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ウィーン 「ロブコヴィッツ宮殿」 と ベートーヴェン「英雄」 A Beethoven Walk - Palais Lobkowitz, Theatermuseum Vienna ★ナポレオンについて追記あり 2014/02/11

「アウグスティーナー教会」 ハプスブルク家の心臓埋葬」のつづき。

アウグスティーナーに向かって歩くと、ベートーヴェンのパトロンの一人だったロブコヴィッツ公の
「ロブコヴィッツ宮殿」"Palais Lobkowitz (Wien)"
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現在は、「オーストリア演劇博物館」"Österreichisches Theatermuseum"になっていますが、コンサートやウェディングの会場としてレンタル可能
http://www.theatermuseum.at/vor-dem-vorhang/das-palais/
http://www.khm.at/entdecken/angebote/mieten-sie-das-museum/oesterreichisches-theatermuseum/

この宮殿は、1683年、オスマン帝国による「第二次ウィーン包囲」の後に建てられた、ウィーンで最初の重要なバロック様式の宮殿

そのメインエントランスは、「世界一美しい図書館」 ともよばれる「オーストリア国立図書館プルンクザール」の設計でも有名な、宮廷建築家 ヨハン·ベルンハルト·フィッシャー·フォン·エルラッハ (Johann Bernhard Fischer von Erlach) によるデザインなのだ

★地図はこちら(「ウィーン王宮 ヨーゼフ広場、国立図書館プルンクザールへ」)

★チェコのプラハの 「ロブコヴィッツ宮殿」 については、「プラハ城 ロブコヴィッツ宮殿 クラシック・コンサート」のエントリー記事をどうぞ。

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幾人かの所有者の変遷を経る中、最も有名なのが、ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven, 1770-1827. (wiki)) のパトロンの一人、ロブコヴィッツ (Lobkowitz) 家の第7代、フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ (Franz Joseph Maximilian Fürst von Lobkowitz, 1772-1816, チェコ語で、Joseph František Maximilian. (wiki))。

その出会いは、ウィーン。 二人とも多感な青年期。 神聖ローマ帝国ケルン大司教領だったドイツのボン出身、ベートーヴェン22才、ロブコヴィッツ公20才の時。

ロブコヴィッツ公は、ルドルフ大公(Rudolph von Österreich, 1788–1831, 神聖ローマ皇帝レオポルト2世の末子, Wiki)、キンスキー伯爵とともに、ベートーヴェンに年金を保証(経済恐慌の時のみ、一時中断)。 ロブコヴィッツ公が44才で亡くなった後も、ベートーヴェンが56才で亡くなるまで、その年金は支払われ続けました。

その恩に報いて、ベートーヴェンは、ロブコヴィッツ公に交響曲3番「英雄」、5番「運命」、6番「田園」などを捧げています。

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ところで、交響曲3番の原題は、"Sinfonia Eroica" (イタリア語)、「英雄交響曲」。

その作曲は、ウィーンの 「ベートーヴェン・エロイカハウス」"Beethoven Eroicahaus", Oberdöbling 1190 Wien, Österreich (Google Map) にて。
こちらは、現在、リクエストあれば公開 (ONLY ON REQUEST) の博物館になっています。 詳しくは、http://www.wienmuseum.at/en/locations/location-detail//standorte/beethoven-eroicahaus.html

元は、ナポレオンに捧げようとしたのですが、ロブコヴィッツ公に捧げられました

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ところで、1789年のフランス革命、バスティーユ襲撃のとき、ベートーヴェンは18才。

フランス絶対王政による圧政からの解放を求めて革命に参加した人々は、1789年、「人および市民の権利宣言」を採択。

その16条では、「人および権利の保障が確保されず、権利の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」と宣明。
1791年、この人権宣言を前文とする成分憲法が成立。
1792年、共和制成立。 王政廃止が宣言される。
1793年、革命裁判でルイ16世、つづいて、王妃マリー・アントワネットが断頭台(ギロチン)で処刑。

ところが、ロベスピエールを中心とするジャコバン派による独裁、反対派を次々粛正する恐怖政治へ。
1794年、その反動によるクーデターで、ロベスピエールは失脚。 断頭台(ギロチン)で処刑。

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このような、めまぐるしい革命後の混乱の中、ナポレオンは、イタリア遠征により広大な領土を獲得。 フランスの国民的英雄となる。

