Cranach the Elde.
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「楽園」の絵については、中野京子著「中野京子と読み解く 名画の謎 旧約・新約聖書篇」の解説が参考になりました。

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ほかに、いわゆる目玉作品としては、、

ヨハネス・フェルメール「絵画芸術」 "The Art of Painting"(1666-1668), by Jan Vermeer .
フェルメール没後、彼の家が破産し、1677年競売にかけられたもの。実際の色彩を再現できてなくて無念。カタログの色調もちょっと残念な感じでした。
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ラファエロ・サンティ「牧場の聖母(ベルヴェデーレの聖母, 草原の聖母)」 "Madonna in the Meadow"(1505-1506), by Raphael. 安らぎを感じる絵
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ハンス・ホルバイン(子)「ジェーン・シーモアの肖像」 "Jane Seyomour, Queen of Engrand"(1536), by Hans Holbein the Younger ヘンリー8世の3番目の妻で、息子エドワード6世を産んだ後、まもなく病没。ヘンリー8世の海外ドラマを見ていたので、涙なくしてはという感じ。
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カラヴァッジオ「ロザリオの聖母」 "Madonna of the Rosary"(1605-1607), by Michelangelo Merisi, called Caravaggio. 本物を見ることができて良かった。
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ピーテル・パウル・ルーベンス「毛皮をまとったエレーヌ・フールマン」 "Helena Fourment in a Fur Robe"(1636-1638), by Peter Paul Rubens. 
ルーベンスが53歳のとき、16歳のエレーヌ・フールマンと結婚。妻への愛情が伝わってくるルーベンスのプライベートな作品。
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他にもレンブラントなど巨匠の名作いろいろあるも、キリがないので、これにて終了。
休憩はさんで、クンストカンマーにつづきます。「ウィーン美術史美術館 10 カフェで休憩 その2

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ブリューゲル「バベルの塔」@ウィーン美術史美術館 08

デューラー「聖三位一体の礼拝 (ランダウアー祭壇画)」@ウィーン美術史美術館 07」のつづき。
ウィーン美術史美術館には、世界最大級の規模を誇る 「ブリューゲル・コレクション」があり、中でも、旧約聖書に出てくる「バベルの塔」が最も有名な作品でしょう。
非常にたくさんの人々が細密な描かれており、時間をかけてじっくりみることができ、とても良かったです。できれば
もっと見ていたかったくらい。

ピーテル・ブリューゲル(父)「バベルの塔」 "The Tower of Babel"(1563), by Pieter Bruegel the Elder.
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この絵については、中野京子著「中野京子と読み解く 名画の謎 旧約・新約聖書篇」の解説が詳しく参考になりました。

さて、ピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel, c.1525/1530-1569) はフランドル、現在のベルギー、アントワープ、ブリュッセルなどで活躍。

皇帝ルドルフ2世 (Rudolf II)」(1552-1612, 神聖ローマ皇帝在位 1576-1612) のすぐ下の弟、エルンスト・フォン・エスターライヒ (エルンスト大公 Erzherzog Ernst (III.) von Österreich 1553-1595) はスペイン領ネーデルラント総督となり、そのときにブリューゲルの作品に出会ったのが収集のきっかけ。 その収集作品は、その兄、皇帝ルドルフ2世のコレクションとなりました。

ブリューゲルの連作月暦画 「12ヶ月図」のうちの一つ、「雪中の狩人」 "Hunters in the Snow (Winter)"(1565), by Pieter Bruegel the Elder.
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C.H.ベック「ウィーン美術史美術館 絵画」の解説によれば、「12ヶ月図」は、1566年にアントワープのニクラース・ヨングリング公の個人蔵であったが、その財産をアントワープ市に対する担保にした結果、アントワープの所有となり、その後の1594年、アントワープ市は6枚からなるシリーズを、スペイン領ネーデルラント総督エルンスト大公に寄贈。その後、ルドルフ2世のコレクションに。

なお、「12ヶ月図」のうちの一つ、「干し草の収穫」は、プラハ城の中にある「ロブコヴィッツ宮殿」http://www.lobkowicz.cz/ に展示されていて、今回のウィーン&プラハ旅行で、実際にこれを見ることができました。
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★ブログ記事:「プラハ城 ロブコヴィッツ宮殿 クラシック・コンサート

