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2014年2月の22件の記事

ウィーン プラーター 「大観覧車」 ★映画 「第三の男」 と 「ボルジア」 (ネタバレあり) ウィーン編完結

ウィーン プラーター 「大観覧車」に乗る ★記念撮影」のつづき。

プラーターの 「大観覧車」 Riesenrad (リーゼンラート, Giant Wheel) といえば、映画 「第三の男」 の舞台となった場所。
「ウィーン大観覧車」("Wiener Riesenrad" ヴィーナー・リーゼンラート, Viennese Giant Wheel) http://www.wienerriesenrad.com/en
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映画 「第三の男」(The Third Man) は、1949年製作。 キャロル・リード (Carol Reed) 監督のイギリス映画。

舞台は、第二次世界大戦直後のウィーン。

ハプスブルク王朝による栄光とその終焉。 ナチス・ドイツによる併合と敗戦の生々しい傷跡。 その歴史を背負ってきたウィーンの街並み。

そのアメリカ、イギリス、ソ連、フランスの4国によって4分割された市内には、美しい彫刻が施された建物とともに、連合国軍による空襲により崩壊した建物、瓦礫の山が映し出される。

悪の深い闇。 そこに生きる男と女。 モノクロ画面の光に照らされ、闇から浮かび上がる、その表情・・・。

そして、大観覧車をバックに、悪に墜ちたハリー・ライム役のオーソン・ウェルズが、親友、小説家ホリー・マーチンス役のジョゼフ・コットンに言う台詞に思わず反応 彼曰く、

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「人が言うように、イタリアでは、ボルジア家が支配した30年間、彼らは栄華を極め、テロ、殺人、流血が横行してた、、でも、彼らはミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルネッサンスを生みだした。

スイスでは、隣人愛、500年にわたる民主主義に平和。 それがいったい何を生みだした?・・・鳩時計だよ。

じゃあな、ホリー。」

"Like the fella says, In Italy for thirty years under the Borgias they had warfare, terror, murder, bloodshed - but they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci, and the Renaissance. In Switzerland they had brotherly love, 500 years of democracy and peace, and what did that produce? The cuckoo clock. So long, Holly."

以上、有名な、「鳩時計」のくだりです なんで反応したかというと、私、ボルジアにどっぷりハマっているもので・・・

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右は、スカパー、イマジカBS放映のドラマ、チェーザレ・ボルジア、教皇アレクサンデル6世の 「ボルジア 欲望の系譜 Borgia: Faith And Fear」 http://www.imagica-bs.com/borgia/

スペイン出身のロドリーゴ・ボルジア枢機卿 (Rodrigo Borgia, 1431-1503)。 買収工作により、宿敵ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(後の教皇ユリウス2世 Julius II, 在位:1503-1513)を破って教皇に就任。 教皇アレクサンデル6世 (Alexander VI, 在位:1492-1503)となる。

1498年、フィレンツェの修道士サヴォナローラを破門。 シニョリーア広場で絞首刑ののち火刑。
愛人の弟、アレッサンドロ・ファルネーゼは枢機卿となり、後に教皇パウルス3世 (Paulus III, 在位:1534-1549) となった。

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教皇アレクサンデル6世の息子のチェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia, 1475-1507) は、父の力で大司教にまで上り詰めるも、兄弟殺害に関わった噂あり。 権謀術数をもって中部イタリアを征服。
1502年、レオナルド・ダ・ヴィンチは建築技術監督兼軍事顧問としてチェーザレの軍と行動を共にする。

しかしながら父、教皇が死亡し、自らも病に倒れるとともに失脚。
宿敵ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(後の教皇ユリウス2世) によって逮捕されるも、脱出。 義兄の統治するナバーラ王国まで逃れるも、戦死。

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・・・と、「悪徳」のかぎりを尽くした親子なのだが、 民主主義による多数派の横暴、およそ実現不可能な理想主義に走った、自己満足の悪しきポピュリズムに比べれば、有能で実行力のある専制君主のほうがマシかもしれない。あくまで、相対論にすぎないけれど、清濁併せ呑む寛容さは必要かも。

 ボルジア関連本。 コミック 「チェーザレ ~破壊の創造者~」惣領冬実、監修 原基晶(モーニング、講談社):公式サイト http://morning.moae.jp/lineup/19 も、歴史考証がしっかりしていて面白かった。
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かな~り脱線しましたが、まさか、オーソン・ウェルズのセリフに 「ボルジア」が出てくるとは! 吹き替えや、字幕に頼ってばかりだと、到底わかりませんでした

言うまでもなく、映画館の大きなスクリーンで見るに越したことはないけれど、DVDでじっくり、セリフを巻き戻しで聞くのもいいなと思った次第。

映画 「第三の男」は、旅行後、最近になってDVDで。 昔、テレビで見たことがあるような気がするのだけれど、すっかり忘却。

映画評論家の淀川長治さんは、映画のラストを絶賛するけれど、「女心が読めない、未練たらたらのお馬鹿さん」には共感できず。

・・・かといって、バッサリ切り捨てるのは良くないか(笑)。むしろ、巨大な地下下水道での最後のシーンのほうが、はるかに胸を打たれました。

ともあれ、ウィーンに行った後にでも、見る機会を持てたのは良かった

★「第三の男ミュージアム・ウィーン - 名画「第三の男」と第二次世界大戦後、占領下のウィーンの全て」"THIRD MAN MUSEUM", Pressgasse 25, 1040 Wien 
開館時間:毎週土曜日午後2時~6時、時間外は要予約 http://www.3mpc.net/yapsamml.htm というのもあるみたい。

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ところで、映画「第三の男」では、第二次世界大戦中、連合国軍による空襲により崩壊した建物、瓦礫の山が各所に映し出されている。

映画冒頭、第二次世界大戦中、連合国軍による空襲により、屋根が完全に崩壊、ファサードも無残に倒れかけた 「シュテファン大聖堂」 (Stephansdom) の現在の姿。、
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★現在は、「ウィーン 「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」ライトアップ」の記事を参照。

瓦礫と化した建物が写し出された、「結婚の泉」(Vermählungsbrunnen) のある、 「ホーアーマルクト広場」(Hoher Markt)の現在。道理で、建物が新しくみえるわけなのだ。
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★現在は、「ウィーン散策 05 ドナウ運河、エルサレムの階段、アンカー時計、古代ローマ都市「ウィンドボナ」(Vindobona)」の記事を参照

★Location shots in Vienna of The Third Man (1949)  http://axion.physics.ubc.ca/thirdman/thirdman.html 「第三の男」(1949) ウィーン・ロケーション・ショット ・・・道の名前が出ていて、とても参考になります!
★道の名前は、ウィーン市の公式サイトの地図 http://www.wien.gv.at/stadtplan/ で検索。

こういった負の歴史は、旅行ガイドブックでは触れられていないけれども、こうした歴史を知ることで、その土地に対する理解が深まり、より興味が湧いてくる。

これは今までやってきた、東京古地図散歩、建築ポタリングの海外版ですね

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最後に、大観覧車の前で記念撮影。
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入口(写真左)から歩いた、そのすぐ先に、S-Bahn 地下鉄 U1 U2 「プラーターシュテルン」(Praterstern) の駅(写真右、右側)。
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地下鉄 U1 U2 「プラーターシュテルン」(Praterstern) の駅入口。PM9:30。 ここから、地下鉄 U1 で、 Karlsplatz まで行き、ホテルに戻りました。
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夜なので、なるべく人がたくさん歩いている流れに乗って、歩くべし!ですね。 ・・・なぜか、ココ、人通り少なすぎなんですけど あぶない目には、一度もあわずにすみました。

http://www.praterwien.com/en/home/
★遊園地の地図 http://www.praterwien.com/fileadmin/user_upload/plan/plan_de.pdf

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以上、ウィーン4日目。 ウィーン到着1日目は夜 19:10でしたので、ウィーン実質3日目終了

ウィーンだけでも、今までの記事の総数 71 個。 なんたる旅の充実度 !!

Our trip to Vienna was very fruitful and rewarding !! And our trip to Prague too !!!

★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。
★記事インデックスは「こちら

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翌日、2013/8/14(水) は、ホテルからタクシーで空港へ。

オーストリア航空」 Austrian Air http://www.austrian.com/ で、オーストリア (Republik Österreich (レプブリーク・エースターライヒ), Republic of Austria (リパブリック・オブ・オーストリア)) の ウィーン (Wien (ヴィーン), Vienna (ヴィエナ) から

チェコ共和国 (Česká republika (チェスカー・レプブリカ), Czech Republic (チェコ・リパブリック)) の プラハ (Praha (プラハ), Prague (プラーグ)) に移動 
(Vienna 10:05 - Prague 10:55)

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・・・こう書いてみると、日本語ではニホン or ニッポン、英語だと Japan みたいに、表記も音も違ってる。

それから、ドイツ語で、 たとえば、「Ö」(オー、ウムラウト) が 「オ」 の口で 「エ」と発音するように、独特の発音があると、表記が難しいときがある。 チェコ語でも、独特な発音があって、同じく表記が難しい。

でも、翻訳で音声も出せるので、できるかぎり書いておこうと思っています。 カタカナで書いてないと、とっさに使いづらいし、再訪したい場所なので

つづきます。「チェコ、プラハ個人旅行 Journey to Prague ウィーンからプラハに移動 (オーストリア航空) ATM

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ウィーン プラーター 「大観覧車」に乗る ★記念撮影

ウィーン 「プラーター公園」 遊園地 ★ドイツ語翻訳」のつづき。

「ウィーン大観覧車」("Wiener Riesenrad" ヴィーナー・リーゼンラート, Viennese Giant Wheel) http://www.wienerriesenrad.com/en
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1897年(明治30年) にオープン。英国人技師、ウォルター・B・バセットにより、フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年祝賀会にあわせて設立されました。

その後、第二次世界大戦の連合国軍による空襲で、遊園地の施設全体とゴンドラすべてが破壊されるも、戦後、迅速に修復。

終戦直後のウィーンを舞台にした 「第三の男」(The Third Man, 1949年 英国) では、空襲による大きな瓦礫の山とともに、「大観覧車」が登場しています。

この大観覧車でのオーソン・ウェルズ、「鳩時計」の名ゼリフ。

この英語でのセリフが秀逸すぎる!!! 後ほど、別エントリー記事でご紹介致します。

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大人一人 9,00 euro。 割引コンビネーション・チケットもあり。
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ゴンドラの台数は15台。 まん中にはベンチ。
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もう、すっごくワクワクできて、楽しかった 食事を楽しめるゴンドラもあり
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眼下には、遊園地のアトラクション。
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そして、ウィーンの夜を臨む。 派手なネオンは無いので、きらめく夜景ではありません。 でも、花火が映えそう
写真、内部の映り込みがひどくて、ごめんなさい 
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プラーター遊園地の入口付近。 写真左、すぐそば(写真左上)に、S-Bahn 地下鉄 U1 U2 「プラーターシュテルン」(Praterstern) の駅
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ところで、券売所では、「フォトショップ」 (FOTOSHOP) で記念撮影サービス(有料) もあり。

面白そうだし、記念になるので、撮影してもらいました 

写真を撮ってくれるマダムから、「んじゃ、あっち向いてみて~」、「今度はこっちね~」 とアドバイスを受けつつ、何枚か撮影してもらいます。 で、その中から、1番いいショットを自分たちで選ぶシステム。 観覧車から降りると完成していて、引換券と交換。

この、きれいな台紙を開けると、、
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こんなかんじ。 とてもいい記念になったので、撮って良かった 今も、リビングに飾っています
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写真サービス 9,80 euro。 チケット売り場には、日本語のパンフレットもあり
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つづきます。「ウィーン プラーター 「大観覧車」 ★映画 「第三の男」 と 「ボルジア」 (ネタバレあり) ウィーン編完結

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ウィーン 「プラーター公園」 遊園地 ★ドイツ語翻訳

ウィーン ビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 元祖バドワイザー&巨大骨付き豚グリル Schweizerhaus, Prater」のつづき。

ビアガーデン「シュヴァイツァーハウス」を出て、左に進むと、「プラーター遊園地」http://www.praterwien.com/en/home/
単に「プラーター」と言えば、この遊園地のことを指すことが多いのですが、ドイツ語では、「ヴルステル・プラーター」(Wurstelprater)

「ウィーン大観覧車」 ("Wiener Riesenrad" ヴィーナー・リーゼンラート) を経由し、遊園地の入口までまっすぐ伸びる、 「シュトラーセ・デス・エーアステン・マイ」(Straße des Ersten Mai) =5月1日通りへ。
★遊園地の地図
http://www.praterwien.com/fileadmin/user_upload/plan/plan_de.pdf

全部で250個ものアトラクションあり。 若者や家族連れで賑わっていた。
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本格的なシーズン・オープニングは、3月1日。 前述のビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 も、この日から。
遊園地の入場料は無料ですが、アトラクションの利用は有料です。