★ベートーヴェンの故郷、現在のドイツのボンも、 1794年、ナポレオン軍に占領され、ナポレオン全盛時代にはフランス領となっている

この、ナポレオン全盛時代には、ボンがナポレオンに占領されてフランス領だった、という事実は、当初、交響曲3番「英雄」をナポレオンに捧げようと思った要因の一つかも。

1799年、ナポレオンは武力で議会を解散。 独裁政権を樹立。

1804年、ナポレオンは、皇帝ナポレオン1世として戴冠。

これでは絶対王政、旧体制に逆戻りなのでは、とベートーヴェンもさぞや幻滅したことだろう。

1810年、ナポレオンは、ハプスブルク家、最後の神聖ローマ皇帝 (在位1792-1806) となり、また、最初のオーストリア皇帝フランツ1世 (Franz I., 在位1804-1835) となった、フランツ2世 (Franz II., 1768-1835) の娘、マリー・ルイーズと結婚 (前年、ジョセフィーヌと離婚)。
・・・この政略結婚、ナポレオンの子孫に、ハプスブルク王朝の血統を入れる!という野心ありあり。 またもやナポレオンには幻滅だよ、みたいな。。

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・・・と余談はともあれ、

ナポレオンではなく、ロブコヴィッツ公に捧げられた交響曲3番「英雄」は、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場 "Theater an der Wien" で公式に初演される前年の1804年夏、私的なコンサートとして、ロブコヴィッツ家がチェコに所有していた 「イェゼジー城」"Jezeří"(Zámek) で初演

これは、後掲「ロプコヴィッツ・コレクション」公式ガイドブック(日本語版)、及び、「ロブコヴィッツ宮殿」公式サイトで紹介されていた情報です。
「Originally dedicated to Napoleon, the 3rd Symphony was performed for the first time, privately, at Jezeří Castle in 1804, one year before the first public performance in Vienna.」(ref. http://www.lobkowicz.cz/en/Highlights-from-The-Collections-47.htm?item=113)

これと異なる、「ウィーン旧市街 とっておきの散歩道」(ダイヤモンド社)やウェブ上の情報は、おそらく間違っているのでは??

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ベートーヴェンと、ロブコヴィッツ公との密接な結びつきについては、公式ガイドブック「ロブコヴィッツ・コレクション」のほか、公式サイト http://www.lobkowicz.cz/en/ に、第3番 「英雄」 初版譜面の写真とあわせて、詳しく解説されていて、本稿もこれを参考にしています。
http://www.lobkowicz.cz/en/Highlights-from-The-Collections-47.htm?item=113

チェコのプラハ城内にある「ロブコヴィッツ宮殿」を見学の際には、ベートーヴェン実筆の校正のある筆写譜、ベートーヴェンの第3番「英雄」の楽譜の初版本 (Beethoven's Eroica Symphony, First published edition, 1806)、そのほか、モーツァルトがおびたたしい書き込みをしている譜面など、クラシックファンにとっては垂涎のお宝が展示されていて、かなり見応えありました

★チェコ、プラハ城内にある 「ロブコヴィッツ宮殿」については、http://www.lobkowicz.cz/en/
毎日 13:00 - 14:00 の間に開催される、17世紀の美しい天井の広間でのクラシック・コンサートも、非常に素晴らしかった

★ブログ記事:「プラハ城 ロブコヴィッツ宮殿 クラシック・コンサート

★写真は、チェコ、プラハ城内にある 「ロブコヴィッツ宮殿」の入口
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ちょっと脱線してしまいましたが、交響曲第3番 「英雄」つながりということで、お許しを。。

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ところで、ウィーンのロブコヴィッツ宮殿にある「エロイカ・ホール」(Eroica-Saal) は、ロブコヴィッツ公に献呈されたエロイカにちなんだ名前。

1807年、ベートーヴェンの交響曲4番は、私的演奏会として、ここエロイカ・ホールで初演されました

ウィーン美術史美術館のサイトの演劇博物館紹介のPDF 30頁以下、そして演劇博物館の公式サイトを見ると、天井画や床の装飾も美しいバロック宮殿 クラシック・コンサートの機会があったら、入ってみたい ここをベートーヴェンが歩んだかと思うと興味が湧きます!