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ピーテル・ブリューゲル(父)「子供の遊戯」 "Children's Games"(1560), by Pieter Bruegel the Elder.
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ピーテル・ブリューゲル(父)「農民の婚宴」 "Peasant Wedding"(c.1568), by Pieter Bruegel the Elder.
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ピーテル・ブリューゲル(父)「謝肉祭と四旬節の間の喧噪」 "The Fight Between Carnival and Lent"(1559), by Pieter Bruegel the Elder.
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たくさんの人物一人一人を見ているだけで、結構時間がかかります。
ブリューゲル・コレクションのある部屋。 ウィーン美術史美術館は天井が高く、ソファーが中心にたくさんあり、休憩しながら見られたのが良かったです。
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つづきます。「ルーカス・クラナッハ「楽園」その他 @ウィーン美術史美術館 09

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デューラー「聖三位一体の礼拝 (ランダウアー祭壇画)」@ウィーン美術史美術館 07

コレッジョ 「ガニュメデスの誘拐」「ユピテルとイオ」@ウィーン美術史美術館 06」のつづき。
ハプスブルク家の中でもとりわけ精力的な美術品の収集家だったルドルフ2世 (Rudolf II)」(1552-1612, 神聖ローマ皇帝在位 1576-1612)。
1583年、ルドルフ2世はウィーンからプラハに居城を移し、デューラー (Dürer) ブリューゲル (Brueghel) をはじめとする絵画コレクションのほか、現在のクンスト・カンマー (Kunstkammer) の基礎となる膨大な工芸品のコレクションを収集しました。

ハンス・フォン・アーへン (Hans von Aachen) 「皇帝ルドルフ2世の肖像」、
アルブレヒト・デューラー 「聖三位一体の礼拝 (ランダウアー祭壇画、諸聖人の祭壇画)」"Adoration of Trinity (Landauer Alter)"(1511), by Albrecht Dürer
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ドイツ、ニュルンベルク出身のアルブレヒト・デューラー (Albrecht Dürer, 1471-1528)は、前掲 「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の肖像」 "Portrait of Maximilian I"(1519), by Albrecht Dürer.では、皇帝直々の依頼により肖像を描いています。

そして、その8年前の1511年の作品が 「聖三位一体の礼拝 (ランダウアー祭壇画、諸聖人の祭壇画)」。
ニュルンベルクの12兄弟の家の礼拝堂の祭壇画として、マテウス・ランダウアー (Matthäus Landauer) がデューラーに制作を依頼し寄贈したもの。1585年にルドルフ2世が財団から購入(C.H.ベック「ウィーン美術史美術館 絵画」の解説参照)。

絵の右下に小さく、デューラー自身の姿が描かれています。毛皮の襟付きコート、赤い帽子、赤いタイツのファッションセンス。 長髪で片手を腰にあててポーズを決めてるデューラーさま。 40才頃の自画像。カッコいい!
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・・・なんて小さなことにこだわっていると、なかなか進みやしませんが(笑)。そういうことこそ楽しい、私の趣味

では次に、世界最大級の規模を誇る「ブリューゲル・コレクション」へ。
つづきます。「ブリューゲル「バベルの塔」@ウィーン美術史美術館 08

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コレッジョ 「ガニュメデスの誘拐」「ユピテルとイオ」@ウィーン美術史美術館 06

ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum 05 カフェで休憩 Cafe & Restaurant」のつづき。
ウィーン美術史美術館の絵画コレクションに貢献したハプスブルク家出身の皇帝として、まず挙げられるのが「ルドルフ2世 (Rudolf II)」(1552-1612, 神聖ローマ皇帝在位 1576-1612)。

彼のコレクションのうち、まずは、アントニオ・アレグリ、通称、コレッジョの「ガニュメデスの誘拐」と「ユピテルとイオ」。
"The Abductin of Ganymede" (c.1530), by Antonio Allegri, called Correggio, "Jupiter and Io" (c.1530), by Antonio Allegri, called Correggio (c.1489–1534). 
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「ガニュメデスの誘拐 (The Abductin of Ganymede)」では、鷲の姿に変身したユピテル(ゼウス)によって上空へと連れ去られようとしている、ほぼ裸体に近い姿の美少年。その美少年がこちらに向ける視線や表情に吸い寄せられる。同性愛における少年愛の世界。

「ユピテルとイオ (Jupiter and Io)」では、黒い雲の姿に変身したユピテル(ゼウス)に抱きしめられ、甘い吐息を洩らすイオ。その白い肌のコントラストが美しい。

いずれもマントヴァのゴンザーガ家、フェデリーコ2世 (Federico II Gonzaga, 1500-1540)の注文による、コレッジョの「ユピテルの愛の物語」の4部作の一部(1530年–1531年頃)。

