ウィーン プラーター 「大観覧車」 ★映画 「第三の男」 と 「ボルジア」 (ネタバレあり) ウィーン編完結
「ウィーン プラーター 「大観覧車」に乗る ★記念撮影」のつづき。
プラーターの 「大観覧車」 Riesenrad (リーゼンラート, Giant Wheel) といえば、映画 「第三の男」 の舞台となった場所。
「ウィーン大観覧車」("Wiener Riesenrad" ヴィーナー・リーゼンラート, Viennese Giant Wheel) http://www.wienerriesenrad.com/en
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映画 「第三の男」(The Third Man) は、1949年製作。 キャロル・リード (Carol Reed) 監督のイギリス映画。
舞台は、第二次世界大戦直後のウィーン。
ハプスブルク王朝による栄光とその終焉。 ナチス・ドイツによる併合と敗戦の生々しい傷跡。 その歴史を背負ってきたウィーンの街並み。
そのアメリカ、イギリス、ソ連、フランスの4国によって4分割された市内には、美しい彫刻が施された建物とともに、連合国軍による空襲により崩壊した建物、瓦礫の山が映し出される。
悪の深い闇。 そこに生きる男と女。 モノクロ画面の光に照らされ、闇から浮かび上がる、その表情・・・。
そして、大観覧車をバックに、悪に墜ちたハリー・ライム役のオーソン・ウェルズが、親友、小説家ホリー・マーチンス役のジョゼフ・コットンに言う台詞に思わず反応 彼曰く、
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「人が言うように、イタリアでは、ボルジア家が支配した30年間、彼らは栄華を極め、テロ、殺人、流血が横行してた、、でも、彼らはミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルネッサンスを生みだした。
スイスでは、隣人愛、500年にわたる民主主義に平和。 それがいったい何を生みだした?・・・鳩時計だよ。
じゃあな、ホリー。」
"Like the fella says, In Italy for thirty years under the Borgias they had warfare, terror, murder, bloodshed - but they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci, and the Renaissance. In Switzerland they had brotherly love, 500 years of democracy and peace, and what did that produce? The cuckoo clock. So long, Holly."
以上、有名な、「鳩時計」のくだりです なんで反応したかというと、私、ボルジアにどっぷりハマっているもので・・・
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右は、スカパー、イマジカBS放映のドラマ、チェーザレ・ボルジア、教皇アレクサンデル6世の 「ボルジア 欲望の系譜 Borgia: Faith And Fear」 http://www.imagica-bs.com/borgia/
スペイン出身のロドリーゴ・ボルジア枢機卿 (Rodrigo Borgia, 1431-1503)。 買収工作により、宿敵ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(後の教皇ユリウス2世 Julius II, 在位:1503-1513)を破って教皇に就任。 教皇アレクサンデル6世 (Alexander VI, 在位:1492-1503)となる。
1498年、フィレンツェの修道士サヴォナローラを破門。 シニョリーア広場で絞首刑ののち火刑。
愛人の弟、アレッサンドロ・ファルネーゼは枢機卿となり、後に教皇パウルス3世 (Paulus III, 在位:1534-1549) となった。
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教皇アレクサンデル6世の息子のチェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia, 1475-1507) は、父の力で大司教にまで上り詰めるも、兄弟殺害に関わった噂あり。 権謀術数をもって中部イタリアを征服。
1502年、レオナルド・ダ・ヴィンチは建築技術監督兼軍事顧問としてチェーザレの軍と行動を共にする。
しかしながら父、教皇が死亡し、自らも病に倒れるとともに失脚。
宿敵ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(後の教皇ユリウス2世) によって逮捕されるも、脱出。 義兄の統治するナバーラ王国まで逃れるも、戦死。
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・・・と、「悪徳」のかぎりを尽くした親子なのだが、 民主主義による多数派の横暴、およそ実現不可能な理想主義に走った、自己満足の悪しきポピュリズムに比べれば、有能で実行力のある専制君主のほうがマシかもしれない。あくまで、相対論にすぎないけれど、清濁併せ呑む寛容さは必要かも。
ボルジア関連本。 コミック 「チェーザレ ~破壊の創造者~」惣領冬実、監修 原基晶(モーニング、講談社):公式サイト http://morning.moae.jp/lineup/19 も、歴史考証がしっかりしていて面白かった。
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かな~り脱線しましたが、まさか、オーソン・ウェルズのセリフに 「ボルジア」が出てくるとは! 吹き替えや、字幕に頼ってばかりだと、到底わかりませんでした
言うまでもなく、映画館の大きなスクリーンで見るに越したことはないけれど、DVDでじっくり、セリフを巻き戻しで聞くのもいいなと思った次第。
