ウィーン 「ラズモフスキー宮殿」 ★ベートーヴェン ラズモフスキー四重奏曲
「ウィーン 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」 ★散策マップ」のつづき。 地下鉄 U3 Rochusgasse (ロフス・ガッセ) から歩いたルートマップ(地図)は「こちら」。
「ラズモフスキー宮殿」(Palais Rasumofsky) へ (Rasumofskygasse 23)。
「ラズモフスキー宮殿」(Palais Rasumofsky)は、ウィーン駐在ロシア大使 アンドレイ·ラズモフスキー侯爵 (1815年から伯爵)」(Andrej Kyrillowitsch Rasumowsky, 1752-1836 wiki) のために、1806年、ベルギーの建築家 Louis de Montoyer によって設計された、ネオクラシック様式の宮殿。
19世紀後半に大幅に縮小されるまでは、 広大なイギリス式庭園がドナウ運河の近くにまで広がっていた。wiki
http://www.tourmycountry.com/austria/palais-rasumofsky.htm
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ラズモフスキー伯爵は、絵画コレクター 音楽家のパトロンとしても名を馳せ、ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven (1770–1827)) に弦楽四重奏曲の作曲を依頼。
その依頼に応えて、ベートーヴェンが作曲したのが、ラズモフスキー第1番、第2番、第3番と呼ばれる弦楽四重奏曲第7番ヘ長調(Op.59-1)、第8番ホ短調(Op.59-2)、第9番ハ長調(Op.59-3) 。
★アルバン・ベルク・カルテット 「Complete String Quartets」。 EMIクラシックスのボックスセット(2012年)。 ラズモフスキーの録音は 1978年から1979年。 7枚組で2500円以下と廉価版だが音質も良かった。 いろんなものと聴き比べるといいかも
これが作曲されたのは、1806年、35才頃。 「ベートーヴェンの生涯」を書いたフランスの小説家、ロマン・ロラン (Romain Rollan, 1866-1944) によって、ベートーヴェン「傑作の森」 と呼ばれたベートーヴェン中期の作品。
★インターネットの電子図書館、「青空文庫」:「ベートーヴェンの生涯」(片山敏彦訳)
★この頃に住んでいた 「パスクァラティハウス」( Pasqualatihaus)については、「ウィーン レンタサイクル 「Citybike Wien」で観光 05 ウィーン大学、パスクァラティハウスと市壁、ヴォティーフ教会」
BGM的にサロンで演奏されるような室内楽とは一線を画し、その構成は交響楽的。 三曲とも非常に聴き応えがあり、 特にラズモフスキー第3番。 暗く内省的なスタートから、一転親しみを感じるフレーズへ。 起伏に富んだメロディのうねりと疾走感。 そして、感動的なフィナーレへ。 そのスケールの大きさに圧倒された。
なお、ラズモフスキー第1番第4楽章アレグロは、ロシア民謡が主題に使われており、「Thème russe」= 「ロシアのテーマ」と名付けられている。
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ベートーヴェンは、友人であるヴァイオリンの名手、イグナーツ・シュパンツィヒ (Ignaz Schuppanzigh, 1776-1830 wiki) がリーダーをつとめる弦楽四重奏団とともに、このラズモフスキー宮殿でラズモフスキー弦楽四重奏曲、その3曲それぞれを初演。
シュパンツィヒ率いる弦楽四重奏団は、ラズモフスキー伯爵お抱えとなる。
その2年後の1808年、ベートーヴェンは 交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」をラズモフスキー伯爵と、同じく彼のパトロンだったロブヴィッツ侯爵(ロブコヴィッツ (Lobkowitz) 家の第7代、フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ (Franz Joseph Maximilian Fürst von Lobkowitz, 1772-1816)に献呈している。
★ウィーンのロブコヴィッツ宮殿については、「ウィーン 「ロブコヴィッツ宮殿」 と ベートーヴェン「英雄」 A Beethoven Walk - Palais Lobkowitz, Theatermuseum Vienna ★ナポレオンについて追記あり 2014/02/11」
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In diesen Gebäude wohnte
FÜRST ANDREJ K. RASUMOVSKY
Botschafter des Russischen Reiches
am Hofe zu Wien (1790-1799,1801-1807)
der als hervorragender Diplomat.
bedeutender Mäzen und Förderer des Künste
ein bleibendes Andenken
in der Geschichte Europas hinterlassen hat
「この建物には、アンドレイ K. ラズモフスキー侯爵、ウィーン駐在ロシア大使が住み、卓越した外交官として活躍した (1790-1799,1801-1807)。 重要な芸術のパトロンおよび支援者であり、ヨーロッパの歴史遺産として、永続的に記憶されるものである。」
この宮殿に、ラズモフスキー伯爵は1836年、亡くなるまで居住していた。
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第二次世界大戦による爆撃で深刻な被害を受け、1951年にようやく修復。
2003年、個人投資家グループに売却され、内装を一新。 2013年 World Architecture Festival で受賞。
http://www.detail-online.com/architecture/news/conversion-of-the-palais-rasumofsky-in-vienna-022075.html
ギャラリーとして一般公開されることを期待です!
★「ラズモフスキー・ガッセ」(Rasumowskygasse) から、「ゲウサウ・ガッセ」(Geusaugasse) をながめる。
今回のウィーン・プラハ旅行がなかったらば、これほどベートーヴェンの音楽にのめりこまなかっただろうし、パトロンたちとの交流を知らないままだったかも。
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ところで、旅行後もウィーンを満喫しすぎの私。すでに書いた記事だけでも 65個・・・。
これが、旅行の実質3日目とは(爆)。
★ウィーン個人旅行の全体ついては、「ウィーン・プラハ個人旅行 02 ウィーン編まとめ Journey to Vienna (Wien)」をどうぞ。
★記事インデックスは「こちら」
これから、「フンデルトヴァッサー・ハウス」、「クンストハウス・ウィーン」、そのあと、「プラーター公園」の観覧車まで、あと一息
つづきます。「ウィーン散策 「フンデルトヴァッサーハウス」へ」
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