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ちなみに、交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」は、ロブヴィッツ公と、ラズモフスキー伯爵とに献呈されています。
ラズモフスキー伯爵と、ウィーン「ラズモフスキー宮殿」については、「ウィーン 「ラズモフスキー宮殿」 ★ベートーヴェン ラズモフスキー四重奏曲」の記事をどうぞ。

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ところで、交響曲3番「英雄」が初演された「イェゼジー城」"Zámek Jezeří , Chateau Jezeří".

チェコ北西、ボヘミア、Ústí nad Labem (ウースチー・ナド・ラベム)。 ドイツ国境から約10km以内、 エルツ山地山麓の斜面に立つバロック様式の城館 (Zámek) です (Horní Jiřetín, Česká republika)。(Google Map 地図情報)

1840/45頃に描かれた、「ボヘミア北部のイェゼジー城」の絵が公式ガイドブックに掲載されていますが、エルツ山地の緑をバックに、山裾の緑が広がる自然豊かな地
ここは、狩猟を行うために使われ、社交の場としても用いられました

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ところで、Wiki を見ると、ドイツ語名は "Schloss Eisenberg (アイゼンベルク城)" になってて、違いすぎ

チェコの「ロブコヴィッツ宮殿」「イェゼジー城」その他、ロブコヴィッツ家の財産は、第二次大戦でナチス・ドイツに没収されていたのでした

そして終戦。 いったん返還されるも、わすか数年で今度は共産党政権により、再び差し押さえられ
90年代の財産返還法による返還請求権により、ようやく、ロブコヴィツ家の所有にカムバック
まったく、ごく数年前のことなんです。

1996年、マーティン・ロブコヴィツが 「イェゼジー城」を国に寄贈。 相互の合意により、Ústí nad Labem (ウースチー・ナド・ラベム) の文化遺産マネジメント(現、国立文化遺産研究所)に移管されました。
"in 1996 Martin Lobkowicz donated the castle to the state and by mutual agreement the building was again transferred to the management of the Heritage Institute (now the National Heritage Institute) in Ústí nad Labem."(ref. http://www.zamek-jezeri.cz/)

それゆえ、現正式名称は、「Státní Zámek Jezeří」 。Státní = Public で、「公営イェゼジー城」。
以上、http://www.zamek-jezeri.cz/
http://www.zamek-jezeri.cz/history-of-the-chateau/the-period-of-greatest-threat/
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ところで、ロブコヴィッツ (Lobkowitz) 家はボヘミア出身。 その初代は、宮廷をウィーンからプラハに移し、ハプスブルク家の中でもとりわけ精力的な美術品の収集家だったルドルフ2世 (Rudolf II)」(1552-1612, 神聖ローマ皇帝在位 1576-1612) 、マティアス皇帝、フェルディナント2世の治世にわたってチェコ王国の宰相を努めた人物。 その後も、政治に深く関わり、ヨーロッパでも傑出した名家です

そして、チェコ語では、Lobkowitz = 「ロプコヴィッツ」。
しかるに、チェコ、プラハ城内にある 「ロブコヴィッツ宮殿」のミュージアムショップで購入した日本語版公式ガイドブックには、「ロブコヴィッツ・コレクション」と表記されていたので、「ロブコヴィッツ」と表記しています

★Österreichisches Theatermuseum オーストリア演劇博物館
Palais Lobkowitz ロブコヴィッツ宮殿 (Lobkowitzplatz 2, 1010 Wien)
http://www.theatermuseum.at/ 火曜休み。 10:00 ~ 18:00

【おまけ】
★ベートーヴェンのWEB楽聖4コマ劇場 「運命と呼ばないで」 http://naxos.jp/special/no_unmei
面白い! 第一話 http://naxos.jp/special/no_unmei_op1

「運命と呼ばないで」(ベートーヴェン)聖地巡礼MAP(β版)
・・・次回ウィーン旅行のお供にします!


★フランス革命とナポレオンの歴史については、「山川世界史総合図録」(山川出版社)、中野京子著名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語 (光文社新書) 第11章ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式、参照。

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ボヘミア、チェコと、ウィーンのロブコヴィッツ宮殿。 その変遷する歴史、それに関わった人々のことを想像すると、とても興味がわいてきた。 というか、知らなかったら、まったく素通りだった、ことでしょう

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