古代ローマの詩人、オウィディウス (Ovidius, BC43-AC17)「変身物語 (変形譚 Metamorphoses)」の「ユピテルの愛の物語」に基づく作品。
ユピテルはローマ名。ギリシャ名ではゼウス。英語名ではジュピター。ギリシャ神話における、天界を支配するオリュンポスの神。

「変身物語 (変形譚 Metamorphoses)」は、古代ローマの詩人 「オウィディウスの叙事詩体による神話物語集。15巻人間が動植物などに変わる奇跡的転身の物語を集めたもので、ギリシア・ローマの神話伝説の最も華麗な集大成。」(ブリタニカ国際大百科事典より)。

http://www.khm.at/ Entdecken (Explore) > Google Art Project で、きれいな画像が見られます。

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なお、4部作のその他の作品の一つは、「ダナエ (Danae)」(ローマ、ボルゲーゼ美術館 Museo e Galleria Borghese 所蔵)
「ダナエの産む男児はおまえを殺すであろう」という神託を受けたダナエの父親。その父親にに閉じ込められているダナエ。そこに黄金の雨に変身したユピテル(ゼウス)は初々しい肢体のダナエ、そして、翼を持つ美少年の姿をしたアモールに迎えられ、ダナエへと降り注ぐ。(ダナエは、ペルセウスを産み、予言どおりダナエの父親を殺してしまう)
★「ダナエ」の絵は、http://www.galleriaborghese.it/borghese/en/edanae.htm

もう一つは、「レダとスワン (Leda and the Swan, Leda mit dem Schwan)」(ベルリン・絵画館 Gemäldegalerie 所蔵)
★「レダとスワン」の絵は、http://www.smb.museum/museen-und-einrichtungen.html >Gemäldegalerie > SMB-digital Online collections database
SCHNELLSUCHE ALLE SAMMLUNGEN (QUICK SEARCH ALL COLLECTIONS) で "Leda mit dem Schwan"を検索のこと。
他3点と比べると、「愛」の描写があからさまで、なんとも妖しい雰囲気が漂っているような気が・・・。

★「ガニュメデスの誘惑」については、「怖い絵 (角川文庫)」。この朝日新聞社版参照。
ダナエほか4部作については、「ボルゲーゼ美術館最新ガイド」(GEBART社)。 ギリシャ神話については、「中野京子と読み解く 名画の謎 旧約・新約聖書篇」参照。

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コレッジョの作品は、2008年のイタリア旅行の際、ローマのボルゲーゼ美術館で開催されていた「コレッジョ展」("Correggio e l'antico" May 22 - Sep.14, 2008. Galleria Borghese
で見て以来ファンなのですが、再び見ることができ大変嬉しかった。
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いずれも1530年頃の作品。

その約11年前の1519年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が死去。選帝侯による選挙により、同じくハプスブルク家のカール5世(1500-1558、当時19才) が神聖ローマ皇帝の地位を承継(スペイン王としては、カルロス1世)。それに伴い、ハプスブルク家はドイツ、オーストリア、フランドル、スペイン等々広大な領土を支配。

その後、カール5世は、フランソワ1世(1494-1547)、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとなったフランス王率いるフランス軍と、イタリア支配をめぐって、イタリアの地において激突。
「パヴィアの戦い」(1525年)でフランス軍が敗退。フランソワ1世は捕虜となる。ミラノ、ナポリの主権放棄等のマドリード条約を結んで1526年1月釈放されるも、勝手に条約を破棄!

しかも、1526年5月、カール5世による勢力拡大を恐れた当時の教皇、クレメンス7世 (1479-1534、在位1523-1534)が、フランソワ1世のほか、ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ間で、カール5世に対抗する同盟、「コニャック同盟」を締結。

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相対するカール5世側は、ローマにまで進軍。 1527年5月には、ヨーロッパ中で非難の的となる、「サッコ・ディ・ローマ Sacco di Roma - ローマ掠奪(りゃくだつ)」に至る。

カール5世側の軍を構成するのは、スペイン兵と、ランツィケネッキと呼ばれたドイツの傭兵。ルター派のプロテスタントが半数以上。
司令官が戦死。給料を十分に与えられていなかった傭兵は掠奪の限りを尽くし、ローマは徹底的に破壊され、イタリア・ルネサンスはここに終焉を迎える。

このとき、ヴェネツィアとミラノの間にある小国、「マントヴァ」はコニャック同盟に不参加。
教会軍の総司令官となる誓約をしていたマントヴァ公爵フェデリーコ2世 (1500-1540、カール5世と同い年) は進軍せず。

