ウィーン 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」 ★散策マップ
「ウィーン散策 トゥーフラウベンの泉から 「シュテファン大聖堂」」のつづき。
地下鉄 U3 で Stephansplatz (シュテファンス・プラッツ) から Rochusgasse (ロフス・ガッセ) まで。
★ウィーン散策地図
ウィーン市の地図 Stadtplan Wien http://www.wien.gv.at/stadtplan/ "Quelle: Stadt Wien - ViennaGIS" に加工。
「エーアトベルク・ガッセ」(Erdberbstrasse) の一角に、ちっちゃな小さな巣箱がいっぱい オブジェかな?
「エーアトベルク・ガッセ」(Erdberbstrasse) から 「クントマン・ガッセ」(Kundmanngasse) を渡った角の、「ペートルス・アポテーケ」(Petrus-Apotheke) =聖ペテロ薬局。
その壁には、「5つの幸せの玉」(fünf Glückskugeln, Five Lucky Balls) と名付けられた紋章 (Kundmanngasse 29) 。その下には、1788年などの年号とともに、建物の由来が記した碑文がある。
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「パルク・ガッセ」(Parkgasse) に入って歩いていくと、左側に 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」(Wittgenstein Haus)(Parkgasse 18)
「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」(Ludwig Wittgenstein, 1889- 1951) は、ウィーン出身の哲学者。wiki
彼はユダヤ系の大富豪の家庭に育つ。ケンブリッジで研究生活を送ったあと、第一次世界大戦にオーストリア兵として志願。 軍務の合間に「論理哲学論考」を執筆。
イタリアで捕虜収容所生活を送ったあと、 田舎の小学校教師になるが、体罰教育で追い出され、修道院の庭師になる
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その後、建築に凝って、1926年、姉マルガレーテのために、建築家アドルフ・ロース (Adolf Loos) の弟子、ポール·エンゲルマン (Paul Engelmann) とともに設計したのが、この 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」(Wittgenstein Haus、ストーンボロー邸ともいわれる)。
装飾を排除した、シンプルで機能的なキュビズムの様式。1928年に完成。
http://www.goethe.de/ins/jp/lp/kul/mag/ver/ja2341144.htm
現在は、ブルガリア文化会館。 見学には事前予約が必要 http://www.haus-wittgenstein.at/
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なお、グスタフ・クリムトはウィトゲンシュタイン家の庇護を受けた一人で、ルートヴィヒの姉、マルガレーテの肖像画を描いている。現在、ドイツのミュンヘン「ノイエピナコテーク」(Neue Pinakothek)が所蔵。http://www.pinakothek.de/neue-pinakothek
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ところで、ナチス・ドイツの台頭により、ユダヤ系の彼はイギリス国籍をとって、ケンブリッジに復帰。 第二次大戦中は、看護師に。
終戦後に、言語哲学の研究に入り、後期代表作となる 「哲学探究」を発表する。
・・・と、まあ 人生いろいろ。波乱の生涯。
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ウィトゲンシュタインについては、中村うさぎ、佐藤優の対談 「聖書を読む」(文藝春秋)36項以下で、佐藤優がウィトゲンシュタインについて語っているのが参考になった。
ウィトゲンシュタインの言語哲学によれば、真理は日常言語の中にすべて埋め込まれており、いろいろな思想の違い、あるいは世の中の諍いは、ちょっとした言葉の使い方の違いにすぎないと。
・・・と、わかったような、わからないような(笑)。
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写真左は、塀が高すぎ、外からちょっと見えるだけで、残念だった 「ウィトゲンシュタイン・ハウス」。
写真右は、「ウィトゲンシュタイン・ハウス」の一角を左折した先ある、「ゲウサウ・ガッセ」(Geusaugasse) 。
この閑静な、街路樹の緑に心癒される道を歩いて、ベートーヴェンにゆかりのある 「ラズモフスキー宮殿」(Palais Rasumofsky) へ。
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