ウィーン新王宮 ヒトラーの演説、ハンナ・アーレントとSNS「いいね!」
「ウィーン王宮 ホーフブルク (Hofburg) を見学する」のつづき。
「新宮殿」 (Neue Burg) のある 「英雄広場(ヘルデンプラッツ) Heldenplatz」 へ。
新宮殿の建設は1881年から1913年まで。 フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I. 1830-1916, オーストリア帝国、のちオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝在位 1848-1916) の治世の頃。
しかし、その内装工事が完了したのは 1923年。 すでにハプスブルク帝国が終焉 (1918年)を迎えてしまった後。 新宮殿は、帝国の「レジデンツ」(宮殿)として、本来の目的を果たせないまま・・・。 完成をみないまま亡くなった皇帝の心中、いかばかりだったことだろう。
建設当初は、壮大な「皇帝のフォーラム」(Kaiserforum, Imperial Forum)、古代ローマのフォロ・ロマーノ (ドイツ語で "Forum Romanum") のような大規模なプロジェクトを計画。 しかし、工期が第一次世界大戦にもつれ込んで中断。計画は未完に終わる。
http://www.khm.at/en/explore/angebote/renting-the-museum/neue-burg/
http://www.habsburger.net/en/chapter/glory-was-rome-franz-josephs-dream-imperial-forum?language=de
※HOFBURG VIENNA "Unsere Geschichte, Our Histry" P.16, http://www.hofburg.com/en/information/hofburg_and_vienna History 参照。
.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°
新王宮前のヘルデンプラッツ(Heldenplatz, 英雄広場) バルコニーの前には、オイゲン公の騎馬像 (1865年)。 「ベルヴェデーレ宮殿」を作ったオイゲン公については、以前書いた記事「ウィーン 「ベルヴェデーレ宮殿・上宮」 Schloss Belvedere ,「オイゲン公の冬の宮殿」 Winterpalais Prinz Eugen」、参照。
.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°
さて、アドルフ・ヒトラー (Adolf Hitler, 1889-1945) が、この新宮殿のバルコニーに立ち、「英雄広場」をびっしりと埋め尽くす市民に向かって、「ドイツによるオーストリア併合」(Der Anschluß アンシュルス, Der Anschluß Österreichs an das Deutsche Reich)の演説をしたのは、1938年3月15日。
ヒトラーによるドイツのオーストリア併合については、NHKのドキュメンタリー、NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望で詳しく紹介されている。
旅行中、夫がこの番組の中で、バルコニーからヒトラーが演説していた映像があったというので、旅行後、夫が録画していたこの番組のビデオをじっくり視聴。
これによれば、ヒトラー 「わが闘争」(Mein Kampf)の冒頭で、「同一の血を持つ民族は、同一の国家に属するものとして、オーストリア帝国を含めて大ドイツ統一を実現する」という、オーストリア併合の夢が語られている。
.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°
ヒトラーは、1889年、オーストリア、ドイツ国境の町 ブラウナウ Brauneu に生まれ、画家・建築家になることを夢見て、青春時代をオーストリアで過ごす。
第一次世界大戦 (1914-1918) での敗戦で、ドイツは莫大な賠償金を課されたうえ、1929年の世界恐慌の影響を受け、ドイツ経済は破綻。 そこに、「ドイツ民族の復興」というスローガンを掲げて民衆の支持を得たのが、ヒトラーの独裁政権。
ヒトラーは失業対策として、高速道路 「アウトバーン」を建設。民衆の手の届く価格の国産車「フォルクスワーゲン」(Volks = 国民、Wagen = 車)の設計をポルシェに依頼し大量生産。「ドイツ民族の復興」というスローガンを掲げた、巧みな演説アジテーションに民衆は熱狂。
.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°
そして、「オーストリア在住のドイツ人が迫害されている」という理由で、1938年3月、オーストリア進駐。オーストリアのドイツ系住民はヒトラーを歓迎。武力衝突を起こすこともなく、不況に苦しむ民衆はナチス・ドイツに期待をかけた。
そして、1938年3月15日、オーストリアのウィーン新王宮のバルコニーに立つヒトラー。 英雄広場を埋め尽くす民衆の前で、オーストリア併合を宣言。
当時の写真は、http://www.thirdreichruins.com/vienna.htm
プロパガンダ映画による民衆誘導、疑いを差し挟むような言論、批判の自由を許さず、流れに乗って突き進んでしまう・・・。
本人たちは真面目でストイック。 純真に使命感に燃えているのが、なおさら怖い。
.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°
ところで、去年、岩波ホールで見た映画 「ハンナ・アーレント」では、、旧ナチス高官アイヒマン裁判で、時代の支配的な空気に流されることなく論考、ニューヨーカーに傍聴記を連載した思想家、ハンナ・アーレントが、アイヒマンに同情的な反ユダヤ主義者と誤解され、周囲から孤立する姿が描かれていた。http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
映画後半、教室での講義の中でアーレントは、「命令に従っただけ」というアイヒマンの弁解について、「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪」 として「悪の凡庸さ」を語り、思考する能力のない人間は、モラルまで判断不能となり、平凡な人間が残虐行為に至ると。
.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°
空気を読んで、体制側、そして大衆に迎合するようなジャーナリズムは最悪だし、無批判のまま同調してしまう 「思考停止」 ほど怖ろしいものはない。ただ、これは反対側に立っても同じこと。
これは、メディアの誘導をはじめ、いろんな場面で、私たちが、今でも直面している課題だと思う。
身近なことでは、Facebook など SNS における 「いいね!」 同調、とか(笑)。
つづきます。「ウィーン王宮の地図 英雄広場からスイス門へ」
| 固定リンク
コメント