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プラハ路地散歩 フソヴァ通り、カルロヴァ通り クラム・ガラス宮殿、カフカの研修生時代

プラハ 「クレメリア・ミラノ」 でアイスクリーム」の続き。 ★プラハ個人旅行 まとめ記事 ★「プラハ旧市街 散策マップ 02

プラハ旧市街、「フソヴァ通り」 (Husova) と 「カルロヴァ通り」 (Karlova) の角に立つ、妖艶な美女。 インパクト、ありすぎです!
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「クラム・ガラス宮殿」 Clam-Gallasův palác
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入口左右の 「男像柱」(アトラス, atlas or teramon) が印象的。 入口脇にいる人たちと比較すると、彫像、そして門が、結構大きいことがわかると思います。

この後期バロック様式の建築物は、ナポリ総督 Jana Václava Gallase のために建てられた宮殿で、ウィーンの有名な建築家、フィッシャー・フォン・エルラッハ(Johann Bernhard Fischer von Erlach, 1656-1723) のプロジェクトの下、Jan Dominik Canevalle によって、1713年から建築が開始されました。

入口左右の彫刻は、カレル橋の聖ルトガルディス (Sv Luitgarda) の彫像などでも有名な、マティアーシュ・ブラウン (Matyáš Bernard Braun) 作。

かつては、この宮殿に、モーツァルトとその妻コンスタンツェが訪れ、ベートーヴェン本人の演奏会も行われましたnotes

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その後、維持管理の費用を工面するため、クラム・ガラス宮殿は、当時の当局に貸し出されます。

そして、作家フランツ・カフカ(Franz Kafka)は、プラハ大学で法律を専攻した後、1906年、ここで研修生として働きはじめたのでした。

現在、プラハ市所有のプラハ市公文書館の第二会館 (the second site of the Archive of the Capital City of Prague)。 不定期の展覧会、コンサートなどのイベントがあるときのみ入場可。

http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=50665
http://www.ahmp.cz/index.html?mid=36&wstyle=0&page=%27%27
http://www.kafkamuseum.cz Franz Kafka Biography
参照

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さて、カルロヴァ通り (Karlova) をカレル橋方面に歩いていくと、右側に 「クレメンティヌム」(klementinum) http://www.klementinum.com/

いつかは、ガイドツアーやコンサートに行ってみたい場所のひとつです。
http://www.klementinum.com/index.php?linkID=txt5&lang=2

そして左側、乙女の彫像、アール・ヌーヴォーの装飾が施された建物は、「金の爪の家」 (U zlatého hřebíku) 。
乙女は、プラハ建国に関わったリブシェ、といわれますが、後述のように異説あり。
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http://www.preaha.kralovskacesta.cz/cs/prohlidka/objekty/u-zlateho-hrebiku.html

ちょっと先に進んで、振り返って見ると、こんな感じ。

真ん中、角に立っている建物は、「黄金の井戸の家」"The House at the Golden Well" (U Zlaté studny)
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「黄金の井戸の家」の名前は、その昔、この家にあった井戸の底に、黄金の宝物が隠されていた、という伝説に由来します。

これは、ある乙女がキラキラと輝く井戸を見て、何だろう?と身を乗り出したところ、井戸に落ちて溺死してしまったという悲しい伝説。

この伝説に基づいて、先ほど見た 「金の爪の家」の、乙女の彫像が作られたともいわれています。

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「黄金の井戸の家」は、ルドルフ2世の治世の1600年頃、ここにローマ教皇大使、スピネッリが住んだこともある、という歴史的建造物。
かつてはロマネスク様式でしたが、バロック様式に改築され、18世紀のはじめに建物ファサードに美しい漆喰装飾が施されました。
現在は、アウルス・ホテル (Aurus)
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=42582

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さらに、カルロヴァ通り (Karlova) をカレル橋方面に歩いていくと、左側に、金色のヘビの、家の紋章のある、「金色の蛇の家」(Dům U Zlatého hada)
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18世紀初頭、おそらく、プラハでは最初のカフェがあった場所といわれています。
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/cs/objects/detail.x;jsessionid=FF2D2BD9BF48D0E0907F43D85628D443?id=42680

この先に、カレル橋あり。 とても細い道ですが、かつては、プラハ城まで戴冠式の行進が行われた「王の道」(Královská cesta, The Royal Route)、の一部なのです。

つづきます。「プラハ ケプラー博物館、ケプラーによる天文学の発展と、ルドルフ2世

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