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プラハ散策 モーツァルトと 「スタヴォフスケー劇場」(エステート劇場)

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プラハ個人旅行 まとめ記事

黒い聖母の家を左折すると、オヴォツヌィー広場 (Ovocný trh オヴォツヌィー・トゥルフ 果物市場) の奥に見えるのが、「スタヴォフスケー劇場」 (Stavovské divadlo) 英語名 「エステート劇場」 (The Estates Theatre)。
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1783年にオープンしたネオ・クラシック様式の劇場。当初は創設者 František Antonín Count Nostitz Rieneck の名前をとって、「ノスティツ伯爵の国民劇場」、略して「ノスティツ劇場」(Nostitz Theatre) と名付けられたが、 1948年から1990年まで、チェコの劇作家の名前をとって「ティル劇場」 (Tyl Theatre) と名付けられたあと、現在の名前となりました。

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ところで、モーツァルト (ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト, Wolfgang Amadeus Mozart (1756年1月27日 - 1791年12月5日) は、この「ノスティツ劇場」(Nostitz Theatre) とのゆかりが深く、彼がプラハに招かれた30才のとき、1787年1月17日、「ノスティツ劇場」でオペラ「フィガロの結婚」(Le nozze di Figaro) K.492 が上演され、自らこれを指揮 (初演は前年の1786年、ウィーンのブルク劇場)

そして、これが大好評 当時のノスティツ劇場から依頼されて作曲したのが、「ドン・ジョバンニ」(Don Giovanni) K.527

モーツァルトは、彼と親交のあったドシュコヴァー (Dušková) 夫妻のプラハの別荘
「ベルトラムカ」(Bertramka) に滞在して作曲に専念しました。
※「ベルトラムカ モーツァルト博物館」 は、2009年11月1日にクローズ http://www.bertramka.com/
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1787年1月19日には、この「ノスティツ劇場」で、交響曲第38番 「プラハ」(Prague) K.504を初演

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同年1787年10月29日に、「ドン・ジョバンニ」(Don Giovanni) K.527 は、この「ノスティツ劇場」で初演され、またもや大好評 当初予定していた初演に間に合わず、何回か延期された末のことでした。

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モーツァルトは1789年に2回、そして、1791年にも、プラハを訪れています。
 
このモーツァルトが亡くなる1791年、9月6日、この「ノスティツ劇場」で初演されたオペラ、「皇帝ティトスの慈悲」(皇帝ティートの慈悲) を自ら指揮。wiki

1762年、6才のとき、 ウィーン「シェーンブルン宮殿」にて、マリア・テレジアの御前で演奏したこともあったモーツァルトは、そのマリア・テレジアの息子にして、ヨーゼフ2世の弟でもある、レオポルド2世((Leopold II., 1747 - 1792, 神聖ローマ皇帝在位:1790 - 1792)の戴冠式を祝したのでした。
★以前書いたエントリー記事、「ウィーン 「シェーンブルン宮殿」を見学する - シェーンブルン宮殿の歴史

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これらのモーツァルトの作品は、プラハの人々に愛され、1791年12月5日、35才でウィーンで亡くなったあと、プラハでは壮大なミサが執り行われました。

★ウィーンで葬儀が行われた「シュテファン大聖堂」と、遺体が安置された「クルツィフィクス礼拝堂」については、以前書いたエントリー記事、「ウィーン「シュテファン大聖堂」 モーツァルト、クルツィフィクス礼拝堂 A Mozart Walk

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なお、この劇場は、映画「アマデウス」のロケで使われたほか、ゲイリー・オールドマンがベートーヴェン役となった映画 「不滅の恋 ベートーヴェン」(英・米、1994年 "Immortal Beloved") 終盤、交響曲第九番の、あの感動的な演奏が行われたロケでも使われました。 

先日、スカパー、イマジカBSで、映画 「不滅の恋/ベートーヴェン」を見ましたが、プラハ旧市街で訪れた場所がいくつも出てくるわ、ベートーヴェンのいた時代の衣装を着た出演者、エキストラが大勢歩いているわで、大興奮 
映画で流れていた、ショルティ指揮、ロンドン交響楽団, Sir Georg Solti, Conductor, The London Symphony Orchestra) の演奏、そして、「ベートーヴェン最愛の人は誰か?」、その謎解きの新解釈もあって、とても面白かったです!!

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★スタヴォフスケー劇場」 (Stavovské divadlo, エステート劇場 The Estates Theatre) については、
http://www.narodni-divadlo.cz/en/estates-theatre
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=42734
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/cs/objects/detail.x?id=42734
★ノスティツ劇場とモーツァルト、モーツァルトとプラハについて、薩摩秀登著「物語チェコの歴史―森と高原と古城の国 (中公新書、2006年)」187頁以下、ヴラスタ チハーコヴァー 著「新版 プラハ幻景―東欧古都物語」(新宿書房、1993年)121頁以下、参照。

★ 「フィガロの結婚」を書いた「モーツァルトハウス・ウィーン」については、以前書いた記事、「「モーツァルトハウス・ウィーン」 A Mozart Walk - Mozarthaus Vienna」 参照。

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今回、ウィーンとプラハを訪れたことにより、モーツァルトの足跡を知り、モーツァルトの曲により興味を持つきっかけになりました

できればタイムスリップして、あの時代のリアル、モーツアルトが指揮をしているコンサートを聴きに行きたい!!!、、、と妄想する私

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