映画 「第三の男」は、旅行後、最近になってDVDで。 昔、テレビで見たことがあるような気がするのだけれど、すっかり忘却。
映画評論家の淀川長治さんは、映画のラストを絶賛するけれど、「女心が読めない、未練たらたらのお馬鹿さん」には共感できず。
・・・かといって、バッサリ切り捨てるのは良くないか(笑)。むしろ、巨大な地下下水道での最後のシーンのほうが、はるかに胸を打たれました。
ともあれ、ウィーンに行った後にでも、見る機会を持てたのは良かった
★「第三の男ミュージアム・ウィーン - 名画「第三の男」と第二次世界大戦後、占領下のウィーンの全て」"THIRD MAN MUSEUM", Pressgasse 25, 1040 Wien
開館時間:毎週土曜日午後2時~6時、時間外は要予約 http://www.3mpc.net/yapsamml.htm というのもあるみたい。
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ところで、映画「第三の男」では、第二次世界大戦中、連合国軍による空襲により崩壊した建物、瓦礫の山が各所に映し出されている。
映画冒頭、第二次世界大戦中、連合国軍による空襲により、屋根が完全に崩壊、ファサードも無残に倒れかけた 「シュテファン大聖堂」 (Stephansdom) の現在の姿。、
★現在は、「ウィーン 「シュテファン大聖堂 (Stephansdom)」ライトアップ」の記事を参照。
瓦礫と化した建物が写し出された、「結婚の泉」(Vermählungsbrunnen) のある、 「ホーアーマルクト広場」(Hoher Markt)の現在。道理で、建物が新しくみえるわけなのだ。
★現在は、「ウィーン散策 05 ドナウ運河、エルサレムの階段、アンカー時計、古代ローマ都市「ウィンドボナ」(Vindobona)」の記事を参照
★Location shots in Vienna of The Third Man (1949) http://axion.physics.ubc.ca/thirdman/thirdman.html 「第三の男」(1949) ウィーン・ロケーション・ショット ・・・道の名前が出ていて、とても参考になります!
★道の名前は、ウィーン市の公式サイトの地図 http://www.wien.gv.at/stadtplan/ で検索。
こういった負の歴史は、旅行ガイドブックでは触れられていないけれども、こうした歴史を知ることで、その土地に対する理解が深まり、より興味が湧いてくる。
これは今までやってきた、東京古地図散歩、建築ポタリングの海外版ですね
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最後に、大観覧車の前で記念撮影。
入口(写真左)から歩いた、そのすぐ先に、S-Bahn 地下鉄 U1 U2 「プラーターシュテルン」(Praterstern) の駅(写真右、右側)。
地下鉄 U1 U2 「プラーターシュテルン」(Praterstern) の駅入口。PM9:30。 ここから、地下鉄 U1 で、 Karlsplatz まで行き、ホテルに戻りました。
夜なので、なるべく人がたくさん歩いている流れに乗って、歩くべし!ですね。 ・・・なぜか、ココ、人通り少なすぎなんですけど あぶない目には、一度もあわずにすみました。
★http://www.praterwien.com/en/home/
★遊園地の地図 http://www.praterwien.com/fileadmin/user_upload/plan/plan_de.pdf
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以上、ウィーン4日目。 ウィーン到着1日目は夜 19:10でしたので、ウィーン実質3日目終了
ウィーンだけでも、今までの記事の総数 71 個。 なんたる旅の充実度 !!
Our trip to Vienna was very fruitful and rewarding !! And our trip to Prague too !!!
★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。
★記事インデックスは「こちら」
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翌日、2013/8/14(水) は、ホテルからタクシーで空港へ。
「オーストリア航空」 Austrian Air http://www.austrian.com/ で、オーストリア (Republik Österreich (レプブリーク・エースターライヒ), Republic of Austria (リパブリック・オブ・オーストリア)) の ウィーン (Wien (ヴィーン), Vienna (ヴィエナ) から、
チェコ共和国 (Česká republika (チェスカー・レプブリカ), Czech Republic (チェコ・リパブリック)) の プラハ (Praha (プラハ), Prague (プラーグ)) に移動
(Vienna 10:05 - Prague 10:55)。
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・・・こう書いてみると、日本語ではニホン or ニッポン、英語だと Japan みたいに、表記も音も違ってる。
それから、ドイツ語で、 たとえば、「Ö」(オー、ウムラウト) が 「オ」 の口で 「エ」と発音するように、独特の発音があると、表記が難しいときがある。 チェコ語でも、独特な発音があって、同じく表記が難しい。
でも、翻訳で音声も出せるので、できるかぎり書いておこうと思っています。 カタカナで書いてないと、とっさに使いづらいし、再訪したい場所なので
つづきます。「チェコ、プラハ個人旅行 Journey to Prague ウィーンからプラハに移動 (オーストリア航空) ATM」
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