ウィーン散策 05 ドナウ運河、エルサレムの階段、アンカー時計、古代ローマ都市「ウィンドボナ」(Vindobona)
「ウィーン散策 04 「アイスサロン・アム・シュヴェーデンプラッツ」でアイスクリームを食べる」のつづき。
「ドナウ運河」 (Donaukanal)。
「シュヴェーデンプラッツ (Schwedenplatz)」 にあるマリーエン橋 (Marienbrücke マリーエン・ブリュッケ bridge) から、赤いシュヴェーデン橋 (Schwedenbrücke) を眺める。
ドナウ運河は、1870年から1875年にかけての治水工事で完成。
右側には、ツインシティライナー(Twin City Liner)のドナウ川クルーズ船のステーション (schiffsstation Wien)。 赤いシュヴェーデン橋 (Schwedenbrücke) の先には、DDSGのドナウ川クルーズ船のステーションあり。
シュヴェーデン Schweden = スウェーデン Sweden. のドイツ語読み。 「なぜ、スウェーデンなのか」というと、第一次世界大戦後、スウェーデンが、ウィーンの子どもたちのために援助してくれたことを記念して、1919年、旧Ferdinandplatz から改名。https://schwedenplatz.wien.gv.at/ppr19/schwedenplatz/der-schwedenplatz/geschichtliches/ 名前に歴史あり
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この「シュヴェーデンプラッツ (Schwedenplatz)」は、路面電車がたくさん行き交う交通の要衝。地下鉄も通っています
マリーエン橋 (Marienbrücke) から、シュテファン大聖堂へとまっすぐ伸びる ローテントゥルム通り (Rotenturmstraße) に入って、すぐ右折。 ザイテンシュテッテン小道 (Seitenstettengasse) に入ると、左手にユダヤ教の礼拝所、「シナゴーグ (Synagoge in Wien)」 (写真上右)。
このシナゴーグは、1421年にオーストリアからユダヤ人が追放されて以降、最も古いシナゴーグ。 建築家コルンホイゼル (Joseph Kornhäusel) によって、1825年から1826年に建築 (Seitenstettengasse 4)。http://www.stadt-wien.at/wien/sehenswuerdigkeiten/kirchen/synagoge.html
そして、1981年8月29日、テロ攻撃のあった場所
http://www.nytimes.com/1981/08/31/world/6-more-held-in-vienna-synagogue-raid.html
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ユーデン・ガッセ (Judengasse) = ユダヤ小道から、デズィダー・フリードマン広場 (Desider-Friedmann-Platz) へ。 この広場、ユダヤ人でシオニスト(Wiki)、ウィーンのユダヤ人社会 Israelitischen Kultusgemeinde Wien (IKG) の代表、1944年アウシュヴィッツで生涯を終えたフリードマンを記念して命名。
この広場から、フライシュマルクト Fleischmarkt (食肉市場)通りへと下がる
「エルサレムの階段 (Jerusalem stiege (Wien))」
上の写真右は、前掲シナゴーグを建築したコルンホイゼル (Kornhäusel)の塔と階段。
左下は、1996年、エルサレム誕生3000周年を記念、連帯の印として、「エルサレムの階段 (Jerusalem stiege」と命名されたことを示す記念碑 (Fleischmarkt 4)。
http://www.viennatouristguide.at/Gedenktafeln/Stadtgeschichte/1996_jerusalem_stiege_1.htm
ところで、1938年3月13日、オーストリアはドイツによって併合され(Der Anschluß アンシュルス)、ウィーンのユダヤ社会はナチスによってほぼ破壊。 オーストリア在住のユダヤ人は強制収容所に送られ、65,000人が殺害されたのでした。 想像するだに、なんとも怖ろしい事実。 それが、まだ100年もたってないなんて・・・
http://www.wien.gv.at/spaziergang/juedisches-wien/
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エルサレムの階段をおりて、バオアーンマルクト (Bauernmarkt 農家市場 Farmer's Market) 通りへ。 ホーアーマルクト広場(Hoher Markt)に出る直前、旧アンカー保険会社のビルをつなぐ空中回廊には 「アンカー時計」 (Ankeruhr)
"MCMXIV" (1914年) と書いてあります (ローマ数字で、M (=1000), D (=500), C (=100), L (=50))。
回廊の下の浮き彫り彫刻も美しい
この仕掛け時計は、グスタフ・クリムトとともに活躍したユーゲントシュティル(アールヌーボー)の画家、フランツ・マッチュ (Franz Matsch 1861-1942 Wiki)のデザインで、1911年から1917年にかけて制作されたもの。 ウィーンの歴史上の人物12組が、一時間ごとに一組づつ登場。 正午の12時には全組登場するそうです。
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「ホーアーマルクト広場」(Hoher Markt)、広場の真ん中にある 「結婚の泉」(Vermählungsbrunnen)
この泉、元々は あのウィーン美術史美術館にあった肖像絵や彫刻でもおなじみ、ベラスケスの肖像画のマルガリータの夫、皇帝レオポルト1世(Leopold I. 1640-1705)が、息子ヨーゼフのスペイン承継戦争の戦地からの帰還を祝って作らせたもの。1706年、オーストリア国立図書館の豪華なプルンクザール (Prunksaal) を設計したバロック建築の巨匠、ヨハン·ベルンハルト·フィッシャー·フォン·エルラッハ(Johann Bernhard Fischer von Erlach, 1656-1723)の設計による木製の記念碑が建てられたが、1732年噴水に置き換えられました。
http://www.stadt-wien.at/wien/ausflugszielewien/parkanlagen/brunnen-in-wien/vermaehlungsbrunnen.html
http://www.wien.info/ja/sightseeing/green-vienna/bridges-and-fountains
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ところで、この界隈は、映画 「第三の男」(1949年、英国)にもバックの映像で登場
第二次大戦から間もないウィーン。 第二次大戦の連合軍の爆撃により実際に破壊、崩壊した建物、その中、かろうじて残った「結婚の泉」。
その後、見事に復興をとげたウィーンの街の姿を重ねて見ると、感慨深いものがありました。
こちらは、映画「第三の男」で、古いウィーンの街角を、チェックしてみるといいかもです
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ところで、以上に書いてきた界隈には、古代ローマ軍が北の境界線を確保するための宿営地、 「ウィンドボナ」(Vindobona) があり、現在のオーストリアの首都ウィーンの原型となりました Wiki。
その最盛期とされる2世紀から3世紀中期頃は、3万人以上の人々が住んでいたと推測されています。
この古代の歴史を展示している博物館が、2008年にオープンした、この広場にある「(古代) ローマ博物館 (Römermuseum)」
http://www.wienmuseum.at/de/standorte/ansicht/roemermuseum-1.html
★Katalogansicht (カタログビュー) では、ショートガイドが古代ローマの地図入りで紹介されていて興味津々。
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