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写真左の塔は、「プラーター・タワー」(Prater Turm プラーター・トゥルム tower) http://prater.at/Prater_Turm/
スキー上のリフトのような椅子に座って、ぐーるぐるの「回転ブランコ」。 塔の高さは 117m、飛行半径36m。むちゃくちゃ怖そう

写真右下は、Turbo Autodom Testarossa http://www.dallisman.at/ ゴーカートの迫力が半端ない

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元はハプスブルク家の狩猟の場だった広大なプラーター公園
その後、1873年 (明治6年) 、プラーターでウィーン万国博覧会が開催。 その跡地にできたテーマパークに、「大観覧車」 ができたのは、1897年(明治30年) のこと

ところが、第二次世界大戦の連合国軍による空襲で、施設全体とゴンドラすべてが、破壊されてしまいました

戦後、記録的な早さで修復されて、1947年5月オープン

終戦直後のウィーンを舞台にした 「第三の男」(The Third Man, 1949年 英国) では、空襲による大きな瓦礫の山とともに、「大観覧車」が登場しています。

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「魔法のドリームランド」(Magic Dreamland)。 マイケル・ジャクソンの目が挑発的な謎の施設(笑)。
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ところで、私はパソコンでは、Webブラウザ、「Google Chrome」(グーグル・クローム) を使用。そのオプション、Google 翻訳 で 「常にドイツ語から日本語に翻訳する」を選択

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この自動翻訳。 ところどころでおかしな翻訳になるので、万能ではないけど、とっても便利!
ポインターを文字列の上にかざすと原文が出てくるので、電子辞書 Casio EX-word 外国語モデルで、ドイツ語の単語をチェック。 ドイツ語の勉強になっています

そこで、公式サイト http://www.praterwien.com/attraktionen/ にある、「魔法のドリームランド」 の説明を見ると、こんなかんじ。
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・・・「改宗ドリーム」って(爆)。

Magic Dreamland Fun-House 「Traumwandeln」 =英語版では 「Dreamwalking

「むりやり、キリスト教に改宗させられちゃうという、おそるべき夢のようなアトラクション」・・・ではなく、「夢のウォーキング」っていう意味でした(笑)。

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半端なく怖そうだった、アトラクション 「黒いマンバ」 Schwarze Mamba (black Mamba)
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空中、予想不可能な方向に毎時80キロで乗客を旋回。高所恐怖症の人は絶対やめたほうがいいアトラクション。。自動翻訳によれば、「勇敢な、若い成人向け」

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そして、「ウィーン大観覧車」("Wiener Riesenrad" ヴィーナー・リーゼンラート, Viennese Giant Wheel) へ。
http://www.wienerriesenrad.com/en
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つづきます。「ウィーン プラーター 「大観覧車」に乗る ★記念撮影

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ウィーン ビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 元祖バドワイザー&巨大骨付き豚グリル Schweizerhaus, Prater

ウィーン 路面電車で 「クンストハウス・ウィーン」 から 「プラーター」 シュヴァイツァーハウスまで ★地図あり」のつづき。

「フンデルトヴァッサーハウス」 から 「クンストハウス・ウィーン」。 そこから、路面電車 1番 (Straßenbahn Linie 1) に乗り、「ラデツキー・プラッツ」(Radetzkyplatz) から、終点 「プラーター・ハオプトアレー」 (Prater Hauptallee) まで。そこから、「シュヴァイツァーハウス」までの地図は、「こちら」。
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ウィーンで人気のビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 (Schweizerhaus), Prater 116, 1020 Wien
http://www.schweizerhaus.at/ ※ 3/15 ~ 10/31 まで。冬期は休業。
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さすが人気店だけあって、ほぼ満席。 お店のお兄さんが、空いている席まで案内してくれました

元祖バドワイザー 「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」"Budweiser Budvar" http://www.budvar.cz/(alc.5% vol. 0.5l (Krüge クリューゲ:ジョッキ) 4,10 euro)
爽やかで、飲み応えあり。すごく美味しい!!!ジョッキを2人で2杯づつ。
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本当にかなりの人数のお客さんがいて、焼きたて(frisch vom Grill)を出すのに時間がかかるのか、見回すと、みなさん待ち中。
こんなときは、シンプルな注文に限るので、メニューのオススメに従いました

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そして名物、巨大な骨付き豚のグリル 「ヒンテレ・シュヴァイン・シュテルツェ・フリッシュ・フォム・グリル」 (Hintere Schweinsstelze frisch vom Grill)
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お値段は重さにより、16,90 euro / 1kg (Preis nach Gewicht, fur 1kg 16,90 euro)。 写真の大きさで、19,10 euro。二人でちょうどいい大きさ。 美味しくて完食

お店のお兄さんに食べ方を聞いたら、ナイフでススッと手際よく、肉を切り分けてくれました 愛想が良くて、いい店員さんにあたってラッキー

メニューで、骨付き豚のグリルに加えてオススメされていた、「マスタードと西洋ワサビ」(Senf und Kren ゼンフ・ウント・クレーン 1,40 euro)が、あいまくり

そして、「新鮮なキャベツのコールスロー・サラダ」(frische Krautsalat フリッシェ・クラオト・ザラート 3,40 euro)も美味しかった

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Hintere (ヒンテレ)=尻、Schwein (シュヴァイン)=豚、シュテルツェ (stelze)=足の意味なので、足のモモあたり。

ドイツ、フランクフルトの名物アップルワインのレストラン、「ワーグナー」(Adolf Wagner、アドルフ・ヴァーグナー) で食べた、骨付き豚ロースト 「Gegrillte Schweinshaxe」 (シュヴァインス・ハクセ) とほぼ同じものでした

ワーグナの店のおばさんに、メニューを指さし、「これは何ですか?」 とドイツ語で質問したら、「ブタのココよ」 と、ご自分のフトモモあたりをパンとたたいて教えてくれたので、足のモモあたりだと思われ
★「アップルワインのレストラン Apfelwein Wagner

辞書には 「骨付き豚のすね肉ロースト」 と訳されているけど、足のモモあたりかも? 豚は足が短いので、スネでもモモでも、あんまり変わりないとは思うけど(笑)。

ワーグナーで食べたときも、あまりの美味しさに感激したけど、ここでも焼きたて。 皮はカリッと、中はジューシー ここまで来た甲斐がありました

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★生ビール (BIER VOM FASS ビーア・フォム・ファス) の種類と、名物 「ヒンテレ・シュヴァイン・シュテルツェ・フリッシュ・フォム・グリル」 (Hintere Schweinsstelze frisch vom Grill) ※見やすいように、画像を加工しています。
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今回は混んでいたので、オリジナル生のジョッキ2杯づつ。 次回はいろんなものにチャレンジしてみたいので、おおまかな訳をアップしておきます。

今回飲んだのは、「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」(オリジナル・プレミアム・ラガー) Budweiser Budvar (Original Premium Lager) (mild und bekömmlich) alc. 5% vol. 0.5 l (Krüge クリューゲ : ジョッキ) 4,10 euro

マイルド& bekömmlich (ベケムリヒ) = 体に良い、消化にも良いらしい(笑)。

たしかに、翌日も快調 プラハへの移動&街歩きも絶好調でした。 日本でも、「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」"Budweiser Budvar" 生が、気軽に飲めるといいなぁ

★「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」(オリジナル・プレミアム・ラガー) Budweiser Budvar (Original Premium Lager) (mild und bekömmlich)
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そして、ブドヴァイゼル・ブドヴァルの黒ビール生。 爽快で辛口の黒。
「ブドヴァイゼル・ブドヴァル・シュヴァルツェス・ダス・オリギナール、イン・シュヴァルツ・エアフリッシェント・ヘルプ」 Budweiser Budvar Schwarzes Das Original in Schwarz erfrischend herb 

上記二つをミックスした、「ブドヴァイゼル・ブドヴァル・ゲミッシュト」(ツヴァイ・オリギナーレ・ミッシェン・ズィヒ) Budweiser Budvar G'mischtes (Zwei Originale mischen sich) 
※G'mischtes = 混合した, mischen (ミッシェン) = 混ぜる (mix) の過去分詞

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ブドヴァイゼル・ブドヴァルのほかに、グリースキルヒナーもあり。

「グリースキルヒナー・ドゥンケル」(フォル・ムンディヒ・ミット・レストズューセ)」 Grieskirchner Dunkles (vollmundig mit leichter Restsüße)
Dunkles (ドゥンケル) = ダーク (Dark) の意味。 コクのある、より軽い残糖感。

そして、ブドヴァイゼル・ブドヴァルと、グリースキルヒナーをミックス、より軽い残糖感の、
「ブドヴァイゼル - グリースキルヒナー・ゲミッシュト」 (ミット・ライヒター・レストズューセ) Budweiser - Grieskirchner G´mischtes (mit leichter Restsüße)

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★いろいろと、種類はあれど、この一種類だけでも満足しました(笑)。
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黒ビールあれば、白ビールあり。

パオラナー・ヘーフェ - 白ビール。 ミュンヒェン産。 自然の濁りで、フルーティーな味わい)。
「パオラナー・ヘーフェ - ヴァイス・ビーア」 (ミュンヒェン、ナトゥーア・トリュープ・プリッケルント - フルフティヒ) Paulaner Hefe - Weißbier (München, naturtrüb, prickelnd - fruchtig)
 
そして、赤ビール! オッタクリング産。 自然の濁りで、キャラメル(カラメル?)風味

「レーテス・ツヴィック・ゴーレ・ファスル」(オッタクリング、ナトゥーア・トリュープ・ミット・アイナー・カラメルノーテ) Rötes Zwickl Gole Fassl (Ottakring, naturtrüb mit einer zarten Karamellnote)

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ちょっと変わり種なのは、「ラードラー」。
ブドヴァイゼル・ブドヴァル + レモネード。 軽く、ピリッと爽やかな風味。

「ラードラー」 (ブドヴァイゼル・ブドヴァル + ツィトローネン・リモナーデ、ライヒト・ウント・シュプリッツィヒ) Radler (Budweiser Budvar + Zitronenlimonade, leicht & spritzig)

そして、ノンアルコールの生!?
「クラウスターラー」。 エクストラな辛口 - ホッピー、ノンアルコール

「クラウスターラー」 (エクストラ・ヘルプ - ホプフィグ, アルコホール・フライ) Clausthaler (extraherb - hopfig, alkoholfrei)

・・・以上、「生ビールのドイツ語メニュー、 どーんと来い」!?!?(笑)。

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みんなでワイワイ、楽しそうな雰囲気 結局、7時半頃入って、8時半過ぎまで。
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ところで、「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」"Budweiser Budvar"は チェコ原産のビール。http://www.budvar.cz/
で、 「バドワイザーという名称の米国製ビール」"Budweiser" とは全く別物。

そもそも、米国アンホイザー・ブッシュ社は、「Budweiser」 をボヘミアのバドワイスの町で醸造したビールにあやかる趣旨で採用したと自ら広告。

しかしながら、米国のバドワイザー社が全世界でシェアを伸ばすにつれ、両者は商標をめぐって対立。 世界各国で、訴訟で争われました。

日本においては、米国のアンホイザー・ブッシュ社が、チェコのブジェヨビキー・ブドバー・ナロドニ・ポドニク醸造所 (Budějovický Budvar, n. p.) 等に対して、商標権侵害差止等請求訴訟を提起。

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東京高等裁判所は、控訴人(原告)となった米国のアンホイザー・ブッシュ社の、チェコのブジェヨビキー・ブドバー・ナロドニ・ポドニク醸造所に対する控訴を棄却。 商標権を侵害せずと認定 (原審・東京地方
裁判所 事件番号:平成14(ネ)5791号)、第二審・東京高等裁判所 事件番号:平成12年(ワ)7930号)。

ただし東京高裁は、米国のアンホイザー・ブッシュ社に、日本において「バドワイザー」商標を使用し、保護する権利を認め、 日本の2つの輸入販売業者に対して、「バドワイザー・バドバー」商標の使用を差し止め、損害賠償の支払いを命じています。(判決要約No.293 - 日本弁理士会米国のアンホイザー・ブッシュ社による声明

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両者、味わい、飲みごこちが全く違うと思われ。
チェコ、プラハに到着後、店に入って最初に飲んだビールは、チェコの 「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」 生でした

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ビールのジョッキ2杯づつ Budweiser Budvar Krüge 4,10 euro ×4 = 16,40
巨大な骨付き豚のグリル 「ヒンテレ・シュヴァイン・シュテルツェ・フリッシュ・フォム・グリル」 (Hintere Schweinsstelze frisch vom Grill) 19,10 euro など、合計 40,30 euro でした。 リーズナブルで美味しく、大満足
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★本場チェコのプラハで飲んだ、元祖バドワイザーについては、「プラハ 「ウ・メドヴィードクー」 (U Medvídků) ビアホールで本場チェコビール、元祖バドワイザーを飲む
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「シュヴァイツァーハウス」(Schweizerhaus, Prater 116, 1020 Wien) のある 「ヴァルト・シュタイン・ガルテン・シュトラーセ」 (Waldsteingarten straße) = ロックガーデンの森通りの突き当たりを左折すると、そこは 250個ものアトラクションのある 「プラーター遊園地」 (Wurstelprater ヴルステル・プラーター)。 http://www.praterwien.com/en/home/

