プラハ ヴァルトシュテイン宮殿と庭園
「プラハ ヴァルトシュテイン宮殿へ」のつづき。★プラハ個人旅行 まとめ記事
ヴァルトシュテイン宮殿と庭園 Valdštejnský palác a zahrada (Wallenstein Palace and Garden)
現在は、プラハ共和国上院
★公式サイトでの説明(英語あり) 参照
http://www.senat.cz/informace/pro_verejnost/valdstejnska_zahrada/
http://senat.cz/informace/z_historie/palace/valdstejn.php
★宮殿と庭の地図(英語あり)
http://www.senat.cz/informace/z_historie/palace/
PDF:
http://www.senat.cz/informace/z_historie/palace/mapa_sidla_senatu_velka_eng.pdf
★庭の公開は、4月~10月。 月曜から金曜日 7:30~18:00, 土日祝日 10:00 ~ 18:00, 6月~ 9月は 19.00 までオープン。
★宮殿の中のツアーは、公式サイト http://www.senat.cz/ (英語あり)の Tours of the Senate、Opening hours of the Senate for the public 参照のこと。
★地図と説明
https://mapy.cz/zakladni?x=14.4043853&y=50.0894430&z=18&source=base&id=1833588
サーラ・テレーナ Sala Terrena (イタリア語 Ground Floor hall) 天井は美しいフレスコ画
写真のサーラ・テレーナの左側の建物にトイレあり。
この庭園は、映画「アマデウス」(Amadeus)、映画「不滅の恋/ベートーヴェン」(Immortal Beloved)の撮影のロケーションとしても使われていた。衣装を着けた俳優さん、エキストラの人たちを見ると、想像がふくらんでとても楽しい
サーラ・テレーナから庭園を眺める。庭園は、後期ルネサンスのイタリア庭園をモデルとしている。
ヴァルトシュテイン宮殿を建てた、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(Albrecht z Valdštejna, Albrecht von Wallenstein 1583-1634)は、皇帝フェルディナント2世に仕え、三十年戦争で活躍したボヘミアの傭兵隊長。
しかし、皇帝から謀反の疑いをかけられ暗殺された、悲劇の人。
以前ブログ記事にも書いたけれど、天文学者ケプラー (Johannes Kepler) は、ヴァレンシュタンイン将軍お抱えの数学者となり、その求めに応じて、天文的知識と数学的知識を駆使して占星術を行い、彼の運勢を占った。
そのときのホロスコープが今に残され、本(※)で図版を見たけれど、暗殺は、占星術をもってしても、抗えない運命だったか・・・。
★以前書いた記事:「プラハ ケプラー博物館、ケプラーによる天文学の発展と、ルドルフ2世」
※ジェームズ・R. ヴォールケル (著)、林 大 (翻訳) 「ヨハネス・ケプラー―天文学の新たなる地平へ (オックスフォード科学の肖像)」(大月書店, 2010)
ワシミミズクの鳥小屋 Výr velký (Eagle owl) 鍾乳石を模した装飾が面白い。
鍾乳石壁 The Grotto (Dripstone Wall) こんなに広い壁面だと迫力ある。
噴水。ここで、外国からの観光客の女性から記念写真を頼まれて撮影。私たちも撮ってもらった。
左は撮ってもらった写真の一部。 右の写真にあるとおり、観光客が結構歩いていて、ツーショットだけで写してもらうのって難しいのだ。撮ってくれた女性は、ちょっとどいて、って頼んでくれたし、アングルも凝って何枚も写してくれたので、とても嬉しかった。
庭園にある彫像は、ルドルフ2世お気に入りの彫刻家でもあった、アドリアン・デ・フリース(Adriaen de Vries)の作品。
もっとも、オリジナルの作品は、30年戦争(1618年から1648年)の最後の年、スウェーデン軍がプラハのマラーストラナを占領した際、スウェーデン軍に略奪されたため、ここにあるのは、そのレプリカ。
ラオコーン Laocoon トロイの木馬を運び込もうとする民を諌めようとしたラオコーンさん。女神アテナの怒りを買って放たれたへびと格闘中。息子二人も、とばっちりで犠牲に。
入口付近にあった、心そそられる扉と天井のグロット装飾。 庭園の鍾乳石壁を見たら納得なんだけど、最初見たとき、この天井、なんでここで鍾乳石が溜まって落ちてきてるわけ!?って思ってしまった。
今回は宮殿見学ができる土日祝日ではなかったので、中の見学はせず。
宮殿の設計者は、イタリアの建築家、アンドレア・スペッツァ (Andrea Spezza)。
宮殿の建設工事は1623年に始まり、アンドレア・スペッツァの他に、Nicolo Sebregondi、Giovanni Pieroni などイタリアの巨匠が参加。1630年、宮殿の装飾が完成。
この工事、30年戦争(1618年から1648年)のまっ最中だったし、皇帝軍に参加していたヴァルトシュテイン将軍、ここで過ごした時間は、さぞや貴重なものだったろうなぁ・・・。
つづきます。「ヴァルトシュテイン通り プラハ城下庭園 メトロカフェ」
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