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プラハ 「ベツレヘム礼拝堂」、ヤン・フスの説教 ミュッシャ「スラブ・エピック」

プラハ路地散歩 フソヴァ通り 「ぶら下がる男」」のつづき。★プラハ個人旅行 まとめ記事 ★プラハ旧市街 散策マップ 02は「こちら

フソヴァ通りを抜け、右折すると、「ベツレヘム礼拝堂」(Bethlehem Chapel, Betlémská Kaple)。 写真、奥に見えている二つの大きな切り妻屋根の簡素な建物。
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道の先にある、「ベツレヘム広場」"Bethlehem Square"(Betlémské Náměstí ベトレムスケー・ナーメスチー) の前まで行きました。 広場前には、たくさんの観光客。 カメラのシャッターを押したつもりが失敗していて、正面からの写真は残念ながらありませんsweat01

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そのかわりに、プラハ旅行最終日、「ヴェレトゥルジュニー宮殿・国立美術館」(Veletržní palác - Národní galerie) の特別展で見た、
ミュッシャ (ムハ)の 「スラブ叙事詩 (スラブ・エピック)」 Alfons Mucha: Slovanská epopej 、
「ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス」(Master Jan Hus Preaching at Bethlehem Chael)
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この、610cm×810cm のとても大きな絵は、1916年、ミュッシャによって描かれたもの。 絵のシーンは、1412年、フスが説教を行った、ゴシック最盛期の礼拝堂の様子を再現。

右側、赤い天蓋の下、フスの説教を熱心に聞き入っている女性は、カレル4世の息子であるヴァーツラフ4世(Wenceslaus IV, Václav IV.) の王妃ソフィアです。(特別展のパンフレット参照)

★ミュッシャ (ムハ)の 「スラブ叙事詩 (スラブ・エピック)」 Alfons Mucha: Slovanská epopej @ヴェレトゥルジュニー宮殿・国立美術館 」(Veletržní palác - Národní galerie)
http://www.ngprague.cz/en/exposition-detail/alfons-mucha-the-slav-epic/
http://www.pricejb.pwp.blueyonder.co.uk/slav-epic/introduction.htm
・・・"Gallery" に一つ一つの絵の紹介と解説あり

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「ベツレヘム礼拝堂」(Bethlehem Chapel, Betlémská Kaple) は、前掲、カレル4世の宮廷を辞しボヘミアで教会批判を展開していたクロムニェジーシュのヤン・ミリーチ (Jan Milíč of Kroměříž, 1374年死去) の賛同者により 1394年に建立、チェコ語で説教が行われていました。

そして、ヤン・フス(Jan Hus, 1370年頃 - 1415年) は、ボヘミアにおける宗教改革で指導的立場に立った人物。wiki

1402年、ベツレヘム礼拝堂の説教師に任命されたフスは、1402年から1413年にかけて、収容人数 3,000人といわれる、この礼拝堂で、カトリック教会の堕落を糾弾。 教会改革を訴えたほか、ローマ教皇のよる「贖宥状」(しょくゆうじょう、免罪符)の販売を批判。

「コンスタンツ公会議」において矯正不可能な異端者と宣告され、1415年7月6日、火あぶりの刑に処されたのでした。

★ヤン・フスについては、「プラハ 旧市街広場 03 「ヤン・フス像」」のエントリー記事に詳しく書きました。

薩摩秀登著「プラハの異端者たち―中世チェコのフス派にみる宗教改革 (叢書 歴史学への招待)」(現代書館、1998年)86頁、108頁参照。

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ところで、1618年の「第二次プラハ窓外投擲事件」に端を発した、「30年戦争」(1618年から1648年)。 その「白山(ビーラ・ホラ)の戦い」 (1620年) においてハプスブルク側が勝利すると、ベツレヘム礼拝堂は、ローマ・カトリック教会によって没収。

1661年には、イエズス会がこれを購入。フス派の碑文や絵は剥ぎ取られ、 カトリック教会へと変わります。

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その後、女帝マリアテレジアの息子のヨーゼフ2世(Joseph II)は信教の自由を認め、プロテスタントに対する寛容政策を取り、1781年、宗教寛容令(信教容認令)を公布。

ところが、1786年、ベツレヘム礼拝堂の建物は取り壊されてしまいます(ただし、それ以前に屋根が崩落していたという説あり)。

1835年から36年には、跡地にアパートが建てられましたが、1916年、ベツレヘム礼拝堂の再建案が浮上。

しかし、時代はそれを許さず。 1950年になって、新たな再建案が決定。 1954年7月5日、中世オリジナルの状態に復元された礼拝堂が公開されました。ただし、忠実な復元ではないという説あり(※注))

その後、「説教師の家」とよばれる展示ホールも設立され、現在はチェコ工科大学(Czech Technical University)の所有。

★Bethlehem Chapel (Betlémská kaple)
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=42713
ヴラスタ チハーコヴァー 著「新版 プラハ幻景―東欧古都物語」(新宿書房、1993年)156頁、※注は、本書368頁の注23、参照。
田中充子著 「プラハを歩く (岩波新書)」83~86頁、参照。

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ゼロからの再建とはいえ、かつてはヤン・フスが説教を行った礼拝堂。

ここに、かつて多くのチェコの人々が、フスの教会改革の声に耳を傾け、やがては、フス戦争へ。
ここは、宗教改革の先駆けとなる、チェコ語による民衆への説教が行われたという、歴史的にも重要な場所なのです。

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