マルタ・クビショバ 「ヘイ・ジュード」、プラハ ヴァーツラフ広場 ★動画あり
「プラハ建築散歩 ヴァーツラフ広場 「ホテル・エヴロパ」、「ヴィール館」など」のつづき。★プラハ個人旅行 まとめ記事 ★「プラハ旧市街 散策マップ 03」
私は、プラハ旅行前、NHKBSプレミアムで、「ハイビジョンスペシャル 世紀を刻んだ歌 ヘイ・ジュード -革命のシンボル になった名曲-」の再放送を見て、プラハのヴァーツラフ広場を、この目で見てみなくてはという思いに強くかられました。
1968年8月20日の深夜から21日にかけて、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍がチェコに侵攻(チェコ事件)。
かつては、ソ連軍の戦車に埋め尽くされていたヴァーツラフ広場。 ここで記念撮影。
これに抗議するチェコの群衆、チェコ国営ラジオに鳴り響く銃声・・・
「プラハの春」によって芽生えた自由は、厳しい弾圧を受け、秘密警察 (ŠtB) への密告、盗聴が横行します。
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これに対する抵抗運動として、チェコの歌手、マルタ・クビショバ(Marta Kubišová, 1942年~)は、ビートルズの名曲 「ヘイ・ジュード」を、チェコ語の歌詞に置き換えて歌いました。
それは、「人生は素晴らしいけれど、残酷なもの。 私たちは人生にあやつられるけれども、どうか悲しまないで・・・」 といった歌詞の中に、祖国の自由への思いが込められたもの。
まもなく、彼女は共産党政府の弾圧を受け、回収されたレコードは街頭で割られ、ファンが隠していたレコードも、密告により壊されてしまいます・・・。
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苦難の時代を経て、1989年11月10日、ベルリンの壁が崩壊。
1989年11月17日、プラハで大規模な反政府デモが行われ、警官隊に弾圧されたことに端を発した、「ビロード革命」。 これにより、政権交代、民主化が実現。
ヴァーツラフ広場を埋め尽くすチェコの人々。 その前で、演説を行う、新大統領ヴァーツラフ・ハヴェル。
マルタ・クビショバは、学生たちに頼まれ、カレル大学構内で行われた学生たちの集会で、自由のシンボルとなった 「ヘイ・ジュード」の歌を、20年ぶりに歌うのでした。
Marta Kubišová - Hej Jude
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ポール・マッカートニーによる、「Take a sad song, and make it better」 も、もちろん心に響く歌詞ですが、チェコ語版のズデニェク・リティーシュ (Zdeněk Rytíř) 作詞の、過酷な運命とともに、それに立ち向かう勇気を与えてくれる歌詞。
その日本語訳を見ながら、マルタの力強い歌声を聴くうち、涙が流れて仕方ありませんでした。
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今回の旅行で、深い歴史が刻まれたこのヴァーツラフ広場に立ち、かつてはチェコの群衆に埋め尽くされた広場の大きさを実感することができたのは、とても得難い体験となりました。
★マルタ・クビショバ Marta Kubišová 公式サイト http://www.kubisova.cz/
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