★プラーターの詳しい地図は、http://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/images/pratertafel.jpg
★プラーター遊園地の地図は、http://www.praterwien.com/fileadmin/user_upload/plan/plan_de.pdf

単に「プラーター」と言うと、この遊園地のことを指すことが多いんですが、映画 「第三の男」(The Third Man) に出てくるのは、ここの 「ウィーン大観覧車」 ("Wiener Riesenrad" ヴィーナー・リーゼンラート, Viennese Giant Wheel)。

この大観覧車に乗り、記念写真を撮りました。http://www.wienerriesenrad.com/en

つづきます。「ウィーン 「プラーター公園」 遊園地 ★ドイツ語翻訳」  

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ウィーン 路面電車で 「クンストハウス・ウィーン」 から 「プラーター」 シュヴァイツァーハウスまで ★地図あり

ウィーン 「クンストハウス・ウィーン」 KUNST HAUS WIEN」のつづき。

いよいよ最終目的地、 「プラーター公園」(Prater) へ

「クンストハウス・ウィーン」(KUNST HAUS WIEN) から、路面電車 1番 (Straßenbahn Linie 1) 「ラデツキー・プラッツ」(Radetzkyplatz) の停留所までのルートマップ。 ゆっくり歩いて約10分ほど。
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS" に加工。
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「フンデルトヴァッサーハウス」 から 「クンストハウス・ウィーン」。 そこから、路面電車 1番 (Straßenbahn Linie 1) に乗り、「ラデツキー・プラッツ」(Radetzkyplatz) から、終点 「プラーター・ハオプトアレー」 (Prater Hauptallee) まで。

そこから徒歩15分、ビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」(Schweizerhaus) までの ルートマップ。
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS" に加工。
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私たちは、ビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 まで行きたかったので、

路面電車 1番 「ラデツキープラッツ」(Radetzkyplatz) から、終点 「プラーター・ハオプトアレー」(Prater Hauptallee) まで4駅、約6分のルートを選びました。

でも、プラーター公園で、大観覧車 「大観覧車」 (Riesenrad リーゼン・ラート) に乗る目的ならば、
路面電車 0番 「ラデツキープラッツ」(Radetzkyplatz) から、終点 「プラーターシュテルン」(Praterstern) まで2駅、約3分のほうが近くていいと思います。

★ウィーンの路面電車 路線図 (路面電車=Straßenbahn シュトラーセン・バーン streetcar)
http://homepage.univie.ac.at/horst.prillinger/metro/m/largemap-tram.html

★ウィーンの路面電車の時刻表 路線
http://www.wienerlinien.at Service > Fahrpläne (時刻表) > Straßenbahn (路面電車) の Zu den Fahrplänen (時刻表)
路面電車1番なら、Linie 1 をクリック Schule (学校) Feruen (休暇) は、それぞれ学期中と休暇中
路面電車1番の時刻表 (2014年版)
http://www.wienerlinien.at/media/download/2014/Linie_01_121737.pdf
路面電車 0番の時刻表 (2014年版)
http://www.wienerlinien.at/media/download/2014/Linie_O_115218.pdf

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スーパー 「SPAR」前から、「ラデツキー・プラッツ」 (Radetzkyplatz) 、写真中央にある、路面電車1番の停留所を眺める。
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「ラデツキー・プラッツ」 (Radetzkyplatz) =「ラデツキー広場」。

そして、ラデツキーといえば、毎年ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート https://www.wienerphilharmoniker.at/jp/new-years-concert/the-new-years-concert でおなじみ、、1848年に ヨハン・シュトラウス1世が作曲した 「ラデツキー行進曲」。wiki

この曲は、その当時、オーストリア領だった北イタリアの独立運動の鎮圧に向かう、ヨーゼフ・ラデツキー将軍を称えて作曲されたもの。 鎮圧されたほうは、たまったものではないですが

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「ラデツキー・シュトラーセ」(Radetzkystraße) の道沿い、パン屋さん ANKER 前にある、路面電車1番 「ラデツキー・プラッツ」 (Radetzkyplatz) の停留所 (Haltestelle) から乗車。
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ラデツキー広場に到着した当初は、「早くレストランに入りたい」、との夫の願いに、プラーターに行こうかどうか迷い中・・・。

そのとき、目に入ってきたのが 「プラーター・ハオプトアレー」(Prater Hauptallee) 行きの停留所

ピンと頭にひらめくものがあり この機を逃すと、一生後悔しちゃうかもと、ブツブツいう夫にかまわず、そこに滑り込んできた路面電車に、さっさと乗車

結果、大正解 で、ウィーン最後の夜を満喫しました 

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路面電車から、ドナウ運河を眺める。 水辺には、木々の緑。 時間に余裕があれば、船旅も楽しそう 
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ドナウ運河の橋を渡って、街中ちょっと抜けた先には、延々と広がる緑地。
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車窓からは、木々の緑。 乗客は、ほかに2組ほど。 本当にこれに乗ってよかったのかと、ちょっと不安になっていた。
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19:01発、19:07頃、終点 「プラーター・ハオプトアレー」(Prater Hauptallee) に到着。
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この停留所、大観覧車のある遊園地部分とは、かなり離れており、 iPhone で Google Map アプリのGPSで現在地を確認しながら、ビアガーデン「シュヴァイツァーハウス」(Schweizerhaus) の方向へ。

他の乗客も、停留所にあった地図ガン見(笑)。
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★プラーターの詳しい地図は、http://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/images/pratertafel.jpg

★プラーター遊園地の地図
http://www.praterwien.com/fileadmin/user_upload/plan/plan_de.pdf

★「リリパット・バーン」(Liliputbahn, リーリプット・バーン)
ミニ電車型のタイヤで走る連結バス "Praterzug" (Zug (ツーク) = 列車 train)
Prater Eingang - Liliputbahn - Schweizerhaus - Praterentralplatz を周回。3月中旬から10月中旬まで。 リリパット=ガリバー旅行記に出てくる小人の国。
http://www.liliputbahn.com/praterzug.htm

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地図にある、Hauptallee = Haupt (ハオプト) 主要な、allee (アレー) = 並木道の意味。

その幅広く、延々と続く 「中央並木道」をすぐ横切って、「ヴァルト・シュタイン・ガルテン・シュトラーセ」 (Waldsteingarten straße) = ロックガーデンの森通りを延々歩き、左側の巨大駐車場を横目に、はやる心を抑えつつ、15分ほど早歩き そして、

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ビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 (Schweizerhaus) に到着 http://www.schweizerhaus.at/ (※冬期は休業。3/15 ~ 10/31 まで)
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元祖バドワイザーの 「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」"Budweiser Budvar" http://www.budvar.cz/ 、そして、巨大な骨付き豚グリルを堪能

つづきます。「ウィーン ビアガーデン 「シュヴァイツァーハウス」 元祖バドワイザー&巨大骨付き豚グリル Schweizerhaus, Prater

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ウィーン 「クンストハウス・ウィーン」 KUNST HAUS WIEN

ウィーン散策 「フンデルトヴァッサーハウス」 から 「クンストハウス・ウィーン」へ」のつづき。

「クンストハウス・ウィーン」 (KUNST HAUS WIEN - Museum Hundertwasser) Untere Weißgerberstraße 13, 1030 Wien, Österreich ★http://www.kunsthauswien.com/
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この建物は、オーストリアのアーティスト、画家、建築家、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (Friedensreich Hundertwasser, 1928-2000) の哲学と芸術的信念に基づいて設計され、1991年にオープンした美術館。
http://www.wien.info/ja/sightseeing/museums-exhibitions/top/kunsthauswien

※Kunst (クンスト) = 芸術、art, Haus (ハオス) = (建物としての) 家、建物 (house)

毎日10:00~19:00、一般10euro 月曜日は5euro フンデルトヴァッサーの作品を常設展示するほか、さまざまな特別展を開催している。
http://www.kunsthauswien.com/
https://www.facebook.com/kunsthauswien

美術館入り口。 美術館の外の歩道と同様、内部の床も、平らではなく不規則に上下。 足から体全体に伝わる感覚が面白い。漫然と歩いてはいられない感じ(笑)。
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私たちが訪問したときには、リンダ・マッカートニーの写真展が開催されていた。 ポール・マッカートニーのプライベートな素顔がチャーミング

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曲線を用いず不規則に並べられた黒のタイル。 カラフルな円柱。おまけに窓からは木の枝が!
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自然との共生を理想とし、モダニズム建築における直線と平面を嫌悪したフンデルトヴァッサーの哲学が、見事に表現されている。

ところで、この建物は、家具メーカー、「トーネット」 (Thonet) の建物を大改装。 トーネット (Thonet) といえば、曲げ木の椅子が大ヒット、19世紀に、なんと約5000万脚が生産され、MoMA、オルセー美術館などで、永久保存コレクションとなっている。http://www.wienmuseum.at/en/collections/arts/furniture.html
http://www.kunsthauswien.com/en/about-us/history-of-the-house

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CaféRestaurant "Dunkelbunt" 緑溢れる中庭に、カラフルな座面の椅子。禁煙
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中庭の黒と白のタイルの配置も見飽きない。 たくさんの緑に癒される
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↑写真右下は、ミュージアムショップ。 ミュージアムショップ内部は撮影禁止の貼り紙あり。

ここで、フンデルトヴァッサーハウスとクンストハウス・ウィーンの絵はがきを購入(大版 1,50 euro×2枚, 普通サイズ 1,00 euro×1枚)。

ちょっと上からの全体が写っている写真を見ると、またまた発見があって楽しい

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もっとも、実際の設計、そして工事の手間も、かなり大変だったことだろう。

大阪にある、フンデルトヴァッサー設計の公共施設も、お金がかかりすぎだと批判されているらしい。

しかるに、安く上げようとばかり考えていると、醜い建築物が立ち並ぶことになり、芸術はどんどん衰退していくばかり。 素敵なデザインの建物は、精神や経済を活性化させる面もある。 ただし、破綻は避けたい。

長期的な視点もわすれず、バランスが大切だということだろう。・・・と、ちょっとマジメに考えてみた(笑)。

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トイレのデザインにも注目。 見るところがいっぱいありすぎ、休憩できない(笑)
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たくさんの美しい石に彩られた館内の泉。
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外側のドアの扉まわりも、地面に接する面を含めて曲面。 徹底している。
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フンデルトヴァッサーの絵自体は、あまり趣味ではないし、時間もなしで、展覧会は見なかったけれど、建物のデザインはとても面白く、実際あれこれ見ることができ、体感できて、良かった。 ガウディー建築を見るようなワクワク感がありました

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「クンストハウス・ウィーン」を出て、「ウンテレ・ヴァイスゲルバー・シュトラーセ」(Untere Weißgerberstraße) を右へ。写真左、S-Bahn の高架が見える

写真右は、高架下から、これまでずっと歩いてきた、「ウンテレ・ヴァイスゲルバー・シュトラーセ」 (Untere Weißgerberstraße) を眺めたところ。この写真中央、緑がいっぱい見えるところが、先ほどの 「クンストハウス・ウィーン」。
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それにしても、建物に、装飾がなさすぎっていうのは、つまらない。 実際ここに立ったときにも、これまでと、あまりの落差に唖然、でした。

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この近くにある、路面電車 1番 「ラデツキー・プラッツ」(Radetzkyplatz) の停留所まで、クンストハウス・ウィーンから、ゆっくり歩いて約10分ほど。 そこから路面電車に乗って、終点、「プラーター・ハオプトアレー」 (Hauptallee) まで。地図は「こちら

いよいよ最終目的地、 「プラーター公園 (Prater)」 へ!!