この誓約書。なんと、フェデリーコ2世の母、イザベッラ・デステ (1474-1539)が手をまわし、事前にバチカンの金庫から盗ませ、焼却させていたのでした。
★ピーテル・パウル・ルーベンス「イザベッラ・デステの肖像」(ウィーン美術史美術館)。この肖像画は彼女の死後に描かれたもの。"Isabella d'Este"(c.1605), by Peter Paul Rubens。
レオナルド・ダ・ヴィンチによるイザベッラ・デステのデッサン(ルーヴル美術館蔵)。
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このとき、イザベラ・デステの三男フェランテはスペイン軍の隊長だったので、この禁じ手を使うのもやむなしというべきか。

その後、1526年から続く、オスマン帝国 (オスマン・トルコ) による進入に伴う「第一次ウィーン包囲」(1529年)。これを持ちこたえて、ウィーン陥落を回避。
(第二次ウィーン包囲は、1683年。前掲スペインのマルガリータと結婚したレオポルト1世治世の頃)

1530年2月、ローマ掠奪の記憶の生々しく残るローマではなく、ボローニャにおいて、カール5世は、ローマ教皇の手によって、正式に神聖ローマ帝国皇帝として戴冠される。

このカール5世、20代の10年間における戦いの日々を思うと、智慮と策略、時の運無くしては、ひょっとしたら生き残れなかったかも。

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さて、1530年3月、マントヴァに立ち寄ったカルロス5世よって、フェデリーコ2世は公爵に昇格。

日本語版カタログでは、「フェデリコ・ゴンザーガが 1532年にマントヴァで皇帝カール5世に献上したものと思われる」と、コレッジョの絵の来歴が記されています。

このコレッジョの絵を注文し、カルロス5世への献上品としたマントヴァのフェデリーコ2世。 厳しい時代をなんとか乗り切り、カール5世側に付いて昇格。今後の行く末など、格別の思いがあったことでしょう。

以上の歴史については、塩野七生著 「わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈3〉 (新潮文庫)」「ルネサンスの女たち (新潮文庫)」第一章イザベッラ・デステ、中野京子著「名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)」 

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ルドルフ2世は、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王としては、カルロス1世)の孫であり、オーストリア系ハプスブルク家を承継したフェルディナント1世の孫でもあり。フェリペ2世の4人目の王妃、「アナ・デ・アウストリア」の弟。

ルドルフ2世は、1583年、ウィーンからプラハに居城を移し、そこでコレクションを充実させていきます。

ルドルフ2世の死後、30年戦争(1618-1648)の末期、1648年にスウェーデン軍によるプラハ包囲、占領により、その大部分は略奪され散逸。
しかし、それでもデューラー、ブリューゲル、コレッジョなど、珠玉のコレクションがウィーンに移されました。

日本語版、「ウィーン美術史美術館 絵画」(C.H.ベック)のカタログでは、「ガニュメデの誘惑」は1603/4年に皇帝ルドルフ2世の美術室に。 「ユピテルとイオ」は1601年に皇帝ルドルフ2世の美術室に。

この作品を購入する際には、スペインでの交渉が長期間にわたり、スペイン大使ケーフェンフィラー伯爵は、ルドルフ2世から、コレッジョ 「ガニュメデス」 のオリジナルが手に入らないときには、せめてコピーでもいいから入手せよと命じられていました(トマス・D・カウフマン著 斉藤栄一訳 「綺想の帝国―ルドルフ二世をめぐる美術と科学」(工作舎)299頁 )。

それほど、ルドルフ2世にとって思い入れのある作品。 自らのコレクションに加えたときの喜びは、いかばかりであったことでしょう。

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ルドルフ2世については、中野京子著 「名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)」の第7章「ジュゼッペ・アルチンボルド「ウェルトゥルヌスとしてのルドルフ2世」、トマス・D・カウフマン著 斉藤栄一訳 「綺想の帝国―ルドルフ二世をめぐる美術と科学」(工作舎)、R.W.J.エヴァンズ著 中野春夫訳 「魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界 (テオリア叢書)」(平凡社)が大変参考になりました。

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美術館の話題からちょっと脱線しましたが、ハプスブルク家の歴史にも関わっていますし、スカパー、イマジカBSで見たドラマ、チェーザレ・ボルジア、教皇アレクサンデル6世の 「ボルジア 欲望の系譜 Borgia: Faith And Fear」「THE TUDORS- ヘンリー8世 背徳の王冠」 にハマりすぎて、1500年前後のヨーロッパの歴史が三度の飯より好きな私。ついつい長くなりました。

つづきます。「デューラー「聖三位一体の礼拝 (ランダウアー祭壇画)」@ウィーン美術史美術館 07

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