プラハの抜け道 パッサージュを散歩する 地図あり
「プラハ 夜の散歩 市民会館、旧市街、旧市庁舎のモザイク画」のつづき。★プラハ個人旅行 まとめ記事
★プラハ旧市街 散策マップ04 抜け道編
★「散策マップ01」 ★「散策マップ02」 ★「プラハ建築散歩 散策マップ 03」
プラハの抜け道 (パッサージュ Pasáž, passage)。迷路のような路地散策を満喫しました
「小広場」(マレ・ナーメスチー、Malé náměstí, Small Square) から、リヒトゥルヴ館 (Richtrův dům)、ミハルスカー通り (Michalská) への抜け道。Art Passage
★Richtrův dům na Malém náměstí
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/cs/objects/detail.x?id=59223
素敵な中庭 この近くに、Prague Special Tours の Ticket Offce
抜け道を出ると、Restaurace V Cípu のあるミハルスカー通り (Michalská) 。
さらに、メラントリホヴァ通り (Melantrichova) への抜け道 (パッサージュ Pasáž)
抜け道を出た中庭にあるレストランでは、クラシックの生演奏 演奏も雰囲気も素敵で、思わず足を止めてしました
抜け道を出て、メラントリホヴァ通り (Melantrichova) へ
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土産物店などを見ながら、ハヴェルスカー通り (Havelská) 、ハヴェル広場(ガル広場, Havel (Gall) Quarter)へ。
写真の教会の反対側は、ハヴェル市場。
聖ハヴェル教会(聖ガル教会、ザンクト・ガレン教会) (Sv. Havel - Kostel, Church of St. Gall)
プラハの聖ハヴェル教会(聖ガル教会)は、1232年、ボヘミア王ヴァーツラフ1世 (Václav I., Wenceslas I, 1230–1253) によって創設された、プラハにおける4つの主たる教会(main church)の一つです。現在は、ローマ・カトリック教会に属する教区教会。
カレル4世(Karel IV. ドイツ名:カール4世 Karl IV、神聖ローマ皇帝在位:1355 - 1378年、ボヘミア国王在位:1346 - 1378年)は、スイスのザンクト・ガレン教会にあった聖ガル(St Gall) の頭蓋骨といわれる聖遺物を教会に寄進。
この頃(14世紀中頃)、教会は、ロマネスク様式から、3つの側廊のある盛期ゴシック様式のバシリカへと改築され、のちに、教会がバロック様式へと改装された後でも、その姿をとどめています。
そして、のちに列聖されたヤン・ネポムツキー (Jan Nepomucký, St. John of Nepomuk, 1345 – 1393) は、1380年から1390年、牧師として従事していました
★Church of St. Gall (Sv. Havel - Kostel)
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=43270(チェコ語)
http://www.praguecityline.com/prague-monuments/church-of-st-gall
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先ほどのメラントリホヴァ通り (Melantrichova) にある抜け道へ。写真左は、抜け道への入口
元来た抜け道を通って、再び、「小広場」(マレ・ナーメスチー、Malé náměstí, Small Square) (下の写真の左上)。
カルロヴァ通り(Karlova)に入ったすぐの、中庭への抜け道(下の写真の左下)。
その中から、 カルロヴァ通り(Karlova)、「小広場」(マレ・ナーメスチー、Malé náměstí)方面を見てみると、さっき通ったばかりの通りが、角度が違うせいなのか、ちょっと違って見えました。(下の写真、右側)
プラハの抜け道 パッサージュの散策、とても楽しかったです
カルロヴァ通り(Karlova)を、「カレル橋」(Karlův most, Charles Bridge) の方向へ。
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