« プラハ 旧市街広場 05 「石の鐘の家」、特別展 「ティム・バートンの世界」 Exhibition: The World of Tim Burton | トップページ | プラハ 旧市庁舎と天文時計、ミュシャ 「黄道十二宮」 »

プラハ 旧市街広場 06 「ティーン教会」

プラハ 旧市街広場 05 「石の鐘の家」」のつづき。 地図は 「こちら」。

手前左から、「ティーン学校」(Tynska skola,Týn School)、「白い一角獣の家」(Dům u bílého jednorožce, The House at the White Unicorn)、その両者の背後にあるのが 「ティーン教会」
01_20130814_to_17_prague_031_2

「ティーン教会」の正式名は、「ティーンの前の聖母マリア教会」(Kostel Matky Boží před Týnem, Church of Our Lady before Týn (Church of the Virgin Mary before Týn))。

ティーン (Týn) とは、壁で囲われた場所の意味。(The word týn means an enclosure, a fenced area, the former word otýniti used to mean to enclose.)。

「ティーンの前の聖母マリア教会」(Church of Our Lady before Týn) の名前は、濠と壁に囲まれ、街から隔離されていた、「ウンゲルト」(Ungelt) といわれた外国商人の居留地が、教会の背後にあったことに由来しています。

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

商人は安全な場所でないと安心して商売できません。思うに、中世は今の100倍以上も物騒だと思われ・・・。

そこで、王様に、壁で囲まれた保護区域を作って守ってもらうかわりに、その入口に入るとき、手数料を支払う仕組みになっていました。

この手数料は、関税として強制的に徴収されるようになり、14世紀のはじめには、この関税は、古いドイツ語の言葉で 「ウンゲルト」と呼ばれるようになり、いつしか、この外国商人の居留地自体が 「ウンゲルト」(Ungelt) と呼ばれるようになったのでした。
★Ungelt - Týn Yard (Ungelt - Týnský Dvůr)
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=48754(チェコ語)

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

塔の高さは 80m。 塔が完成したのは、1511年、ヤゲヴォ家のヴラジスラフ (Vladislav Jagellonský, ボヘミア国王在位:1471年 - 1516年)の治世の頃。

尖塔と小尖塔の上には、金色に光る宝珠が置かれ、ライトアップで輝く姿の美しかったことshine これは、また別エントリー記事で。
15_20130814_to_17_prague_200

12世紀のはじめ、「ウンゲルト」(Ungelt) にはロマネスク様式の教会があり、今日のゴシック様式の教会は、神聖ローマ皇帝カレル4世(Karel IV. 神聖ローマ皇帝在位:1355 - 1378年、ボヘミア国王在位:1346 - 1378年)の治世の1365年に建設がはじまりました。

そして、カレル4世の宮廷で活躍し、カレル橋などを作った建築家、彫刻家の ペトル・パルレーシュ(Petr Parléř, 英語名、ピーター・パーラー, Peter Parler, 1330年頃から1399年)の影響を色濃く受けています。

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ティーン教会に入るには、手前左側の「ティーン学校」(Tynska skola,Týn School) の建物の中を通って行かなくてはなりません。 観光客がぞろぞろ歩いているので、通路はすぐにわかりましたflair

教会の中は撮影禁止camerangでしたので、写真はここまで。バーチャルツアー
151_20130814_to_17_prague_1387

ティーン学校は、ティーン教会によるラテン語の学校として、すでに13世紀に記録に登場。 カレル4世と父ヨハンの侍医、Master Walther も教師をつとめました。

http://www.praguecityline.cz/prazske-pamatky/tynska-skola-na-staromestskem-namesti

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ところで、「ティーン教会」は、かつてのチェコの宗教改革の先駆者、カレル4世の宮廷を辞しボヘミアで教会批判を展開していたクロムニェジーシュのヤン・ミリーチ (Jan Milíč of Kroměříž, 1374年死去) らが説教師を努め、その後、フス派の主教会となり、フス派の大司教となったロキツァナ (Jan Rokycana, John of Rokycan (Rokycany) 1396 - 1471)も、ティーン教会で司祭をつとめました(注1)。

そして、フス派(聖杯派)がティーン教会を主教会とすると、VS カトリック側はプラハ城の聖ヴィート大聖堂を主教会にと、プラハの街は宗教的に分裂annoy(注2)

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

そして、30年戦争における 「白山(ビーラ・ホラ)の戦い」 (1620年, Battle of White Mountain) において、ハプスブルク側が勝利すると、フス派をはじめとするプロテスタントは禁止され、ティーン教会もカトリック教会にsweat02

ティーン教会の塔の間の切り妻には、かつて、フス派の大司教となったロキツァナから国王就任の祝福を受けた、フス派の国王、ポジェブラディのイジー (Jiří z Poděbrad, George of Poděbrady, ボヘミア国王在位:1458- 1471) の像と、フス派のシンボル「聖杯」が掲げられていましたが、黄金の聖母マリア像に替えられてしまいました。。

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ところで、ティーン教会には、ルドルフ2世に仕えた天文学者、ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe) が1601年に葬られています。
おととし、2012年、ティコ・ブラーエの遺跡の調査が行われ、彼は過度におしっこを我慢したがための尿毒症で亡くなった(注3)のではなく、慢性水銀中毒で亡くなったことが、死後400年以上たったけど、めでたく?実証されました。
http://www.tyn.cz/cz/index.php?stranka=zkoumn-ostatk-tycha-braha-2012

注1:石川達夫著「黄金のプラハ―幻想と現実の錬金術 (平凡社選書)」135頁。
注2:薩摩秀登著「プラハの異端者たち―中世チェコのフス派にみる宗教改革 (叢書 歴史学への招待)」(現代書館、1998年)69頁、185頁、193頁等。
注3:ジェームズ・R. ヴォールケル 著、林 大 翻訳「ヨハネス・ケプラー―天文学の新たなる地平へ (オックスフォード科学の肖像)(大月書店 2010年) 」73頁、
田中充子著 「プラハを歩く (岩波新書)」71頁、88頁。
http://www.praguewelcome.cz/en/visit/monuments/top-monuments/123-our-lady-before-tyn-.shtml
Ungelt - Týn Yard http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=48754
http://www.tyn.cz/cz/index.php?stranka=historie-20100201
Wiki 参照。

見学は、火曜から土曜は 10:00 AM - 13:00 PM., 15:00 PM - 17:00 PM、日曜日は 10:00 AM - 正午まで
寄付ウェルカム (推奨 1 euro)
http://www.tyn.cz/cz/
http://www.tyn.cz/cz/index.php?stranka=informace-pro-nvtvnky

つづきます。「プラハ 旧市庁舎と天文時計、ミュシャ 「黄道十二宮」

|

« プラハ 旧市街広場 05 「石の鐘の家」、特別展 「ティム・バートンの世界」 Exhibition: The World of Tim Burton | トップページ | プラハ 旧市庁舎と天文時計、ミュシャ 「黄道十二宮」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« プラハ 旧市街広場 05 「石の鐘の家」、特別展 「ティム・バートンの世界」 Exhibition: The World of Tim Burton | トップページ | プラハ 旧市庁舎と天文時計、ミュシャ 「黄道十二宮」 »