★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。
★記事インデックスは「こちら

つづきます。「ウィーン 路面電車で 「クンストハウス・ウィーン」 から 「プラーター」 シュヴァイツァーハウスまで ★地図あり」 

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ウィーン散策 「フンデルトヴァッサーハウス」 から 「クンストハウス・ウィーン」へ

ウィーン 「フンデルトヴァッサーハウス」」のつづき。

地下鉄 U3 Rochusgasse (ロフス・ガッセ) から歩いたルートマップ(地図)は「こちら」。

「フンデルトヴァッサー・ハウス」(Hundertwasserhaus) のある「ケーゲル・ガッセ」(Kegelgasse) を左折し、「ウンテレ・ヴァイスゲルバー・シュトラーセ」(Untere Weißgerberstraße) へ。

近くには、路面電車 1番 「ヘッツ・ガッセ」(Hetzgasse) の停留所。 ★ウィーンの路面電車 路線図 http://homepage.univie.ac.at/horst.prillinger/metro/m/largemap-tram.html

「フンデルトヴァッサー・ハウス」 の、「ケーゲル・ガッセ」(Kegelgasse) をはさんだ向かいにある、「フンデルトヴァッサー・ヴィラージュ」(Hundertwasser Village, Village at the Hundertwasser House)。 http://www.kalke-village.at/
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フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (Friedensreich Hundertwasser)、建築家ピーター・ペリカン (Peter Pelikan) によって設計され、1990年から1991年にかけて建てられたショッピングモール。

ここでも、屋上には木々が茂って、屋上緑化。 自然との共生ですね

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「ウンテレ・ヴァイスゲルバー・シュトラーセ」(Untere Weißgerberstraße) の道を歩く。 「クンストハウス・ウィーン」 は、この先 右側。 歩いて5分くらいでした。

「フンデルトヴァッサー・ヴィラージュ」の向い側にある、「メーディ・ホーフ」(Mädi Hof, Untere Weißgerberstraße 45, )。
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淡いピンクと花の装飾が施されたファサード。控えめで上品な出窓とバルコニー。Erwin Raimann による設計 (1911年) 。
ユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)の影響を受けた、20世紀初頭の後期歴史主義 (Späthistorismus) 建築も素敵だなぁ

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モザイク状の歩道。 右側ワンブロック先は、ドナウ運河。
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伸び伸びと枝を伸ばし、深い緑の葉を茂らせている街路樹もいい感じ。 これに対して、東京都心の街路樹は、枝を切りすぎでは?と思うことしばしで可哀想。 緑化よりも効率重視か・・・。

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一階の柱が、フンデルトヴァッサーの円柱のデザインを取り入れている。 クンストハウス・ウィーンへの矢印 「←」 あり。
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「クンストハウス・ウィーン」 (KUNST HAUS WIEN - Museum Hundertwasser, Untere Weißgerberstraße 13) 。
フンデルトヴァッサー (Friedensreich Hundertwasser, 1928-2000) 設計
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中はミュージアムですが、建物自体が フンデルトヴァッサーの芸術作品。 http://www.kunsthauswien.com/

つづきます。「ウィーン 「クンストハウス・ウィーン」 KUNST HAUS WIEN

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ウィーン 「フンデルトヴァッサーハウス」

ウィーン散策 「フンデルトヴァッサーハウス」へ」のつづき。

「フンデルトヴァッサー・ハウス」 (Hundertwasserhaus) Kegelgasse 36-38, 1030 Wien, Österreich ★http://www.hundertwasser-haus.info/en/
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この建物は、オーストリアのアーティスト、画家、建築家、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (Friedensreich Hundertwasser, 1928-2000) の、「自然と共生する家」 というコンセプトに共鳴した当時のウィーン市長 (Leopold Gratz) が、1977年、フンデルトヴァッサーに公共住宅の建設を依頼したもの。

フンデルトヴァッサーのアイディアに基づき、当初は建築家ヨーゼフ・クラヴィーナ(Josef Krawina)が参加するも、途中で離脱。 のちに建築家ピーター・ペリカン(Peter Pelikan) によって設計された、ウィーン市営住宅。
http://www.kunsthauswien.com/en/museum/hundertwasser-architecture

1983年から1986年にかけて建築された。 カフェやショップを除き、非公開。

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「レーヴェン・ガッセ」(Löwengasse) と 「ケーゲル・ガッセ」(Kegelgasse) の角。 カラフルで、建物それ自体から木々の緑が溢れているところが、半端ない「自然との共生」っぷり。 アーケードの右端には、ライオンの像 ユニークな円柱の柱もある。
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今でこそ、緑地の減少によるヒートアイランド現象や大気汚染の解決策として、屋上緑化やビオトープで生態系を再生し、自然と共生する環境整備が注目されているが、フンデルトワッサー・ハウスは、その先駆けともいえるだろう。

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角の2階には、カフェ「Terrassencafe im Hundertwasserhaus」。 カラフルな円柱が美しい
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カフェへの階段。
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地面がデコボコうねっているところが、バルセロナのガウディ設計 「カサ・ミラ」(Casa Milà) の屋上、ただし、うねっているとはいえ階段で上下、を連想させる。

★以前のスペイン旅行のエントリー記事 「カサ・ミラ (ラ・ペドレラ) Casa Mila (La Pedrera) #2 屋上」の写真参照。
「カサ・ミラ」 は、アントニ・ガウディ Antoni Gaudi(1852-1926)が、1906-1910年にかけて設計。

全面カラフルなカラースプレーの落書き+バルセロナ、ガウディ設計 「グエル公園」のモザイクタイルのアイディアという気がしなくもない・・・。
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そして、サグラダ・ファミリア教会 (Sagrada Família) 聖堂内部も、ガウディの設計は、まるで白い樹木の幹のような柱、そして、シュロの歯のような天井で、自然を意識してはいたのだが・・・。

でも、 ここまで本物の自然を取り入れるとは!!!  なんたる、革新!

★以前のスペイン旅行のエントリー記事 「グエル公園 Parc Güell #3 大広場 波打つベンチ」の写真参照。 グエル公園は、1900年に工事が始まるが、途中で中断。
★「サグラダ・ファミリア教会 Sagrada Família #3 聖堂内部 01」の写真参照。

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カラフルで、壁もデコボコ。 窓もバラバラ。 現代建築に取り囲まれた生活が味気なく思えてくる。
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フンデルトワッサー・ハウスの公式サイトには、フンデルトワッサーによれば、「我々の現代建築の外壁は、没個性の刑務所の壁。 感情も、アグレッシヴさもなく、思いやりもない。 冷たく、退屈で、からっぽ」 (Hundertwasser, 1985))と、現代建築が酷評されている。 http://www.hundertwasser-haus.info/en/blog/2011/07/19/the-facade/

たしかに、コンクリート打ちっ放し+ガラスの現代建築って、見た目カッコイイけど、味気ない。 だから、ガウディやフンデルトヴァッサーに、惹かれる人たちが多いのだろう。

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噴水と、うねりまくる地面。 すごく歩きづらい。 でも、足に伝わる感覚が面白い!
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見れば見るほど、味のある建物。フンデルトヴァッサー曰く、「家は生きている植物のように成長し、常に変化している。」
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中庭へ。 装飾タイル、美しい円柱がアクセントになっている。
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一階にショップあり。
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向かいの建物は 「フンデルトヴァッサー・ヴィラージュ」(Hundertwasser Village, Village at the Hundertwasser House)。 http://www.kalke-village.at/
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こちらも、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (Friedensreich Hundertwasser)、建築家ピーター・ペリカン (Peter Pelikan) による設計。1990年から1991年にかけて建てられたショッピングモール。 売店、トイレあり。 私たちは、この先にある売店のテラスで休憩しました

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フンデルトヴァッサーハウスは、第一作目。 ほかにも、いろいろデザインしている。
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http://www.hundertwasser.at/index_en.php
http://www.kalke-village.at/ Hundertwasser - Architecture
http://www.kunsthauswien.com/en/museum/hundertwasser-architecture

日本では、大阪のゴミ処理工場「舞洲工場」、大阪の下水汚泥集中処理センター「舞洲スラッジセンター」、「キッズプラザ大阪」、そして、「赤坂TBS前のモニュメント」。
★「フンデルトヴァッサーワールド」http://homepage1.nifty.com/spacekids/wasser.html

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ところで、、ドイツ語に従うと、「フンダートヴァッサー」(Hundert フンダート = 百、wasser ヴァッサー = 水) のほうがいいと思うのだけれども、現在一般的に表記されている「フンデルトヴァッサー」に従いました。

そして、一般には、フンデルトヴァッサー単独名義の設計とされていますが、実際には、フンデルトヴァッサーのプランを実行する(Planning or Execution of plans)建築家として、ピーター・ペリカンが数多くのプロジェクトに参加している。
http://www.hundertwasser.at/index_en.php THE OEUVRE (全作品) > Architecture > Hundertwasser Architects
http://www.kalke-village.at/ Hundertwasser - Architecture 参照。

そこらへんは、ルーベンス工房で、ルーベンスの下絵に従って弟子が完成させる、とか、アニメーションの監督の指示に従ってアニメーターなどが作品を完成させる、といったことに近いかな?

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ともあれ、この建物はとってもユニーク! 細部を見ると、いろんな発見があり、楽しい気分にさせられた。 そして、フンデルトヴァッサーの哲学を知ると、なおさら興味を惹かれました。 実際にこの建物を見ることができて、本当に良かった。

このあと、同じく フンデルトヴァッサー (Friedensreich Hundertwasser) が設計した、
「クンストハウス・ウィーン」 (KUNST HAUS WIEN - Museum Hundertwasser) へ。http://www.kunsthauswien.com/

つづきます。「ウィーン散策 「フンデルトヴァッサーハウス」 から 「クンストハウス・ウィーン」へ

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ウィーン散策 「フンデルトヴァッサーハウス」へ

ウィーン 「ラズモフスキー宮殿」 ★ベートーヴェン ラズモフスキー四重奏曲」のつづき。
地下鉄 U3 Rochusgasse (ロフス・ガッセ) から歩いたルートマップ(地図)は「こちら」。

「ラズモフスキー・ガッセ」(Rasumofskygasse)から、「レーヴェン・ガッセ」(Löwengasse)へ。(写真右上)

写真左は、路面電車(Straßenbahn) 1番 「レーヴェン・ガッセ」(Löwengasse) の停留所。 ※Löwen (レーヴェン) = ライオン、獅子。 Löwe (レーヴェ) の複数形
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路面電車1番は、Stefan-Fadinger-Platz - Karlsplatz - Kärntner Ring, Oper - Schottentor - Schwedenplatz - Radetzkyplatz - Hetzgasse - Prater Hauptallee を通るので、ウィーン観光にとっても便利 

★ウィーンの路面電車 路線図
http://homepage.univie.ac.at/horst.prillinger/metro/m/largemap-tram.html
★路面電車の時刻表
★路面電車の時刻表 路線
http://www.wienerlinien.at Service > Fahrpläne (時刻表) > Straßenbahn (路面電車) の Zu den Fahrplänen (時刻表)
路面電車1番なら、Linie 1 をクリック Schule (学校) Feruen (休暇) は、それぞれ学期中と休暇中
http://www.wienerlinien.at/media/download/2014/Linie_01_121737.pdf (2014年版)
★乗車券は、地下鉄・路面電車・バス共通。以前のエントリー記事「ウィーンの地下鉄に乗る - 切符の買い方、地下鉄の公衆トイレ」参照。

「フンデルトヴァッサーハウス」は、その先にある路面電車 1番 「ヘッツ・ガッセ」(Hetzgasse) の停留所と「レーヴェン・ガッセ」(Löwengasse) の停留所との、ちょうど中間。

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先ほどの写真右下は、「ルドルフ·フォン·アルトプラッツ」(Rudolf von Alt Platz)。 1910年頃の建築物に囲まれている小さな広場。.

この広場の、「レーヴェン・ガッセ」(Löwengasse) の道をはさんだ斜向かいには、「パレ・デ・ボザール」(Palais des Beaux Arts, Löwengasse 47)。
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地球儀を掲げた女性像や花のレリーフ、ベランダの装飾な、ユーゲント・シュティール(アール・ヌーヴォー)様式を取り入れた、1909年、後期歴史主義の建築物。

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その先、「レーヴェン・ガッセ」(Löwengasse) と 「ケーゲル・ガッセ」(Kegelgasse) の角にある、カラフルで、緑モリモリの建築物。

「フンデルトヴァッサー・ハウス」 (Hundertwasserhaus) Kegelgasse 36-38, 1030 Wien, Österreich ★http://www.hundertwasser-haus.info/en/
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これが、ウィーン市営住宅とは!!!

