プラハ城 旧王宮 プラハ窓外放擲事件の部屋 30年戦争 ヴァーツラフの王冠
「プラハ城 旧王宮 ヴラジスラフ・ホール」のつづき。 ★プラハ個人旅行 まとめ記事
プラハ城 旧王宮、ヴラジスラフ・ホール(Vladislav Hall)の南西側に張り出した 「ルードヴィヒ翼」(Ludwig Wing)には、「プラハ窓外放擲事件」の現場となった、行政局(Bohemian Chancellery)の部屋があります。
「(第二次)プラハ窓外放擲事件 The second Prague Defenestration」が発生したのは、1618年5月23日。
ボヘミアのカトリック推進政策により、北ボヘミアでプロテスタントの礼拝堂が閉鎖され、さらには、ウィーンの神聖ローマ皇帝マティアスによって、プロテスタントの諸身分の議会が中止されたことに反発したボヘミアの貴族が、行政局の部屋に押し入り、二人の高官と一人の書記官を、二階の窓から投げ落としたという事件です。
三人とも軽傷ですみ、二人の高官は、近くのロブコヴィッツ宮殿に逃げ込み、書記官は逃亡。
この事件が、「30年戦争」(1618 - 1648)のきっかけとなりました。
ヴラジスラフ・ホールのバルコニーから、先ほど見学した、プラハ窓外放擲事件のあったルードヴィヒ翼(Ludwig Wing)を見る。
★https://www.hrad.cz/en/prague-castle/guidepost-for-visitors/old-royal-palace.shtml
★旧王宮マップ http://www.planetware.com/prague/prague-castle-cz-pr-pc.htm
★第一次プラハ窓外放擲事件については、「プラハ旧市街 散策マップ#1 ホテル・パジージュ (Hotel Paříž Praha)、火薬塔」。
・・・ボヘミアにおいては、窓から要人を投げ落とすという行為が、支配者への反抗を示すものとなる。
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1617年6月、ルドルフ2世の弟マティアスから、ボヘミア王位を承継した従弟(いとこ)、フェルディナント2世(Ferdinand II, 、神聖ローマ皇帝在位:1619 - 1637)は、イエズス会の教育を受けた、熱烈なカトリック教徒。
皇帝の代理人を追い出した後に結成された「ボヘミア連合」は、皇帝マティアスが1619年3月20日に亡くなると、1619年8月19日、フェルディナントの廃位を宣言。
その当時、ドイツ、ハイデルベルク城を居城としていた、プロテスタントのカルヴァン派、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世(Friedrich V.,1596 - 1632)は、ボヘミア王位を受任。
1619年11月3日、聖ヴィート教会で、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世は、その妻、イングランド王ジェイムス1世の娘 エリザベス·スチュアートとともに、戴冠式をあげました。
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その結果、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世を盟主とする、プロテスタント同盟 (Protestant Union, 1608) VS カトリック連盟(Catholic League, 1609)との間で 「30年戦争 The Thirty Years' War」(1618-1648)が勃発。
1620年11月8日、プラハ近郊にある 「白山(ビーラー・ホラ)の戦い」 (Battle of White Mountain) で、プロテスタント軍は、あっけなく敗北してしまいます。
フェルディナント2世が王位に就き、1621年6月21日、プロテスタントの反乱の首謀者、上級貴族3名、下級貴族7名、市民17名、合計27名が、プラハの旧市庁舎前の広場で処刑されたのでした。
★薩摩秀登著「プラハの異端者たち―中世チェコのフス派にみる宗教改革 (叢書 歴史学への招待)」(現代書館、1998年)256頁~268頁。
★ジェームズ・R. ヴォールケル 著、林 大 翻訳「ヨハネス・ケプラー―天文学の新たなる地平へ (オックスフォード科学の肖像)(大月書店 2010年) 」129頁~149頁参照。
★プファルツ選帝侯フリードリヒ5世の居城だった、ドイツのハイデルベルク城 (Schloss Heidelberg) については、以前書いたエントリー記事、「ハイデルベルク城を見学する 01城の歴史」参照。
プラハ城 旧王宮 プラハ窓外放擲事件の部屋にあった説明文を参照。
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ルードヴィヒ翼(Ludwig Wing) 他の執務室も見学。
昔の図版にあるような窓。
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ヴラジスラフ・ホールのバルコニーからの絶景 ※Windows Live フォト・ギャラリーで作成したパノラマ写真
ヴラジスラフ・ホールの突き当たりにある扉の向こうが、ペトル・パルレーシュによって建てられた、「諸聖人の礼拝堂」 (All Saints' Church)。この教会は、土曜日4時の礼拝、または、コンサートのときのみ公開。
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ここで、中世から、ボヘミア王国の王と貴族の間の交渉が行われたほか、裁判が行われ、重要な決定が下されました。
現在見ることができるのは、1559年から1563年にかけて Bonifác Wolmut により改修されたもの。
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「ヴァーツラフの王冠」、「ボヘミアの笏」、「ボヘミアの宝珠」 のレプリカ。 とっても豪華
以上、見学コースにあった議事の間(The Diet Hall)と王冠等の説明を参考にしました。
"Crown of Saint Wenceslas" 1344-1345, 1374-1378 金、真珠、ルーベライト、トルマリン、スピネル、サファイア、アクアマリン、ルビー、エメラルド、カメオ。"Bohemian Sceptre"(1532-1534)。"Bohemian Orb"(1532-1534)
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