プラハ カレル橋 聖ヤン・ネポムツキーの伝説
「プラハ 旧市街橋塔 カレル4世像」のつづき。 ★プラハ個人旅行 まとめ記事
「カレル橋」(Karlův most, Charles Bridge)
「カレル橋」は、プラハ最古の橋。 カレル4世(Karel IV. ドイツ名:カール4世 Karl IV、神聖ローマ皇帝在位:1355 - 1378年、ボヘミア国王在位:1346 - 1378年)の命を受けた建築家、彫刻家のペトル・パルレーシュ(Petr Parléř, 英語名、ピーター・パーラー, Peter Parler, 1330または1333年から1399年)によって、1357年に着工。
1402年、カレル4世の息子のヴァーツラフ4世 (Václav IV. ドイツ名:ヴェンツェル、神聖ローマ皇帝在位:1376 - 1400年、ボヘミア国王在位:1378 - 1419年) の治世のときに完成しました。
前述の 「旧市街橋塔」から、マラー・ストラナ橋塔まで、全長 約 515m、幅 9.5m の石橋。
カレル橋の上から見た、「プラハ城」 Pražský hrad, Prague Castle
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橋の上では、何か国もの観光客の言葉が飛び交い、土産物、似顔絵描きのコーナーが並んでいました。 楽器を演奏している人々もいて、とても賑やか
ヴルタヴァ川 (Vltava ドイツ語名、モルダウ川 Moldau) 下流。 先に見えるは、「マーネス橋」 (Mánesův most)。
チェコの偉大な作曲家、スメタナ(Bedřich Smetana, 1824 - 1884)の交響詩「わが祖国」の中でも、特に有名な 「モルダウ」(元題、チェコ語の 「ヴルタヴァ」だけれど、日本ではドイツ語 「モルダウ」の名前で知られている)。この曲の主題となっている、スメタナの故郷の大河です。 曲は聴いたことがあるけれど、実際に見ることができて凄く嬉しい
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ところで、上の写真で、人々が触っているのは、「聖ヤン・ネポムツキー」 (Jan Nepomucký, St. John of Nepomuk, 1345 – 1393) が川の中に投げ込まれ、殉教したとされる場所。
伝説によれば、左手で、願い事をしながら十字架と5つの星に触れると、願いが叶う といわれています。(下の写真の左上)
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欄干の左右には、30体の像(wiki)。1683年から1928にかけて作られ、そのほとんどは、1706年から1714年、ハプスブルク家のヨーゼフ1世、その弟で、マリア・テレジアの父でもあるカール6世がボヘミア王のときの作品。現在は、すべてレプリカで、オリジナルは、ラピダリウム美術館(Lapidarium museum in Holešovice)に収蔵されています。
中でも有名なのが、「聖ヤン・ネポムツキー像」 (写真右)。
足下のレリーフに触ると、幸せが訪れる、といわれているので、ピッカピカに輝いていました(写真左下)。
置かれた手は、私の手。 何か御利益があるといいなぁ~ と思っていました。
その翌日、プラハ城の中にあるロブコヴィッツ宮殿で、毎日お昼の13:00から始まるクラシック音楽のコンサートを知り、ちょうど時間も良いタイミングで、スメタナ 「モルダウ」など、素晴らしい演奏のコンサートを聴けたのは、この御利益のおかげかも !?
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ところで、ヤン・ネポムツキー (ネポムクの聖ヨハネ Jan Nepomucký, John of Nepomuk, c.1345 – 1393) は、プラハ大司教の司教総代理。
伝説では、ヤン・ネポムツキーが、王妃の不義に関わる、告解の秘密を守り通したがために、国王ヴァーツラフ4世から拷問を受け、カレル橋から川に投げ込まれ、その際、5つの星が浮かび上がったといわれています。
そして、1719年、ヤン・ネポムツキーの墓を調べたところ、赤く新鮮な 「聖舌」が出てきたとして、1729年には、ローマ教皇ベネディクトゥス13世によって列聖されました。
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しかしながら、ボヘミア国王ヴァーツラフ4世は、プラハ大司教イェンシュテインと対立。 ヴァーツラフ4世が、大司教の企みを聞きだそうと、ヤン・ネポムスキーを含む大司教の役人を拷問しようとしたところ、 ヤン・ネポムスキーが意識を失い、そのまま死んでしまったのが、事件の真相。
ボヘミアにおけるローマ・カトリックによる反宗教改革の一環として、同じ名前を持つヤン・フスによる教会改革の記憶を消し去るために、ヤン・ネポムスキーを聖人みなして、崇拝の対象としたのでは?、ともいわれています。
1961年、ローマ教皇庁は、ヤン・ネポムスキーが告解の秘密を守った、という物語は事実に反することを正式に認め、1973年、かつて 「聖舌」とされたものは、脳の残りと断定されました。
カール シュヴァルツェンブルク公ほか(著)、稲野強(監訳)、「プラハ城―歴史と遺産」(恒文社、1995年) 236~241頁参照。
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ところで、聖ヤン・ネポムツキー像は、橋の上の最古の彫刻(1683年)。 ちょうど、神聖ローマ皇帝レオポルト1世(Leopold I., 神聖ローマ皇帝在位:1658 - 1705, ボヘミア王在位:1656 –1705)の治世の頃。
ウィーンの彫刻家マティアス・ラウフミューラー (Matthias Rauchmüller) の石膏模型に基づき、彫刻家ヤン・ブロコフ(Jan Brokoff)が木製模型を制作。それを基に、ブロンズ像が制作されました。
ブロコフは、「壁の中の聖マルティン教会」に記念のレリーフがありましたね。
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写真左は、棕櫚の枝を持った聖ヤン・ネポムツキーの像。 写真右は、カレル4世(Karel IV. ドイツ名:カール4世 Karl IV、神聖ローマ皇帝在位:1355 - 1378年、ボヘミア国王在位:1346 - 1378年)の時代からすでにあった、キリストの 「磔刑、聖十字架」(Kalvárie, sv. Kříž)。
カレル橋が完成した当時、橋の欄干には、この十字架しかなく、十字架の両側にある像は、1861年、Emanuel Max 作。
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数々の洪水にみまわれてきたカレル橋と彫像。 旅行前、2013年5月から6月にかけての欧州中部の洪水で、大変な被害が出ており、とても心配していました。★http://www.bbc.com/news/world-europe-22835154
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ヴルタヴァ川での、小さなパドルボート(ペダルボート Paddle Boats)などでの船遊びも楽しそう !!! 憧れるなぁ~
そういえば、ストラホフ修道院のビアホールで相席していた、スペインから来たお兄さんも、ヴルタヴァ川のボートが良かったなぁ~ なんて、楽しそうにお話してくれました!!