つづきます。 「ウィーン 「フンデルトヴァッサーハウス」

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ウィーン 「ラズモフスキー宮殿」 ★ベートーヴェン ラズモフスキー四重奏曲

ウィーン 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」 ★散策マップ」のつづき。 地下鉄 U3 Rochusgasse (ロフス・ガッセ) から歩いたルートマップ(地図)は「こちら」。

「ラズモフスキー宮殿」(Palais Rasumofsky) へ (Rasumofskygasse 23)。
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「ラズモフスキー宮殿」(Palais Rasumofsky)は、ウィーン駐在ロシア大使 アンドレイ·ラズモフスキー侯爵 (1815年から伯爵)」(Andrej Kyrillowitsch Rasumowsky, 1752-1836 wiki) のために、1806年、ベルギーの建築家 Louis de Montoyer によって設計された、ネオクラシック様式の宮殿。

19世紀後半に大幅に縮小されるまでは、 広大なイギリス式庭園がドナウ運河の近くにまで広がっていた。wiki
http://www.tourmycountry.com/austria/palais-rasumofsky.htm

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ラズモフスキー伯爵は、絵画コレクター 音楽家のパトロンとしても名を馳せ、ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven (1770–1827)) に弦楽四重奏曲の作曲を依頼。

その依頼に応えて、ベートーヴェンが作曲したのが、ラズモフスキー第1番、第2番、第3番と呼ばれる弦楽四重奏曲第7番ヘ長調(Op.59-1)、第8番ホ短調(Op.59-2)、第9番ハ長調(Op.59-3) 。

★アルバン・ベルク・カルテット 「Complete String Quartets」。 EMIクラシックスのボックスセット(2012年)。 ラズモフスキーの録音は 1978年から1979年。 7枚組で2500円以下と廉価版だが音質も良かった。 いろんなものと聴き比べるといいかも
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これが作曲されたのは、1806年、35才頃。 「ベートーヴェンの生涯」を書いたフランスの小説家、ロマン・ロラン (Romain Rollan, 1866-1944) によって、ベートーヴェン「傑作の森」 と呼ばれたベートーヴェン中期の作品。

★インターネットの電子図書館、「青空文庫」:「ベートーヴェンの生涯」(片山敏彦訳)
★この頃に住んでいた 「パスクァラティハウス」( Pasqualatihaus)については、「ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 05 ウィーン大学、パスクァラティハウスと市壁、ヴォティーフ教会

BGM的にサロンで演奏されるような室内楽とは一線を画し、その構成は交響楽的。 三曲とも非常に聴き応えがあり、 特にラズモフスキー第3番。 暗く内省的なスタートから、一転親しみを感じるフレーズへ。 起伏に富んだメロディのうねりと疾走感。 そして、感動的なフィナーレへ。 そのスケールの大きさに圧倒された。

なお、ラズモフスキー第1番第4楽章アレグロは、ロシア民謡が主題に使われており、「Thème russe」= 「ロシアのテーマ」と名付けられている。

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ベートーヴェンは、友人であるヴァイオリンの名手、イグナーツ・シュパンツィヒ (Ignaz Schuppanzigh, 1776-1830 wiki) がリーダーをつとめる弦楽四重奏団とともに、このラズモフスキー宮殿でラズモフスキー弦楽四重奏曲、その3曲それぞれを初演。
シュパンツィヒ率いる弦楽四重奏団は、ラズモフスキー伯爵お抱えとなる。

歴史的な建物なのに、落書き。これは酷い。
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その2年後の1808年、ベートーヴェンは 交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」をラズモフスキー伯爵と、同じく彼のパトロンだったロブヴィッツ侯爵(ロブコヴィッツ (Lobkowitz) 家の第7代、フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ (Franz Joseph Maximilian Fürst von Lobkowitz, 1772-1816)に献呈している。

★ウィーンのロブコヴィッツ宮殿については、「ウィーン 「ロブコヴィッツ宮殿」 と ベートーヴェン「英雄」 A Beethoven Walk - Palais Lobkowitz, Theatermuseum Vienna ★ナポレオンについて追記あり 2014/02/11

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ラズモフスキー伯爵の碑文。
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In diesen Gebäude wohnte
FÜRST ANDREJ K. RASUMOVSKY
Botschafter des Russischen Reiches
am Hofe zu Wien (1790-1799,1801-1807)
der als hervorragender Diplomat.
bedeutender Mäzen und Förderer des Künste
ein bleibendes Andenken
in der Geschichte Europas hinterlassen hat

「この建物には、アンドレイ K. ラズモフスキー侯爵、ウィーン駐在ロシア大使が住み、卓越した外交官として活躍した (1790-1799,1801-1807)。 重要な芸術のパトロンおよび支援者であり、ヨーロッパの歴史遺産として、永続的に記憶されるものである。」

この宮殿に、ラズモフスキー伯爵は1836年、亡くなるまで居住していた。

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第二次世界大戦による爆撃で深刻な被害を受け、1951年にようやく修復。
2003年、個人投資家グループに売却され、内装を一新。 2013年 World Architecture Festival で受賞。
http://www.detail-online.com/architecture/news/conversion-of-the-palais-rasumofsky-in-vienna-022075.html
ギャラリーとして一般公開されることを期待です!

★「ラズモフスキー・ガッセ」(Rasumowskygasse) から、「ゲウサウ・ガッセ」(Geusaugasse) をながめる。
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今回のウィーン・プラハ旅行がなかったらば、これほどベートーヴェンの音楽にのめりこまなかっただろうし、パトロンたちとの交流を知らないままだったかも。

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ところで、旅行後もウィーンを満喫しすぎの私。すでに書いた記事だけでも 65個・・・。

これが、旅行の実質3日目とは(爆)。

★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。
★記事インデックスは「こちら

これから、「フンデルトヴァッサー・ハウス」、「クンストハウス・ウィーン」、そのあと、「プラーター公園」の観覧車まで、あと一息

つづきます。「ウィーン散策 「フンデルトヴァッサーハウス」へ

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ウィーン 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」 ★散策マップ

ウィーン散策 トゥーフラウベンの泉から 「シュテファン大聖堂」」のつづき。

地下鉄 U3 で Stephansplatz (シュテファンス・プラッツ) から Rochusgasse (ロフス・ガッセ) まで。

★ウィーン散策地図
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS" に加工。
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「エーアトベルク・ガッセ」(Erdberbstrasse) の一角に、ちっちゃな小さな巣箱がいっぱい  オブジェかな?
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「エーアトベルク・ガッセ」(Erdberbstrasse) から 「クントマン・ガッセ」(Kundmanngasse) を渡った角の、「ペートルス・アポテーケ」(Petrus-Apotheke) =聖ペテロ薬局。
その壁には、「5つの幸せの玉」(fünf Glückskugeln, Five Lucky Balls) と名付けられた紋章 (Kundmanngasse 29) 。その下には、1788年などの年号とともに、建物の由来が記した碑文がある。
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「パルク・ガッセ」(Parkgasse) に入って歩いていくと、左側に 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」(Wittgenstein Haus)(Parkgasse 18)
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「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」(Ludwig Wittgenstein, 1889- 1951) は、ウィーン出身の哲学者。wiki

彼はユダヤ系の大富豪の家庭に育つ。ケンブリッジで研究生活を送ったあと、第一次世界大戦にオーストリア兵として志願。 軍務の合間に「論理哲学論考」を執筆。

イタリアで捕虜収容所生活を送ったあと、 田舎の小学校教師になるが、体罰教育で追い出され、修道院の庭師になる

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その後、建築に凝って、1926年、姉マルガレーテのために、建築家アドルフ・ロース (Adolf Loos) の弟子、ポール·エンゲルマン (Paul Engelmann) とともに設計したのが、この 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」(Wittgenstein Haus、ストーンボロー邸ともいわれる)。

装飾を排除した、シンプルで機能的なキュビズムの様式。1928年に完成。
http://www.goethe.de/ins/jp/lp/kul/mag/ver/ja2341144.htm

現在は、ブルガリア文化会館。 見学には事前予約が必要 http://www.haus-wittgenstein.at/ 

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なお、グスタフ・クリムトはウィトゲンシュタイン家の庇護を受けた一人で、ルートヴィヒの姉、マルガレーテの肖像画を描いている。現在、ドイツのミュンヘン「ノイエピナコテーク」(Neue Pinakothek)が所蔵。http://www.pinakothek.de/neue-pinakothek
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ところで、ナチス・ドイツの台頭により、ユダヤ系の彼はイギリス国籍をとって、ケンブリッジに復帰。 第二次大戦中は、看護師に。
終戦後に、言語哲学の研究に入り、後期代表作となる 「哲学探究」を発表する。

・・・と、まあ 人生いろいろ。波乱の生涯。

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ウィトゲンシュタインについては、中村うさぎ、佐藤優の対談 「聖書を読む」(文藝春秋)36項以下で、佐藤優がウィトゲンシュタインについて語っているのが参考になった。

ウィトゲンシュタインの言語哲学によれば、真理は日常言語の中にすべて埋め込まれており、いろいろな思想の違い、あるいは世の中の諍いは、ちょっとした言葉の使い方の違いにすぎないと。

・・・と、わかったような、わからないような(笑)。

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写真左は、塀が高すぎ、外からちょっと見えるだけで、残念だった 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」。
写真右は、「ウィトゲンシュタイン・ハウス」の一角を左折した先ある、「ゲウサウ・ガッセ」(Geusaugasse) 。

この閑静な、街路樹の緑に心癒される道を歩いて、ベートーヴェンにゆかりのある 「ラズモフスキー宮殿」(Palais Rasumofsky) へ。
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つづきます。「ウィーン 「ラズモフスキー宮殿」 ★ベートーヴェン ラズモフスキー四重奏曲

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ウィーン散策 トゥーフラウベンの泉から 「シュテファン大聖堂」

ウィーン散策 クレントガッセ (Kurrentgasse) から、さらに路地裏 ★散策マップ」のつづき。

「トゥーフラウベン通り」(Tuchlauben) と 「ブラントシュテッテ通り」(Brandstätte) の角、「Tuchmacherbrunnen」(トゥーフ・マッハー・ブルネン)の泉のある一角へ。
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「Tuchmacherbrunnen」(トゥーフ・マッハー・ブルネン)=布地職人の泉。 ※Tuch (トゥーフ) =布地、macher (マハー)=・・・を作る人、・・・する人
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生地のロールから、布地を切断しようとしている職人のブロンズ像(Oskar Thiede, 1926/1928)。
その昔、この界隈には布地を扱う店が多かったことから建てられた記念碑。

私たちが行ったときには、目の部分がシールでイタズラされていた(笑)。 イタズラはよくないけれど、たしかに目を下を向けないと、布カットは無理ですね
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泉の後ろには、1898年まで、「Schönbrunner Haus」 と呼ばれる建築物が建っており、作曲家アルバン·ベルク (Alban Berg, 1885-1935) の生誕地 (Tuchlauben 8)。 現在の建物は1899年に改築されたもの。
http://www.viennatouristguide.at/Gedenktafeln/pers/B/berg_1_tuchl.htm

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その向かいの角には、1885年設計の 「Mattonihof」(Tuchlauben 12, Brandstätte 10)
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壁面の装飾が美しい まるで、上等なお菓子のパッケージみたい(笑)。
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★歴史的建造物については、ウィーン市公式サイト http://www.wien.gv.at/kulturportal/public/ の地図

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「ブラントシュテッテ通り」(Brandstätte) を歩いて、「シュテファン大聖堂」(Stephansdom) へ。
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「シュテファン大聖堂」(Stephansdom) 
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夜、ライトアップされたシュテファン大聖堂もいいけれど、昼間のほうがよく見える

★シュテファン大聖堂については、以前書いたエントリー記事:「ウィーン 「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」ライトアップ

ここから、地下鉄 U3 で Stephansplatz (シュテファンス・プラッツ) から Rochusgasse (ロフス・ガッセ) まで

「ウィトゲンシュタイン・ハウス」、「フンデルトヴァッサー・ハウス」、「クンストハウス・ウィーン」に向かいます。

つづきます。「ウィーン 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」 ★散策マップ

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ウィーン散策 クレントガッセ (Kurrentgasse) から、さらに路地裏 ★散策マップ

ウィーン散策 ユダヤ広場 (Judenplatz) 界隈」のつづき。

★ウィーン散策地図
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS" に加工。 「前の散策地図」 のつづきです。
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「ユダヤ広場」 (Judenplatz ユーデン・プラッツ) から、「クレント・ガッセ」(Kurrentgasse) へ。

クレントガッセから、ユダヤ広場の 「旧ボヘミア宮廷官房」(ehem. "Böhmische Hofkanzlei") を眺める。
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クレントガッセの入口左側にある、"Prieschenkisches Haus" (Kurrentgasse 12)。バロック様式のファサード。 入口の左右にある天使の彫刻が可愛らしい
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バロック様式の建物が立ち並ぶ、美しい路地裏、「クレント・ガッセ」(Kurrentgasse)
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この写真左側には、ウィーン料理のレストラン 「Ofenloch」 (オーフェンロホ) (Kurrentgasse 8)。

Ofenloch=ストーブの穴は、「Bierhaus Ofenloch」として 1704年の記録に登場しており、ウィーンで最も古いレストランの一つ。
ゲストブックには、レナード·バーンスタイン、ヘルベルト·フォン·カラヤン、ホセ·カレーラスらが名を連ねる有名店。
http://www.restaurant-ofenloch.at/en/

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その手前左側には、ベーカリー 「グリム」(Bäckerei Arthur GRIMM, Kurrentgasse 10A)
http://www.grimm.at/
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店の右側にある抜け道を抜け、「クレーブラット・ガッセ」(Kleeblattgasse) の路地裏へ。
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「クレーブラット・ガッセ」(Kleeblattgasse) は、普段着のウィーンという雰囲気。

右側の書店 「ChickLit」(チックリット, Kleeblattgasse 7) の2階と3階の間の窪みには、聖母子像。
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その先には、赤茶色の折り紙のような連続模様が壁に描かれたカジュアルなレストラン「kolar」 (Kleeblattgasse 5) http://www.kolar-beisl.at/

ここの自家醸造ビールで、ちょっと休憩していれば ・・・ここで、散歩は終了していたかも(笑)。

ところで、ここには14世紀から、"Zum kleinen Ofenloch"と名付けられた浴室があり、当初は衛生&道徳上、国と教会の管理下に置かれるも、官能的な方向へ(笑)。 マリア・テレジアの締め付けにもかかわらず、"Grabennymphen" が職業として成功。 モーツァルトも熱心に通ったとか。
http://www.kolar-beisl.at/kolar.html Geschichte (ゲシヒテ) = 歴史・物語。

