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プラハ 旧市庁舎と天文時計、ミュシャ 「黄道十二宮」

プラハ 旧市街広場 06 「ティーン教会」」のつづき。 地図は 「こちら」。
プラハ個人旅行 まとめ記事

「プラハ旧市庁舎」 (Staroměstská radnice, Old Town Hall)
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旧市庁舎の「天文時計」 (Orloj, The Astronomical Clock)
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天文時計が作成されたのは、1410年。 1415年、ヤン・フスが処刑される前のこと。
カレル大学の教授をつとめた数学者、天文学者、ヤン・シンデル (Jan Šindel) の計算に基づき、時計職人カダンのミクラシュ(Mikuláš z Kadaně) によって作成されたといわれています。http://www.orloj.eu/en/orloj_osobnosti.htm

上の天文時計は、「プラネタリウム」。 天動説に基づき、地球を中心として、太陽、月、天体の運行するのを示しつつ、また、時刻、年月日までを示しながら、一年かけて一周するという、むちゃくちゃ複雑なもの。

しかも、驚くべきことに、日の出から日没までの時間まで測定される仕組みになっている、世界唯一の時計なんですsign03 http://www.praguewelcome.cz/cs/pamatky/pamatky/top-pamatky/5-staromestska-radnice-s-orlojem.shtml (チェコ語)

そして、下の天文時計は、「カレンダリウム」。 黄道12宮と、月々の農作業の絵が描かれ、一年かけて一周するもの。

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ところで、「黄道12宮」 といえば、ミュシャ (チェコ語でムハ、Alfons Mucha, 1860年 - 1939年)の絵が連想されますshine 私の大好きな絵cute 旧市庁舎の天文時計に着想を得たのでしょうか?
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この天文時計は、何度も修理、修復をくりかえし、第二次世界大戦のさなか、火災で破壊されるも、1948年に見事に修復されましたcute

毎時間、朝9時から夜9時まで、ちっちゃな小窓から、キリストの12使徒の仕掛け人形が出てきます。でも、この人だかりwobbly 人形自体も小さいし、時計の真下に行かないと、よく見えません。写真も見事に取り損ねてますsweat01
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なお、この12使徒の人形と廻る仕掛けは、市庁舎見学で見ることができましたflair

美しいだけでなく、複雑な機能をあわせもった、プラハの天文時計。 必見ですshine

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旧市庁舎を、旧市街広場のティーン教会の塔とともに。 旧市庁舎の塔には、エレベーターで上れます。
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ところで、この旧市庁舎前の広場では、30年戦争 「白山(ビーラ・ホラ)の戦い」 (1620年, Battle of White Mountain) のあとの、1621年6月21日、プロテスタントの反乱の首謀者、上級貴族3名、下級貴族7名、市民17名、合計27名が処刑されました。

しかも、そのうち 12人の首は、見せしめとしてカレル橋の塔に吊され、10年もの間そのまま放置されていたとはtyphoon

★30年戦争については、「プラハ城 旧王宮 プラハ窓外放擲事件の部屋 30年戦争 ヴァーツラフの王冠

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さて、今のプラハ旧市街が建設されたのは、1235年。

ヴァーツラフ1世(Václav I, ボヘミア王在位:1230年 - 1253年) は、たびたび氾濫を引き起こすヴルタヴァ川(ドイツ語名、モルダウ川)の護岸工事を行い、地盤を上げるべく 2~3 m 土盛りをし、街の周囲を市壁で囲い、まわりに深い濠を堀って水を張り、都市整備。
その結果、市民は安全平和に暮らすことができ、商取引もさらに活発に行われるようになりました。

経済力をつけた市民は、治安を維持するための自治組織を設け、もめごとを裁定する場として、市庁舎の設置を王に請願。1338年、旧市街市庁舎を設立する許可をもらいます。

旧市庁舎は、市民の家を徐々に買い取り、増改築を繰り返し、今の姿となりました。

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まず、天文時計のすぐ左側。裕福な商人の「ヴォルフィン館」(Wolflinův dům)を購入。重厚なゴシック様式の入口、旧市街とボヘミア王国の紋章のある窓に注目です。

そこに、69.5m もの高さのゴシックの塔を建て、1364年完成。

そして、ヴォルフィン館の左隣、濃い赤茶色の「クシーシュ館」(Dům Kramáře Kříže)。

こちらは、金色の豪華な装飾のついた、ルネッサンス様式の3つの窓に注目。市壁の上に白いライオン、皇帝の冠のある「プラハ旧市街の紋章」と、"PRAGA CAPUT REGNI"(プラハ、王国の首都) と書かれた碑文が掲げられています。

この下の入口が旧市庁舎の入口になっていて、プラハ3日目、旧市庁舎の中を見学しました。 旧市庁舎の地下もたっぷり見学できてオススメ。 これは、別のエントリー記事で。

★公式サイト http://www.staromestskaradnicepraha.cz/en/
★TOP MONUMENTS - OLD TOWN HALL AND THE ASTRONOMICAL CLOCK
http://www.praguewelcome.cz/en/visit/monuments/top-monuments/58-old-town-hall-and-the-astronomical-clock.shtml (チェコ語
★プラハ旧市街広場の建物の名前は、Jiří Stratil さんのブログ blog.iDNES.cz の記事
http://stratil.blog.idnes.cz/c/404184/Jake-nesou-nazvy-domy-Staromestskeho-namesti.html、それから、http://stratil.blog.idnes.cz/c/404391/Vzacnosti-z-pruceli-Staromestske-radnice.html
建物の写真もあって、大変参考になりました。しかも、
★OLD TOWN SQUARE (STAROMĚSTSKÉ NÁMĚSTÍ)
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=42754 の建物番号と同じというわかりやすさで、素晴らしい!
チェコ語は、Google Chrome の日本語翻訳のお世話になりましたwink

田中充子著 「プラハを歩く (岩波新書)」75~76頁、石川達夫著「黄金のプラハ―幻想と現実の錬金術 (平凡社選書)」129頁、参照。
プラハのシンボル! 旧市庁舎の「天文時計」 [チェコ] All About

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ところで、スグラフィットの絵のある 「一分の家」(ミヌタ館, Dům U Minuty, The House at the Minute) は、1896年、プラハ市に買い取られ、旧市庁舎に新たに付け加えられました。

なんとこの家、1889年から1896年にかけ、作家のフランツ·カフカが両親と住んでいた家なんですflair

★THE HOUSE AT THE MINUTE (DŮM U MINUTY)
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=58974

長くなるので、これは次の記事で。

つづきます。「プラハ 一分の家 (ミヌタ館)、カフカ幼少時代の家

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