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プラハ城 聖ヴィート大聖堂 ミュシャのステンドグラス、聖ヤン・ネポムツキーの墓

プラハ城 聖ヴィート大聖堂」のつづき。★プラハ個人旅行 まとめ記事

聖ヴィート大聖堂 St. Vitus Cathedral 聖堂内部
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聖ヴィード大聖堂の正式名称は、「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイチェフ大聖堂」 St. Vitus, Václav and Vojtěch - Cathedral この3人の聖人を奉っています。

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アルフォンス・ミュシャ (チェコ語でムハ、Alfons Mucha, 1860年 - 1939年)のステンドグラス。
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左側 3番目にあるミュッシャのステンドグラスは、1931年作。 色彩もとても美しく、とても魅了されました。

聖ヴィート大聖堂自体は無料で入場できますが、ステンドグラスを近くで見るには、有料のチケットが必要です。

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ところで、キリルとメトディオスは、スラブ人にはじめてキリスト教をひろめた、ギリシャ、テッサロニキ出身の兄弟です。

元々、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が、モラヴィア王国から、「スラヴ語でキリスト教の信仰を広めてくれる人物を派遣してほしい」、という依頼受けて、モラヴィアに二人を派遣したのでした。

弟キリルは、スラヴ語を書き表す文字を考案し、キリスト教関係の書物を古代スラヴ語で翻訳。 ステンドグラスの絵で、キリルが本を携えているのは、それにちなんだ画なのです。

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プシェミスル王朝のポジヴォイ1世 (Bořivoj I, Duke of Bohemia, c. 852 – c. 889) は、歴史上初めて記録に登場したボヘミアの君主で、プシェミスル王朝(Přemyslid dynasty)の創始者です。

ポジヴォイ1世は、妻リュドミラ(Ludmila)とともに、前掲の兄メトディオスから、キリスト教の洗礼を受けました。
そして、880年頃、プラハ城を創設 crown

中世初期のプラハ城は、堀に囲まれた砦。 その中に、プラハ城における最古のキリスト教の教会、「聖母マリア教会」(the Church of Virgin Mary, c. 880 - c.890)が建てられました。※「聖母マリア教会」は、ボヘミアでは2番目に古い教会で、ボヘミア最古のキリスト教の教会は、レヴィ・フラデツの「聖クレメント教会」 Levý Hradec にある Church of Saint Clement

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そして、929年、ポジヴォイ1世とリュドミラの孫の、「ヴァーツラフ1世」(Václav I, 907 - 935)は、ドイツのザクセン王朝ハインリヒ1世から、(ザクセンの聖人として崇拝されていた)「聖ヴィートの聖遺物 - 聖ヴィートの腕」、入手。paper

ヴァーツラフ1世は、この聖遺物を収めるために、「ロトンダ」(rotunda, 円形教会堂)を建て、それが、聖ヴィート大聖堂の前身となりました。
そして、ヴァーツラフ1世は、自らも、そこに埋葬され、後に、聖ヴァーツラフとしてチェコの守護聖人となりました。

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中央上から、ギリシャ、テッサロニキ出身の兄弟、聖キリルと聖メトディオス。右の兄、メトディオスから洗礼を受ける、プシェミスル王朝のポジヴォイ1世。
その下、ポジヴォイ1世の妻、リュドミラと、後に聖ヴァーツラフとなる、孫の「ヴァーツラフ1世」(Václav I, 907 - 935)が描かれています。※画像クリック、拡大してご覧下さい。
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973年、プラハにキリスト教の司教座が置かれ、1060年、従前のロマネスク様式のロトンダは、3つの身廊と2つの尖塔を有する、ロマネスク様式のバシリカ(教会堂)へと改築。

1344年、カレル4世(Karel IV. ドイツ名:カール4世 Karl IV、神聖ローマ皇帝在位:1355 - 1378年、カレル1世としてボヘミア国王在位:1346 - 1378年)の尽力により、ドイツのマインツ大司教座の下に置かれていたプラハの教会を、独立した「大司教区」にまで昇格。up
これを機に、聖ヴィート大聖堂は、現在のゴシック様式の大聖堂へと再建されることになりました。cute

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カレル4世の命を受け、当初は、フランス人建築家、マティアス (Matthias of Arras) がアヴィニオンから招聘され、新聖堂を設計。