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書店「ChickLit」(Kleeblattgasse 7) http://chicklit.at/ のショーウィンドー。
取り扱いは、フェミニズム、トランスジェンダー、子供の本、グラフィック関係等々。 通販もあり。
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パソコン上でグーグル翻訳されたページを見ると、とても面白そうなラインナップ でも、まずはドイツ語勉強しないとな、です

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その後、「クレントガッセ」 (Kurrentgasse) に戻り、 「The gallery Steiner - art & wine」 (ギャラリー・シュタイナー -アート&ワイン) のウィンドーや、バロックのファサード、角の美しい時計が並んだショーウィンドーを見て左折。

再び 「シュタインドゥル・ガッセ」(Steindlgasse) から、「トゥーフラウベン通り」(Tuchlauben)に戻る。
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薬局 「Apotheke z weißen Storch Inh A Moll」。 店の角には、店名どおり weißen Storch =白いコウノトリ。。なんで、ここにコウノトリ!?
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写真右は、1796年創業、元はマスターテーラー、現在リネン&寝具等を扱う 「GUNKEL」の、その建物に掲げられていた、見るからに歴史がありそうな説明書き。

「トゥーフラウベン通り」(Tuchlauben) の Tuch (トゥーフ) =布地の意味。 昔は、布地を扱う店が多かったらしい。

つづきます。「ウィーン散策 トゥーフラウベンの泉から 「シュテファン大聖堂」

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ウィーン散策 ユダヤ広場 (Judenplatz) 界隈

ウィーン散策 アムホーフ広場界隈 その2 シュールホーフ (Schulhof)」のつづき。

「アム・ホーフ」(Am Hof) 広場から、「ユダヤ広場」 (Judenplatz ユーデン・プラッツ) へ。

「ドラート・ガッセ」(Drahtgasse)=針金路地という名前の細い路地に入ると、左側、バルコニーの美しい、18世紀前半のバロック様式の建築物 "Zu den fünf Kronen"(Ledererhof 2)
その一階は、"kunst und handwerk"(アート&クラフト)の 「Kühner」(キューナー) http://www.kunst-und-handwerk.at/ お洒落なインテリア・雑貨のセレクトショップ
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「Kühner」のある 「Ledererhof」 (レーダーホーフ) から 「ドラート・ガッセ」(Drahtgasse) を眺めると、19世紀後半の美しい建造物
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この界隈は、美しい歴史的建造物のほか、レストランや Bio Bar もあり、路地散策が楽しめる場所。

★歴史的建造物については、ウィーン市公式サイト http://www.wien.gv.at/kulturportal/public/ の地図

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「ユダヤ広場」 (Judenplatz ユーデン・プラッツ)

この広場は、中世の時代、ユダヤ人のゲットーがあった場所。

ユダヤ広場の中央には、ホロコーストで犠牲になったオーストリアのユダヤ人のための記念碑 「Mahnmal für die ermordeten Juden Österreichs」 (Rachel Whiteread, 2000)
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ナチスドイツによって、ウィーン在住のユダヤ人 約 65,000人が強制収容所に送られ、ホロコーストの犠牲となった。
http://www.wien.gv.at/kultur/juedischeswien/

ユダヤ広場を反対側から見る。 写真右側に、ユダヤ広場のユダヤ博物館 Jüdische Museum Judenplatz (Wien) http://www.jmw.at/en
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現在、「オーストリア行政裁判所」 (Österreichischer Verwaltungsgerichtshof) となっている、旧「ボヘミア宮廷官房」(Böhmische Hofkanzlei, the former Bohemian Court Chancellery) と 「レッシング像」。
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なお、Böhmische Hofkanzlei =ボヘミア宮廷官房と訳しました。Wikiの英訳では、Bohemian Court Chancellery。もっと適切な訳がわかれば変更致します。

「世界一美しい図書館」 とも称される、「オーストリア国立図書館プルンクザール」の設計で有名な宮廷建築家、ヨハン·ベルンハルト·フィッシャー·フォン·エルラッハ (Johann Bernhard Fischer von Erlach) による設計。 のち、Matthias Gerl の設計により増築。1945年爆撃により損傷。1951年復元。
http://www.vwgh.gv.at/geschichte/boehmische-hofkanzlei/boehm-hofkanzlei.html
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彫刻と紋章の装飾のある、旧 「ボヘミア宮廷官房」(ehem. "Böhmische Hofkanzlei") の入口と、 「レッシング像」(Lessing-Denkmal)
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「レッシング」(Gotthold Ephraim Lessing, 1729-1781)は、ドイツの劇作家、批評家 wiki
ドイツの近代的な市民劇の創始者。また、美学、神学の評論を通じて啓蒙思想を説き、ドイツ市民文化の発展に貢献した人物 (ブリタニカ国際大百科事典参照)。

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旧 「ボヘミア宮廷官房」、現「オーストリア行政裁判所」の向かいには、いずれも19世紀末、出窓の意匠が美しい建築物
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そして、モーツァルトが以前住んでいたのは、このあたり。 1783年には、Judenplatz 3。 そして、1789年から1790年の秋にかけては、Judenplatz 4。この家は、すでに存在しませんが、ここでオペラ・ブッファ 「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte) を作曲。 モールァルトのアパートメントで行われたリハーサルには、ハイドンも招待したそうです。
http://www.wien.info/media/files/haydn-wege.pdf 参照

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「ユダヤ広場」 (Judenplatz ユーデン・プラッツ) から、「クレント・ガッセ」(Kurrentgasse) の路地に向かう手前には、「ツム・グレーセン・ヨルダン」"Zum großen Jordan"の建物 (Judenplatz 2)。
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「ツム・グレーセン・ヨルダン」(Zum großen Jordan)は、ウィーンで最も古い建物の一つ。 壁には、1421年の反ユダヤ主義のレリーフ(Das antisemitische Relief am Haus „Zum großen Jordan“ am Judenplatz)。 複雑な歴史の一端を垣間見る。

http://de.wikipedia.org/wiki/Judenplatzhttp://www.christenundjuden.org/artikel/geschichte/55-himmelbauer-judenplatz 参照

次に、ウィーン屈指の美しい路地、「クレント・ガッセ」(Kurrentgasse) へ。

つづきます。「ウィーン散策 クレントガッセ (Kurrentgasse) から、さらに路地裏 ★散策マップ

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ウィーン散策 アムホーフ広場界隈 その2 シュールホーフ (Schulhof)

ウィーン散策 「エンゲル薬局」 アムホーフ広場 界隈」のつづき。

★歴史的建造物については、ウィーン市公式サイト http://www.wien.gv.at/kulturportal/public/ の地図

「トゥーフラウベン通り」(Tuchlauben)。 軒をつらねる高級ブランド 円安なので、残念ながら素通り、、
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のはずだったけど、美しい外壁の装飾に目を奪われました Hochholzerhof, Tuchlauben 5
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「トゥーフラウベン通り」(Tuchlauben)を一区画だけ歩いて、左折し、「シュタインドゥル・ガッセ」(Steindlgasse) に入る。

写真左に写っている教会は、 「アム・ホーフ教会」 "Kirche am Hof" の内陣側。
そして、道の右側には、ビア・レストラン 「ゲッサー・ビーアクリニーク」 (Gösser Bierklinik)
http://www.goesser-bierklinik.at/
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「ゲッサー・ビーアクリニーク」 の建物の歴史は、遡ること1339年には記録あり。 ウィーンで最も古い宿屋の一つとして1683年開店。 その後、1988年から、地元のビール醸造会社ゲッサービールが経営する郷土料理レストランになりました。 Pubのみ喫煙 それ以外は禁煙

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細い小路を通って、シュールホーフ (Schulhof) の小さな広場へ。 写真右は、広場側から写した写真。入口付近には、「時計博物館」 (Uhrenmuseum) http://www.wienmuseum.at/en/locations/location-detail/uhrenmuseum.html
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シュールホーフ (Schulhof) に入ったすぐ右側には、1728年頃に建てられた 「ノイヴァルシェス・ハウス」 (Neuwallsches Haus, Schulhof 4, Kurrentgasse 3)。 「男像柱」(アトラス, atlas or teramon) が入口の左右に施されたバロック様式のファサードが印象的
http://www.wien.info/media/files/haydn-wege.pdf
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この広場。 入口と出口がとても狭い割には、馬車がひっきりなしに通っていました
それだけ、この界隈、家並みがとても素敵なんです
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広場の建物 (Schulhof 6)、その外壁の中にはガラスで守られた「聖母子像」
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写真の右側の建物は、6才のモーツァルトが、ウィーンにおいて最初の公開演奏会を行った「コッラルト宮殿」。
この建物の中を通り抜けて、再び 「アム・ホーフ」(Am Hof) 広場へ。
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工事中の「アム・ホーフ」(Am Hof) 広場。 写真左は、消防署 (Feuerwehr und Katastrophenschutz Wien, Am Hof 9) 。
写真右の建物には、中央入口の左側に、1683年 「第二次ウィーン包囲」の際の、オスマン帝国による砲弾(Türkenkugel)が金色に塗られてつり下げられている (Am Hof 11)
http://www.tuerkengedaechtnis.oeaw.ac.at/ort/am-hof-turkenkugel/
現在、ゼネラリ保険のオフィス。 Tischler Ludwig 設計。1883年建築の美しい建物。
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この砲弾のある建物の右側の路地から、「ユダヤ広場」 (Judenplatz ユーデン・プラッツ) 界隈を散策。

つづきます。「ウィーン散策 ユダヤ広場 (Judenplatz) 界隈

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ウィーン散策 「エンゲル薬局」 アムホーフ広場 界隈

ウィーン散策 ナーグラー・ガッセ その2、「アルトマン」でお土産購入」のつづき。

「アム・ホーフ」(Am Hof) の広場へ。
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後ろの建物は、右から UniCredit 傘下の Bank Austria。

そして、バロック様式のファサードが印象的な 「アム・ホーフ教会」 "Kirche am Hof, Wien"、 別名 「合唱する9人の天使の教会」(Kirche zu den neun Chören der Engel)"。
1806年 ナポレオン占領下のウィーンで、 この教会のバルコニーから、フランツ2世 (Franz II., 1768-1835, 神聖ローマ皇帝 (在位1792-1806)) 神聖ローマ帝国の解散を公に発表しました

手前には、「マリア記念柱」(Mariensäule)

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本来ならば、その右側に、「コッラルト宮殿」(Palais Collalto) が見えるはずなのだけど、工事用プレハブがその前に立ちはだかっています

この 「コッラルト宮殿」は、1762年10月、6才だったモーツァルトが、ウィーンにおいて最初の公開演奏会を行った記念すべき場所
http://wienwiki.wienerzeitung.at/WIENWIKI/Am_Hof

私たちがウィーンに滞在した2013年8月、 アムホーフ広場は工事中。 広場の真ん中には、演劇 「イェーダーマン」"Jedermann"(英語では"Everyman"と訳されている)の特設テントが設置されていた

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さて、先ほどの「ナーグラー・ガッセ」(Naglergasse) から出て、左を見ると、午前中に自転車で前を通った 「フライウング」(Freyung) の 「ショッテン教会」(Schottenkirche) http://www.schottenpfarre.at/
右に行くと、「ボーグナー・ガッセ」 (Bognergasse) へ。
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その 「ボーグナー・ガッセ」の通り沿いには、「エンゲル薬局」(Bognergasse 9)。
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正式名は、「Apotheke zum weißen Engel (Wien)」、アポテーケ・ツム・ヴァイセン・エンゲル=白い天使の薬局。

「ユーゲント・シュティール」(Jugentstil) 様式 (「アールヌーヴォー」(Art Nouveau)のドイツ語圏での呼称) の注目すべき建築物。

オットー・ワーグナー (Otto Wagner) の弟子だった 「オスカー・ラスケ」 (Oskar Laske) の設計(1902年)。 内部のインテリアも、オスカー・ラスケが担当した。 ラスケは、1904年以後、主に画家として活躍した。

二人の天使のモザイク壁画、バルコニーの装飾、デザイン化されたひまわりの絵も美しい
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天使の腕にからみついた蛇 (Äskulapnattern) は、ギリシャ・ローマ神話の医術の神、アスクレピオスのモチーフ。

http://web.archive.org/web/20041125114210/http://members.aon.at/hoefels/laske/html/bognergasse.html参照

広場が工事中のため、 「トゥーフラウベン通り」(Tuchlauben)まで歩きました。

つづきます。「ウィーン散策 アムホーフ広場界隈 その2 シュールホーフ (Schulhof)

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ウィーン散策 ナーグラー・ガッセ その2、「アルトマン」でお土産購入

ウィーン散策 ナーグラー・ガッセ、ビアホール 「Hopferl」で休憩、アクシデント発生」のつづき。「ナーグラー・ガッセ」 (Naglergasse) をさらに西へ。