★Paddle Boats on the Vltava River Novotného lávka, http://www.lavka.cz 写真 - Fotogalerie zahrady カレル橋の旧市街橋塔の南、すぐそば (Google Map "Novotného lávka 201/1, Praha, チェコ共和国" で検索可能)
★体験者 Stef さんの website:http://foodandphotosrtw.com/2014/05/01/be-active-in-prague/
・・・のんびりできるし、とても楽しそう 当時は、200 CZK/1hour
★Klub Lávka & Paddle Boats の記事 ・・・時間がなかったら、この Walking tour も良いかも
ヴルタヴァ川、上流側。 チェコ軍団橋(Most Legií, The Bridge of the Legions)と、射撃島(Střelecký ostrov, Střelecký Island)をバックに記念撮影
★カレル橋
http://www.praguewelcome.cz/en/visit/monuments/top-monuments/55-charles-bridge.shtml(チェコ語)
★http://cs.wikipedia.org/wiki/Karl%C5%AFv_most
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マラー・ストラナ橋塔(Malostranské mostecké věže, Malá Strana Bridge Towers or Lesser Town Bridge Towers)
マラー・ストラナ橋塔は、マラー・ストラナ(小地区)Malá Strana, Lesser Town につながる橋。
低い塔は、カレル橋が架けられる以前、1342年の洪水で流されたユディット橋 (Judith Bridge) の一部となっており、かつては牢獄として使われていました。 その塔が資料として登場するのは、1249年以前のこと。従来のロマネスク様式から、現在のルネサンス様式となったのは、1591年。
そして、高い塔が建てられたのは、1464年。 このゴシック様式の建築は、ペトル・パルレーシュ(Petr Parléř, 英語名、ピーター・パーラー, Peter Parler, 1330または1333年から1399年)の「旧市街橋塔」のスタイルを取り入れたもの。
この二つの塔をつなぐアーチ型の石の門は、15世紀初頭に建てられました。
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これらの橋も、30年戦争 (1618 年から1648年) の終盤、プラハ城を占拠していたスウェーデンの砲撃により、大きな被害を受けました。
プラハ市民は、カレル橋にてスウェーデン軍を迎え撃ち、ついに撃退
このように、激動の歴史を経てきたカレル橋。 歴史を知ると、ますます興味が深まります
★マラー・ストラナ橋塔(Malostranské mostecké věže, Malá Strana Bridge Towers)
http://www.praguewelcome.cz/en/visit/monuments/top-monuments/56-mala-strana-bridge-towers-.shtml
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だいぶ歩いて疲れたので、ここからホテルに戻りました。
ホテルに戻って、一休みしてから、夜の散歩へ。 ライトアップされたプラハの街も、とても美しくて感激でした
そういえば、プラハに着いて、まだ一日、終わっていなかったりする・・・
「プラハ愛」が高じて、「プラハおたく」 になってる私 (笑)。 ついつい長くなってしまいましたが、どうかお許し下さいませ。
つづきます。「プラハ 夜の散歩 市民会館、旧市街、旧市庁舎のモザイク画」
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コメント
プラハに住んで2年になります。旅行記大作ですね!! 素晴らしいです。
プラハの日本人ガイドさんは、かなり知識が適当なので、それと比べるとびっくりしてしまいました。
一つ私も苦労して調べた事を付け加えさせてください。カレル橋のオリジナル像は一部、ヴィシュフラッドにあります。近〃もしかしたら移動するかもしれませんが、まだありましたよ。かなり無造作に置いてあります(笑)
投稿: Tommie | 2015.02.21 23:32
プラハは、本当に歴史ある素晴らしい街並みで、旅行で訪れて以来、すっかりプラハにハマってしまいました。ですので、プラハに住んでいらっしゃるTommieさんが羨ましいです!!
旅行後も、プラハに関わる歴史や人物の本を読んだり、現地の英語版・チェコ語版のウェブサイトを見たりして、ずいぶん学習したものでした

次回は、ヴィシュフラッドにも是非行ってみたいものです。無造作にカレル橋のオリジナル像が置いてあるっていうところが、またいい味を出していそうですね!穴場感ありみたいな(笑)。貴重な情報を、どうもありがとうございます。
これまで、地方に住んでいた義父の病気や葬儀、NY旅行、そして、ギターの練習などなどで、ブログをお休みしていましたが、また近々またブログを再開しようと思います。
Tommieさんも、ブログなどでプラハオススメの場所など、公開して下さると嬉しいです!!
投稿: きのこ | 2015.02.24 18:47