そのマティアスが早逝した後、 弱冠23才のドイツ出身、「ペトル・パルレーシュ」(Petr Parléř, 英語名、ピーター・パーラー, Peter Parler, 1330または1333年から1399年)が、ドイツ、シュヴァーヴェン地方のグミュントから招聘されて、網状リブ・ヴォールトの天井、聖ヴァーツラフの礼拝堂、南塔、黄金門などを設計・監督。

天井の交差リブ・ヴォールトも美しいshine 右は、西正門の薔薇窓。
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薔薇窓
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途中、フス戦争などで建築は中断し、ネオ・ゴシック様式の正面ファサードが完成したのは、建設が開始された1344年から、なんと、600年以上を経た、1929年9月28日のことでした・・・。

https://www.hrad.cz/en/prague-castle/guidepost-for-visitors/st-vitus-cathedral.shtml
http://www.hrad.cz/en/prague-castle/history/history-of-prague-castle.shtml
http://www.kulturanahrade.cz/en/st-vitus-treasure/exhibitions/the-treasury-of-st-vitus-cathedral-250.shtml
★薩摩秀登著「物語チェコの歴史―森と高原と古城の国 (中公新書、2006年)」3頁~23頁参照。

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本当はこんな感じ。上の写真は、かなりズームアップで撮影。 右は、聖具室に出るための螺旋階段。
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中央前方にある「王室霊廟」
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告解室。 王室御用達だからか、彫刻の装飾が凝りまくっている・・・。
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光溢れる側廊から、厳かな雰囲気の後陣へ
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「旧大司教の礼拝堂」 (Stará arcibiskupská kaple, J. Mocker, J. Mráz, oltář sv. Vojtěcha)
http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych/stara
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「王室礼拝堂」(Královská oratoř, The royal oratory (chapel))。 この細かなディテールまでが美しすぎるcute ※クリックして拡大、推奨!
http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych/kralovska-orator
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多枝の木材を使い、漆喰によって豪華に装飾された王室礼拝堂は、15世紀末に、ハンス・シュピース Hanuš Spiess と ベネティクト・リート Benedikt Ried によって 建造されました。

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パイプオルガンと、「聖ヤン・ネポムツキーの墓」
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「聖ヤン・ネポムツキーの墓」。
ウィーンの有名な建築家、フィッシャー・フォン・エルラッハ(Johann Bernhard Fischer von Erlach, 1656-1723) の設計図に基づき、約2トンの純銀!を使って作られました。 silver tombstone of John of Nepomuk (1733 - 1736) made by Emanuel Fischer of Ehrlach
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写真左は、「レオポルト・シュリック (Leopolda Šlika) 伯爵のバロック式墓碑」(1723年) "Náhrobek Leopolda hraběte Šlika" 同じく、フィッシャー・フォン・エルラッハの設計に基づいて作られたもの。

写真右は、「枢機卿シュヴァルツェンベルクの像」 "Socha kardinála Schwarzenberga"(フレデリック・ヨーゼフ・シュヴァルツェンベルク "Bedřich Josef Schwarzenberg")
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シュヴァルツェンベルク家、枢機卿を輩出するだけの豊富な財力を持つ、有力貴族だった証ですdollar

http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych/nahrobek-leopolda-hrabete-slika
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=45093
http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych/kardinal-schwarzenberg

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「聖アンドリュー礼拝堂」 "Ondřeje (Martinická kaple)"。 この美しい壁画と天井。好みだわ~heart01
http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych/kaple-sv-ondreje
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写真左は、「聖アンドリュー礼拝堂」のステンドグラス。 ・・・こういった、オーソドックスなタイプのステンドグラスの方が、私には、ミュッシャよりツボだったりするcute(1880年)。

写真右は、聖ヴィート大聖堂を入ってすぐ右側に並んでいる礼拝堂で、左から「トゥーン礼拝堂」、「聖墓礼拝堂」、「聖リュドミラ礼拝堂」。 ステンドグラスから差し込む、色とりどりの光も、また美しかった。shine
http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych
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★St. Vitus, Václav and Vojtěch - Cathedral
http://www.praguewelcome.cz/srv/www/en/objects/detail.x?id=45093
https://www.hrad.cz/en/prague-castle/guidepost-for-visitors/st-vitus-cathedral.shtml
http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych

ほかにも、聖ヴァーツラフ礼拝堂など、見所満載。

写真が多くなりすぎ、すみません。 これでも、かなり自粛してます。。

つづきます。「プラハ城 聖ヴィート大聖堂 聖ヴァーツラフ礼拝堂

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