聖三位一体と聖母戴冠のレリーフのある家 (Naglergasse 13)
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この家の向かいにあるウィーンで最も短い通り、「イリス・ガッセ」(Irisgasse)から、見るとこんな感じ。
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この建物の一階には、先ほどの小さな広場「ハールホーフ」(Haarhof) にあるビアホール「Bierhof」(ビーアホーフ)と同じ経営主体のビアホール「Hopferl」(ホプフェル)http://bierhof.at/hopferl.html
そして、1920年に設立されたカトリック大学学生協会 Katholisch Akademische Verbindung Bajuvaria (K.A.V. Bajuvaria) http://www.bajuvaria.at/ が使用している。

上の写真では、左に隣接する"CAFE Der Mann"の左の路地を抜けると、先ほど行った ビアホール 「Bierhof」 へ。

公衆トイレのある「イリス・ガッセ」(Irisgasse)。 「ナーグラー・ガッセ」 (Naglergasse) 側から見ると、この先に 「アム・ホーフ広場」(Am-Hof)が見える。
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「ナーグラー・ガッセ」 (Naglergasse)
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写真左側にある、ナーグラー・ガッセ Naglergasse 19 の建物には、可愛らしい天使のレリーフのある出窓があり。
現在は、Chez Cliché http://www.chez-cliche.at/ の素敵なアパートメントあり 
http://www.viennareview.net/news/ideas-and-trends/chez-cliche-apartments-with-personality

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「ナーグラー・ガッセ」 (Naglergasse)を抜け、ちょうど道の角にあるキャンドル・ショップ
「アルトマン (Josef Altmann jun.)」 http://www.altmannkerzen.at/sortiment.html
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ここで、キャンドルと紙ナプキンをお土産に購入。
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香りのいいキャンドルはアメリカ製。 花々とキノコ、妖精の絵柄の美しい紙ナプキンはドイツ製 (笑)。

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いろいろあって迷ったけれど、一番気に入ったものをゲット やっぱり女子モノショッピングは楽しい そのおかげで、先ほどのアクシデントから立ち直ることができました(笑)。

つづきます。「ウィーン散策 「エンゲル薬局」 アムホーフ広場 界隈

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ウィーン散策 ナーグラー・ガッセ、ビアホール 「Bierhof」で休憩、アクシデント発生

ウィーン 「ペーター教会」」のつづき。
「グラーベン通り」(Graben)を抜け、「ナーグラー・ガッセ」 (Naglergasse) を散策。

「トゥーフラウベン通り」(Tuchlauben)と、「ナーグラー・ガッセ」 (Naglergasse)、「ボーグナー・ガッセ」 (Bognergasse) に挟まれた角地に立つ、1901年、Christian Ulrich の設計による、後期歴史主義 (späthistoristische. Wiki) の建築物 (Naglergasse 2)。
http://de.wikipedia.org/wiki/Bognergasse
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3階から上の円形の出窓を支える、優美な 「女性像柱」(カリアティッド, caryatid) &花の装飾がロマンティック
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女性像柱(カリアティッド)は、元々古代ギリシャの建造物に用いられたもの。 ウィーン王宮、「ヨーゼフ広場」(Josefsplatz) の「パラヴィチーニ宮殿」(Palais Pallavicini, 1783) の入口の門を支える 「女性像柱」(カリアティッド)が印象的でした
※以前書いたエントリー記事、「ウィーン王宮 ヨーゼフ広場、国立図書館プルンクザールへ」の写真参照。

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ナーグラー・ガッセを散策。 彫刻やレリーフで飾られた建物がいろいろ。ウィーン公式サイトの地図 Wien Kulturgut 参照 http://www.wien.gv.at/kulturportal/public/
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路地の左側に入ると、1683年創業の老舗のワインケラー(ワイン居酒屋)「エステルハーズィー・ケラー」"Esterhazy keller" http://www.esterhazykeller.at/
飾り看板もお洒落
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この細い路地を下がっていくと、「ハールホーフ」 (Haarhof) の小さな広場。
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この右側、「エステルハーズィー・ケラー」とは反対側にある ビアホール 「Bierhof」(ビーアホーフ)http://www.bierhof.at/bierhof-home.html のテラスで、生ビール&食事休憩

生ビール、美味しかった
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そして、このパンも鶏肉入りサラダも
それもこれも、夫が、このパンを取ろうと、私めがけてジョッキを倒しさえしなければ、もっといい思い出になっていたかも。。 しかも、ほぼこの一杯の量 夫の不注意のせいで、私のズボンから下は、びしょ濡れ状態
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結局、生ジョッキ2杯づつ。 最後にコーヒーまで飲んでも、まだ生乾き

ここは、先ほど通ってきたナーグラー・ガッセにあるビアホール「Hopferl」(ホプフェル)と同じ経営主体の店なので、レシートに、Hopferl, Naglergasse 13 と記載されている。
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「やられたらやり返す。倍返しだっ」(さすがにジョッキなので、倍じゃなくてもいいんだけれど(笑)) といきたい気持ちを、大人ゆえ、ぐっと こらえるワタクシ
歩いているうちに乾くだろうと、やけっぱちな気持ちで、さらに散策。

つづきます。「ウィーン散策 ナーグラー・ガッセ その2、「アルトマン」でお土産購入

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ウィーン 「ペーター教会」

ウィーン グラーベン通り 「ペスト記念柱」、ウィンドボナ」のつづき。

「ペスト記念柱」のあるグラーベン通りの中ほどを右折した、そのすぐ先にある、
ウィーン「ペーター教会」"Peterskirche Wien" http://www.peterskirche.at/home/
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「ペスト記念柱」を作らせたレオポルト1世(Leopold I., 1640-1705, 神聖ローマ皇帝在位:1658-1705)のイニシアティブにより、信徒会の一つである聖三位一体兄弟会によって建てられ、 1733年に献堂。

「ベルヴェデーレ宮殿」(1714/1723) を設計したバロック建築の巨匠、ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント(Johann Lukas von Hildebrandt, 1668-1745)等が設計に関わった、ウィーンで最も美しいともいわれるバロック様式の教会。
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日本語の説明リーフレットもあり、修復、維持のために献金。 昼間、明るいうちに訪れることができて良かった。
★ペーター教会公式サイトの日本語による案内 PDF http://www.peterskirche.at/fileadmin/pdf/tourismusinfo/japanisch.pdf

素晴らしい、オーバルの天井フレスコ画。 J.M.ロットマイヤー作、「聖母マリアの戴冠」(ペーター教会公式サイトのPDFの解説には、「聖母マリアの戴冠」と記載されている)。
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ここは、かつて古代ローマ時代の都市、ウィンドボナの要塞があった時代は、兵舎があった場所。 そして、ロマネスク様式の教会が建てられ、その老朽化による取り壊しのあとに、今日のバロック様式の教会が建てられました。

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教会では、コンサートが開催されている。 内容は随時変わるようなので、詳しくは公式サイト http://www.peterskirche.at/home/ をどうぞ。
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つづきます。「ウィーン散策 ナーグラー・ガッセ、ビアホール 「Hopferl」で休憩、アクシデント発生

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ウィーン グラーベン通り 「ペスト記念柱」、ウィンドボナ

ウィーン散策 アルベルティーナ、ドロテウム、ユダヤ博物館 「ユダヤ人都市ウィーンとワーグナー展」」のつづき。

「グラーベン通り」 "Graben"  車両通行禁止の目抜き通り。 地図はこちら
グラーベン通りの中央には、巨大な 「ペスト記念柱」
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ところで、グラーベン通りの "Graben"= 溝の意味。

古代ローマ時代には、「ウィンドボナ」"Vindobona" という、現在のオーストリアの首都ウィーンの原型となった都市があり、ローマ帝国軍の要塞を囲む溝にあたる部分が、現在のグラーベン通りです。

古代ローマ時代の都市、「ウィンドボナ」"Vindobona"
「(古代) ローマ博物館 (Römermuseum)」Katalogansicht (カタログビュー)に加工。

赤が古代ローマ帝国軍の要塞があった場所。青が町(宿営地)。
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グラーベン通りのシュテファン寺院側には、「レオポルドの泉」"Leopoldsbrunnen" (1804)
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「ペスト記念柱」"Die Pestsäule am Graben in Wien" 天使たちの彫像、上には、三位一体像。
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レオポルト1世(Leopold I., 1640-1705, 神聖ローマ皇帝在位:1658-1705)の治世の頃、1679年のペストの大流行により、その犠牲者の、その正確な数はわからないものの、数万人に及ぶ命が奪われました。

ペスト記念柱は、ペストの終結を神に感謝し、レオポルド1世の命により建てられたもの。

ところで、ペストは終結したものの、ペスト大流行による国の弱体化を狙ってか、わずか数年後の1683年には、オスマン帝国の侵攻による 「ウィーン第2次包囲」にみまわれ、甚大な損害を受けてしまいます。

そのため、資金調達は困難をきわめ、1687年にやっと完成。 その後、いくつかの計画の変更を経て1693年、現在の姿として完成しました。
http://www.wien-konkret.at/sehenswuerdigkeiten/pestsaeule/
★ウィーンの歴史遺産リスト
http://de.wikipedia.org/wiki/Liste_der_denkmalgesch%C3%BCtzten_Objekte_in_Wien/Innere_Stadt/E%E2%80%93He

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シュテファン寺院のほうを眺める。 歴史ある建物が立ち並んでいます。
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コールマルクト通りの近くには、地下の公衆トイレに通じる鉄柵あり。Damen = Ladies, Herrn = Gentlemen
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その後、グラーベン通りの中程、右側に入ったところにある 「ペーター教会」。

バロック建築の粋を極めた教会内部を見学しました。

つづきます。「ウィーン 「ペーター教会」

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ウィーン散策 アルベルティーナ、ドロテウム、ユダヤ博物館 「ユダヤ人都市ウィーンとワーグナー」展

ウィーン 「ロブコヴィッツ宮殿」 と ベートーヴェン「英雄」 A Beethoven Walk - Palais Lobkowitz, Theatermuseum Vienna」のつづき。

★ウィーン散策地図
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS" に加工。
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右側の建物は 「アルベルティーナ」 "Albertina"
階段・エスカレーターで上がれるようになっている"Augustinerbastei" (アウグスティーナー・バスタイ) 、アウグスティーナーの堡塁(ほるい)、ウィーンの市壁・要塞 (Stadtmauer, Stadtbefestigung)の遺構。
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前掲、ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven (1770–1827))が住んでいた 「パスクァラティハウス」( Pasqualatihaus)のある "Mölkerbastei (Mölker Bastei)" と同様の遺構です。
以前書いた「ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 05 ウィーン大学、パスクァラティハウスと市壁、ヴォティーフ教会
Die Wiener Stadtmauer (ウィーンの市壁) 参照
http://de.wikipedia.org/wiki/Wiener_Stadtmauern

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ここから、ドロテーア・ガッセ (Dorotheergasse) の路地に入って、
「ドロテウム」"Dorotheum" 
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小雨が降ってきたので、中でちょっとだけ雨宿り。 一階廊下には、宝飾品の展示ケース。 柱からの伸びる天井へのアーチが優美。
「ドロテウム宮殿」"Palais Dorotheum"(1898–1901) は、エーミール・フォン・フェルスター (Emil von Förster, 1838-1909) による、ネオ・バロック様式の建物。 第二次大戦の爆撃でひどい破損を受けるも、戦後再建。

「ドロテウム」は、1707年、皇帝ヨーゼフ1世(Joseph I., 1678-1711, レオポルト1世の長男、女帝マリアテレジアの叔父)の命により、国営の質店として設立。 その後、中央ヨーロッパでは最大のオークションハウスとなりました。現在は国立ではなく、個人オーナー。
http://www.dorotheum.com/en/dorotheum/history.html

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「ユダヤ博物館ウィーン」"Jüdisches Museum Wien" http://www.jmw.at/
エントランスの扉の上部の装飾が美しい旧 「Palais Nako」
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現在 (2013年9月25日、今年2014年3月16日まで)、 "Das jüdische Wien und Richard Wagner"「ユダヤ人都市ウィーンとワーグナー」(Jewish Vienna and Richard Wagner)展を開催。

この展覧会では、ドイツの偉大な作曲家ワーグナーの生誕200年にあわせ、反ユダヤ的言動として物議をかもし、のちにナチスに利用されたワーグナーの著作 「音楽におけるユダヤ性」"Das Judenthum in der Musik" (1850/1869) が及ぼした影響等を展示。

そういえば、去年、NHKで放映されたBS世界のドキュメンタリー「ワーグナーとユダヤ人のわたし」(前編・後編)Stephen Fry: Wagner And Me (2010) でも、ワーグナーと反ユダヤの問題が取り上げられていた。

番組プレゼンターは、家族をホロコーストで亡くしている作家のスティーブン・フライ。 彼はワーグナーの足跡をたどり、偉大な音楽と反ユダヤ主義という相入れない事実に折り合いをつけようと試みている。

ワーグナーがこの本を書いた当時は、ナチスによる反ユダヤ主義に利用されるとは思わなかったにしろ、今もユダヤ人の心を傷つけているという重い現実に、胸が詰まる思いがしました。https://www.facebook.com/pages/Wagner-and-Me/145616335461014

