« プラハ ケプラー博物館、ケプラーによる天文学の発展と、ルドルフ2世 | トップページ | プラハ カレル橋 聖ヤン・ネポムツキーの伝説 »

プラハ 旧市街橋塔 カレル4世像

プラハ ケプラー博物館、ケプラーによる天文学の発展と、ルドルフ2世」のつづき。 ★プラハ個人旅行 まとめ記事

カレル橋の 「旧市街橋塔」。右側には、神聖ローマ皇帝 「カレル4世像」。写真真ん中、遠くに見えているのは、「プラハ城」。
01_20130814_to_17_prague_127

この「カレル4世像」は、1848年、カレル4世が1348年に設立したプラハ・カレル大学 (Charles University in Prague) 創立500周年を記念して建てられたもの。Ernst Hähnel による作品です。

カレル4世は、カレル橋と橋塔、聖ヴィート大聖堂を建設し、中世チェコの最盛期を築きました。
※Karel IV. ドイツ名:カール4世 Karl IV、神聖ローマ皇帝在位:1355 - 1378年、ボヘミア国王在位:1346 - 1378年。

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

カレル橋の 「旧市街橋塔」 Staroměstská mostecká věž, Old Town Bridge Tower
06_20130814_to_17_prague_133

プラハ最古の 「カレル橋」(Karlův most, Charles Bridge) は、カレル4世の命を受けた建築家、彫刻家のペトル・パルレーシュ(Petr Parléř, 英語名、ピーター・パーラー, Peter Parler, 1330または1333年から1399年)によって、1357年に着工
1402年、カレル4世の息子のヴァーツラフ4世 (Václav IV. ドイツ名:ヴェンツェル、神聖ローマ皇帝在位:1376 - 1400年、ボヘミア国王在位:1378 - 1419年) の治世に完成しました。

そして、 この「旧市街橋塔」は、ペトル・パルレーシュによって、1380年に完成

この47mの橋塔の上には、有料で上れるようになっています。 写真にも、人の姿が見えていますflair http://www.praguewelcome.cz/en/visit/monuments/top-monuments/57-old-town-bridge-tower-.shtml

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

このゴシック様式の塔は、元々、旧市街を守る要塞として建設され、上の写真右、橋側にある塔の西側の壁は、30年戦争 (1618 年から1648年) の終わりに、スウェーデンの砲撃によって被害を受けました。

上の写真左、塔の東側の壁面には、左に神聖ローマ帝国皇帝カレル4世、右にカレル4世の息子のヴァーツラフ4世、その中心には、聖ヴィートの像。
※ヴァーツラフ4世は、聖ヴィート大聖堂を創設したヴァーツラフ1世(Václav I, 907 - 935)、のちにボヘミアの守護聖人となった、聖ヴァーツラフとは別人。 本文は、チェコの http://www.praguewelcome.cz/en/visit/monuments/top-monuments/ 情報を参照。日本のガイドブックの説明とは異なっています。

その上には、聖ジギスムント (St. Sigismund)、そして、ボヘミアの守護聖人、聖アダルベルト (St. Adalbert of Prague, Sv Vojtěch) の像。

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

なお、ヴァーツラフ1世は、ドイツのザクセン王朝のハインリヒから、ザクセンの聖人として崇拝されていた聖ヴィートの遺骨(「聖ヴィートの腕」)を入手。
薩摩秀登著「プラハの異端者たち―中世チェコのフス派にみる宗教改革 (叢書 歴史学への招待)」(現代書館、1998年)21頁参照。

そして、カレル4世は、6世紀のブルゴーニュ王、聖ジギスムント (St. Sigismund) の頭蓋骨など、多くの聖遺物を手に入れたといわれています。
カール シュヴァルツェンブルク公ほか(著)、稲野強(監訳)、「プラハ城―歴史と遺産」(恒文社、1995年)114頁参照。

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ところで、30年戦争 「白山(ビーラ・ホラ)の戦い」 (1620年, Battle of White Mountain) のあとの、1621年6月21日、プロテスタントの反乱の首謀者、上級貴族3名、下級貴族7名、市民17名、合計27名が処刑されましが、そのうち 12人の首が、見せしめとしてカレル橋の塔に吊され、10年もの間、そのまま放置されていました・・・。

「さらし首」は、1631年、プロテスタントのザクセン軍が一時プラハを支配したとき、ようやく下ろされティーン教会に埋葬されたのでした。

当時の図版は、「ヨハネス・ケプラー―天文学の新たなる地平へ (オックスフォード科学の肖像)」(ジェームズ・R. ヴォールケル (著)、林 大 (翻訳)、大月書店, 2010)149頁に掲載。

まさか、この橋塔の上、10年間、さらし首があったとは。。
想像すると、あまりに怖すぎ、恐ろしすぎです・・・typhoon

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ゴシック様式、交差ヴォールトと天井の壁画
07_20130814_to_17_prague_135

★Old Town Bridge Tower
http://www.praguewelcome.cz/en/visit/monuments/top-monuments/57-old-town-bridge-tower-.shtmlチェコ語
http://www.praguecityline.cz/prazske-pamatky/staromestska-mostecka-vez-2

.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ところで、橋塔の手前には、建物の中を通る道路があって、路面電車も走っているのが、なんともユニーク!
03_20130814_to_17_prague_130

04_20130814_to_17_prague_184

橋塔側から、今まで歩いてきた 「カルロヴァ通り」 (Karlově ulici) を見る。 正面はクレメンティヌムの一部となっている、聖サルヴァトール教会 (Kostel Nejsvětějšího Salvátora)。左側は、聖フランティスク教会。
05_20130814_to_17_prague_180

http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=43666チェコ語

観光客がいっぱいの 「カレル橋」へ。

つづきます。「プラハ カレル橋 聖ヤン・ネポムツキーの伝説

|

« プラハ ケプラー博物館、ケプラーによる天文学の発展と、ルドルフ2世 | トップページ | プラハ カレル橋 聖ヤン・ネポムツキーの伝説 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« プラハ ケプラー博物館、ケプラーによる天文学の発展と、ルドルフ2世 | トップページ | プラハ カレル橋 聖ヤン・ネポムツキーの伝説 »