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ベートーヴェンが活躍していた、今から約200年前、1817年創業 ウィーン最大の老舗楽譜店「Doblinger」(ドプリンガー)http://www.doblinger.at/
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そして、1936年創業の老舗カフェ、「Café Hawelka」(カフェ・ハヴェルカ) http://www.hawelka.at/cafe/de/ の前を通って、グラーベン通りへ。

つづきます。「ウィーン グラーベン通り 「ペスト記念柱」、ウィンドボナ

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ウィーン 「ロブコヴィッツ宮殿」 と ベートーヴェン「英雄」 A Beethoven Walk - Palais Lobkowitz, Theatermuseum Vienna ★ナポレオンについて追記あり 2014/02/11

「アウグスティーナー教会」 ハプスブルク家の心臓埋葬」のつづき。

アウグスティーナーに向かって歩くと、ベートーヴェンのパトロンの一人だったロブコヴィッツ公の
「ロブコヴィッツ宮殿」"Palais Lobkowitz (Wien)"
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現在は、「オーストリア演劇博物館」"Österreichisches Theatermuseum"になっていますが、コンサートやウェディングの会場としてレンタル可能
http://www.theatermuseum.at/vor-dem-vorhang/das-palais/
http://www.khm.at/entdecken/angebote/mieten-sie-das-museum/oesterreichisches-theatermuseum/

この宮殿は、1683年、オスマン帝国による「第二次ウィーン包囲」の後に建てられた、ウィーンで最初の重要なバロック様式の宮殿

そのメインエントランスは、「世界一美しい図書館」 ともよばれる「オーストリア国立図書館プルンクザール」の設計でも有名な、宮廷建築家 ヨハン·ベルンハルト·フィッシャー·フォン·エルラッハ (Johann Bernhard Fischer von Erlach) によるデザインなのだ

★地図はこちら(「ウィーン王宮 ヨーゼフ広場、国立図書館プルンクザールへ」)

★チェコのプラハの 「ロブコヴィッツ宮殿」 については、「プラハ城 ロブコヴィッツ宮殿 クラシック・コンサート」のエントリー記事をどうぞ。

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幾人かの所有者の変遷を経る中、最も有名なのが、ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven, 1770-1827. (wiki)) のパトロンの一人、ロブコヴィッツ (Lobkowitz) 家の第7代、フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ (Franz Joseph Maximilian Fürst von Lobkowitz, 1772-1816, チェコ語で、Joseph František Maximilian. (wiki))。

その出会いは、ウィーン。 二人とも多感な青年期。 神聖ローマ帝国ケルン大司教領だったドイツのボン出身、ベートーヴェン22才、ロブコヴィッツ公20才の時。

ロブコヴィッツ公は、ルドルフ大公(Rudolph von Österreich, 1788–1831, 神聖ローマ皇帝レオポルト2世の末子, Wiki)、キンスキー伯爵とともに、ベートーヴェンに年金を保証(経済恐慌の時のみ、一時中断)。 ロブコヴィッツ公が44才で亡くなった後も、ベートーヴェンが56才で亡くなるまで、その年金は支払われ続けました。

その恩に報いて、ベートーヴェンは、ロブコヴィッツ公に交響曲3番「英雄」、5番「運命」、6番「田園」などを捧げています。

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ところで、交響曲3番の原題は、"Sinfonia Eroica" (イタリア語)、「英雄交響曲」。

その作曲は、ウィーンの 「ベートーヴェン・エロイカハウス」"Beethoven Eroicahaus", Oberdöbling 1190 Wien, Österreich (Google Map) にて。
こちらは、現在、リクエストあれば公開 (ONLY ON REQUEST) の博物館になっています。 詳しくは、http://www.wienmuseum.at/en/locations/location-detail//standorte/beethoven-eroicahaus.html

元は、ナポレオンに捧げようとしたのですが、ロブコヴィッツ公に捧げられました

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ところで、1789年のフランス革命、バスティーユ襲撃のとき、ベートーヴェンは18才。

フランス絶対王政による圧政からの解放を求めて革命に参加した人々は、1789年、「人および市民の権利宣言」を採択。

その16条では、「人および権利の保障が確保されず、権利の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」と宣明。
1791年、この人権宣言を前文とする成分憲法が成立。
1792年、共和制成立。 王政廃止が宣言される。
1793年、革命裁判でルイ16世、つづいて、王妃マリー・アントワネットが断頭台(ギロチン)で処刑。

ところが、ロベスピエールを中心とするジャコバン派による独裁、反対派を次々粛正する恐怖政治へ。
1794年、その反動によるクーデターで、ロベスピエールは失脚。 断頭台(ギロチン)で処刑。

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このような、めまぐるしい革命後の混乱の中、ナポレオンは、イタリア遠征により広大な領土を獲得。 フランスの国民的英雄となる。

★ベートーヴェンの故郷、現在のドイツのボンも、 1794年、ナポレオン軍に占領され、ナポレオン全盛時代にはフランス領となっている

この、ナポレオン全盛時代には、ボンがナポレオンに占領されてフランス領だった、という事実は、当初、交響曲3番「英雄」をナポレオンに捧げようと思った要因の一つかも。

1799年、ナポレオンは武力で議会を解散。 独裁政権を樹立。

1804年、ナポレオンは、皇帝ナポレオン1世として戴冠。

これでは絶対王政、旧体制に逆戻りなのでは、とベートーヴェンもさぞや幻滅したことだろう。

1810年、ナポレオンは、ハプスブルク家、最後の神聖ローマ皇帝 (在位1792-1806) となり、また、最初のオーストリア皇帝フランツ1世 (Franz I., 在位1804-1835) となった、フランツ2世 (Franz II., 1768-1835) の娘、マリー・ルイーズと結婚 (前年、ジョセフィーヌと離婚)。
・・・この政略結婚、ナポレオンの子孫に、ハプスブルク王朝の血統を入れる!という野心ありあり。 またもやナポレオンには幻滅だよ、みたいな。。

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・・・と余談はともあれ、

ナポレオンではなく、ロブコヴィッツ公に捧げられた交響曲3番「英雄」は、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場 "Theater an der Wien" で公式に初演される前年の1804年夏、私的なコンサートとして、ロブコヴィッツ家がチェコに所有していた 「イェゼジー城」"Jezeří"(Zámek) で初演

これは、後掲「ロプコヴィッツ・コレクション」公式ガイドブック(日本語版)、及び、「ロブコヴィッツ宮殿」公式サイトで紹介されていた情報です。
「Originally dedicated to Napoleon, the 3rd Symphony was performed for the first time, privately, at Jezeří Castle in 1804, one year before the first public performance in Vienna.」(ref. http://www.lobkowicz.cz/en/Highlights-from-The-Collections-47.htm?item=113)

これと異なる、「ウィーン旧市街 とっておきの散歩道」(ダイヤモンド社)やウェブ上の情報は、おそらく間違っているのでは??

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ベートーヴェンと、ロブコヴィッツ公との密接な結びつきについては、公式ガイドブック「ロブコヴィッツ・コレクション」のほか、公式サイト http://www.lobkowicz.cz/en/ に、第3番 「英雄」 初版譜面の写真とあわせて、詳しく解説されていて、本稿もこれを参考にしています。
http://www.lobkowicz.cz/en/Highlights-from-The-Collections-47.htm?item=113

チェコのプラハ城内にある「ロブコヴィッツ宮殿」を見学の際には、ベートーヴェン実筆の校正のある筆写譜、ベートーヴェンの第3番「英雄」の楽譜の初版本 (Beethoven's Eroica Symphony, First published edition, 1806)、そのほか、モーツァルトがおびたたしい書き込みをしている譜面など、クラシックファンにとっては垂涎のお宝が展示されていて、かなり見応えありました

★チェコ、プラハ城内にある 「ロブコヴィッツ宮殿」については、http://www.lobkowicz.cz/en/
毎日 13:00 - 14:00 の間に開催される、17世紀の美しい天井の広間でのクラシック・コンサートも、非常に素晴らしかった

★ブログ記事:「プラハ城 ロブコヴィッツ宮殿 クラシック・コンサート

★写真は、チェコ、プラハ城内にある 「ロブコヴィッツ宮殿」の入口
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ちょっと脱線してしまいましたが、交響曲第3番 「英雄」つながりということで、お許しを。。

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ところで、ウィーンのロブコヴィッツ宮殿にある「エロイカ・ホール」(Eroica-Saal) は、ロブコヴィッツ公に献呈されたエロイカにちなんだ名前。

1807年、ベートーヴェンの交響曲4番は、私的演奏会として、ここエロイカ・ホールで初演されました

ウィーン美術史美術館のサイトの演劇博物館紹介のPDF 30頁以下、そして演劇博物館の公式サイトを見ると、天井画や床の装飾も美しいバロック宮殿 クラシック・コンサートの機会があったら、入ってみたい ここをベートーヴェンが歩んだかと思うと興味が湧きます!

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ちなみに、交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」は、ロブヴィッツ公と、ラズモフスキー伯爵とに献呈されています。
ラズモフスキー伯爵と、ウィーン「ラズモフスキー宮殿」については、「ウィーン 「ラズモフスキー宮殿」 ★ベートーヴェン ラズモフスキー四重奏曲」の記事をどうぞ。

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ところで、交響曲3番「英雄」が初演された「イェゼジー城」"Zámek Jezeří , Chateau Jezeří".

チェコ北西、ボヘミア、Ústí nad Labem (ウースチー・ナド・ラベム)。 ドイツ国境から約10km以内、 エルツ山地山麓の斜面に立つバロック様式の城館 (Zámek) です (Horní Jiřetín, Česká republika)。(Google Map 地図情報)

1840/45頃に描かれた、「ボヘミア北部のイェゼジー城」の絵が公式ガイドブックに掲載されていますが、エルツ山地の緑をバックに、山裾の緑が広がる自然豊かな地
ここは、狩猟を行うために使われ、社交の場としても用いられました

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ところで、Wiki を見ると、ドイツ語名は "Schloss Eisenberg (アイゼンベルク城)" になってて、違いすぎ

チェコの「ロブコヴィッツ宮殿」「イェゼジー城」その他、ロブコヴィッツ家の財産は、第二次大戦でナチス・ドイツに没収されていたのでした

そして終戦。 いったん返還されるも、わすか数年で今度は共産党政権により、再び差し押さえられ
90年代の財産返還法による返還請求権により、ようやく、ロブコヴィツ家の所有にカムバック
まったく、ごく数年前のことなんです。

1996年、マーティン・ロブコヴィツが 「イェゼジー城」を国に寄贈。 相互の合意により、Ústí nad Labem (ウースチー・ナド・ラベム) の文化遺産マネジメント(現、国立文化遺産研究所)に移管されました。
"in 1996 Martin Lobkowicz donated the castle to the state and by mutual agreement the building was again transferred to the management of the Heritage Institute (now the National Heritage Institute) in Ústí nad Labem."(ref. http://www.zamek-jezeri.cz/)

それゆえ、現正式名称は、「Státní Zámek Jezeří」 。Státní = Public で、「公営イェゼジー城」。
以上、http://www.zamek-jezeri.cz/
http://www.zamek-jezeri.cz/history-of-the-chateau/the-period-of-greatest-threat/
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ところで、ロブコヴィッツ (Lobkowitz) 家はボヘミア出身。 その初代は、宮廷をウィーンからプラハに移し、ハプスブルク家の中でもとりわけ精力的な美術品の収集家だったルドルフ2世 (Rudolf II)」(1552-1612, 神聖ローマ皇帝在位 1576-1612) 、マティアス皇帝、フェルディナント2世の治世にわたってチェコ王国の宰相を努めた人物。 その後も、政治に深く関わり、ヨーロッパでも傑出した名家です

そして、チェコ語では、Lobkowitz = 「ロプコヴィッツ」。
しかるに、チェコ、プラハ城内にある 「ロブコヴィッツ宮殿」のミュージアムショップで購入した日本語版公式ガイドブックには、「ロブコヴィッツ・コレクション」と表記されていたので、「ロブコヴィッツ」と表記しています

★Österreichisches Theatermuseum オーストリア演劇博物館
Palais Lobkowitz ロブコヴィッツ宮殿 (Lobkowitzplatz 2, 1010 Wien)
http://www.theatermuseum.at/ 火曜休み。 10:00 ~ 18:00

【おまけ】
★ベートーヴェンのWEB楽聖4コマ劇場 「運命と呼ばないで」 http://naxos.jp/special/no_unmei
面白い! 第一話 http://naxos.jp/special/no_unmei_op1

「運命と呼ばないで」(ベートーヴェン)聖地巡礼MAP(β版)
・・・次回ウィーン旅行のお供にします!


★フランス革命とナポレオンの歴史については、「山川世界史総合図録」(山川出版社)、中野京子著名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語 (光文社新書) 第11章ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式、参照。

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ボヘミア、チェコと、ウィーンのロブコヴィッツ宮殿。 その変遷する歴史、それに関わった人々のことを想像すると、とても興味がわいてきた。 というか、知らなかったら、まったく素通りだった、ことでしょう

つづきます。「ウィーン散策 アルベルティーナ、ドロテウム、ユダヤ博物館 「ユダヤ人都市ウィーンとワーグナー」展

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